日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

ある集落

2018-04-15 08:47:30 | 日記
「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。」ローマ13:14



ある集落の入口に丘といいますか、山の畑でしょうか、山野草が生える
場所があるのです。私だけかと思えば、案外カメラマンが来られるとか。
この木の下はニリンソウの群れです。小さくてまた日が高く
登らないと花弁が閉じたままです。



朝が早くてまだ閉じています。



この集落は石崖を高く積んで家や蔵が建ち、よく崩れ落ちないものです。
昔は材木商で栄えたのか立派なお家が多いです。



綺麗な花々が咲き、若葉美しく里山が最も華やぎます。



さあ、もう少し探しましょう。

上の言葉
キリストを着るとはキリストに似るものとなることです。そのためには、常時、「キリストならどうなさるか」「キリストなら何と言うだろうか」を問わなければなりません。尊敬する人、愛する人と常に一緒に行動すると、立ち居振る舞い、言葉遣い、考え方や価値観に至るまで似てきます。みことばをくりかえし心に味わいかみしめていると、気づかないうちにキリストを着る者となります。(KE)


若葉の季節

2018-04-14 09:19:53 | 日記
「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。」第二コリント12:



私は軽いですが少し腰痛がありまして、そうだ夫が好きな銭湯へ行こう、
と信楽温泉を思いたちました。それと共に宇治田原は新緑が美しいはず、撮りに
行こう!と。家を6時出発がベストですが7時出発になってしまいましたが。
まず山野草を撮りたいですが、私の眼がピンボケですから、マクロが難しく
なりました。マクロが得意だったのですがね。これもペテロのように、
弱さをもっている方がよさそうです。感謝。



宇治田原は平凡な里山ですが、少し標高を下がったり上がったりすることで
思わぬ景色が広がり、変化があり面白さをいつも感じます。その点が
信楽や和束と違う所でしょうか。木の芽が出たばかりで美しいでした。
ここにも都会化の波があって、新名神高速の工事も急ピッチです。資材
置き場も必要で、ダンプも行きかいますから、茶畑は次の機会にします。



信楽に入れば、まだ少しですがソメイヨシノがあり、改めてここは寒い
場所なんだ、と思い出しました。ゴルフ場にある温泉ですが、なかなか
good。めったにはいらない温泉ですから、眠くんって、、、

上の言葉
パウロは肉体的な障害を持っていました。なんとかしてそれをとり除いて欲しいと神様に願ったのです。しかし自分にとって不都合なことであっても、それを受けるべき理由があるのです。「高慢にならないように」と、神様は罪の原因からあなたを遠ざけようとして、弱さを与えておられるのです。感謝しようではありませんか。(KE)


カフエへ

2018-04-12 08:59:56 | 日記
「あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。」ローマ2:5



平凡な日々で退屈、とつい思ってしまいますが平凡こそ幸せ
なのを忘れています。写真に行けない、運転で思う場所に行けない、
等つい不平が。人はつい恵みを忘れ愚かです。



我が町はバスが通っていないのでした。電車の駅はあります。
この前の友人は義父母を送ったら、実父母が転がり込んでこられた
気持解りますね。風景麗しく、バスはひっきりなしにくる。
スーパー3件。病院は京都大学病院、府立病院と日本有数の
病院あり、美味しいお店が一杯。娘の世話で幸いだった事でしょう。
それも友人がご主人の両親の世話をよく頑張ったから。だから
ご主人も友人の親をよく世話して下さったとのこと。
友人も5人兄弟の長男で、同居。よく辛抱したものです。今は
息子の家族は斜め向に住、自分等は二人気楽に住む。これでヨシ。



2世帯同居はどうしても気持ちを抑える。そうしないとうまく
いかない。今の核家族には解らない面でしょう。
さあ、教会の無料カフエ。いってまいります。

上の言葉
神様は慈愛と寛容な心で、今の時を忍耐してすべての人が悔改めるのを待っておられます。しかし、多くの人々は神様の思いを悟らず、むしろ恵みの時を軽んじています。やがて神様の怒りがくだる時が来ます。その結果は自らが蒔いたものですから、自分が甘んじて受けなければなりません。人は自分から滅びていくのですから悲しいことです。(KE)



障害

2018-04-11 08:47:27 | 日記
「それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない。」ルカ7:47



若葉が出てこれからは若葉の季節。桜も忘れたみたいな感覚です。
でも家族が昨日信楽を車で走ったら、満開の桜が広がっていたとか。
寒いところは違いますね。



発達障害という事を最近聞きますが、教会におられます。牧師が
カウンセリングの仕事をやってられ、今も要請があれば行かれ、
その関係か障碍者また家族が障害の人が案外多いです。発達障害は
2人おられる様です。一見解らないですけどね。一人の人は解ります。
話術や国語力はとびぬけていて、しかし精神的には幼児か小学1,2年・
アンバランスで人に甘えたい様です。
初めは奇妙と思いましたが、高慢で鼻持ちならない人よりずっとかわいいし
ましだ、と思えるようになりました。



生かされているのですから、支え合わねばなりません。

上の言葉
「罪のゆるし」と「愛」は密接に関係しています。「ゆるす」とはただ特定の行為や罪を許すだけでなく、相手のすべてを(好き嫌いにかかわらず)無条件で受容することです。だから、「愛される」とは「ゆるされる」ことでもあります。神様は私たちの有りのままの状態で受けいれてくださいました。そこには十字架による「ゆるし」があるのです。(KE)


古い友達

2018-04-10 08:54:17 | 日記
「また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」マタイ18:5



昨日は学生時代の友達と久し振りに会って、食事でも、と約束し
15年ぶりでしょうか会えました。京都府立植物園の近所ですから、何度行ってるか
解らない位ですが、いつも撮影で汗と埃まみれですから、すぐ帰ってました。
目の為、本格的な撮影はできなくなった為、また違った楽しみも出来ますね。

皆さん京都が好き、と言われますが、私は丸太町までは好きではないです。余りに
人口的な美しさですから。ここ北大路橋から北を見れば、北山が見え、植物園の緑、
賀茂川の清い流れが大好きです。ここから北は段々自然豊かになります。この日は
晴れマークなのに、何とどんより曇り。桜も例年なら満開なのに、色褪せ、
なんとか咲いていたのは3本か。残念ですがここへ来れたのが幸いです。



友達とは15年の年月で年を重ねましたが、相変わらず色白の京美人。しかし
細かったのによく肥えてしまって。私よりかなり超えたか?夫婦共に糖尿とぁ。
私もその傾向。賀茂川縁を散歩してカフエへ。何と風景が良く、散歩にピッタリ。
それに便利が良い。京都駅にもバスが多く、地下鉄も近い。大原や貴舟も近い。
実家も近いので、「貴女良いとこで生まれ育ったね!」としきりに言ってしまった。



その後自宅近くの料理屋さんで京料理を頂く。こんな近くでなんでもあるとは。
写真とは違った喜びを感じつつ別れを惜しみました。

上の言葉
ここで大切なのは「わたしの名のゆえに」です。幼な子が可愛いとか、可憐であるとか、そのようなことは一切関係ありません。イエス様の代理者として受ける時、イエス様を受けいれることでもあります。その他のことでも同様です。日々なすわざを主の名によってするとき、そこで主に出会うのです。今日も、主の名によって生きようではありませんか。(KE)