続きです。
②阿国歌舞伎夢華
こういう舞踊物は退屈することも多いのだが、今回まったく退屈しなかったのは、ひとえに役者の力。個性的な役者が揃うと舞踊劇も見ていて飽きない。特に玉三郎を囲む沢潟屋の三人の女形。古風な笑也、不敵な笑三郎、モダンな春猿。それぞれに好きなのだけど、今回は笑三郎について。昼の部の芸者・政次(玉三郎の芸者・仇吉の仲間)役は、大柄で古風な雰囲気。中村歌江みたいな感じがあったと思えたが、舞踊になるとちょっと不敵な面構えと大振りな身のこなしが、写真で見る六代目菊五郎を思い出さていい感じ。本当は笑也、笑三郎は猿之助一座以外にも出て欲しい艶と個性があると思うのだけど、問題はどこが受け入れるのかということか…。
もちろん段治郎の名古屋山三もよかったし、個々の中堅を見るにつけ、そろそろ猿之助一座も紙芝居的な芝居より、こってりとした味のある演目にシフトして欲しい時期だなあと思う。「暗闇の丑松」を歌舞伎座でやったあたりから猿之助も考えてはいたのだろうけど、来年のはやい舞台復帰を祈りましょう。
で、肝心の玉三郎。(玉三郎から見て)若手を従えた堂々たる雰囲気でやっぱりかっこよかった。まあ、新味はない一幕だけど、十分楽しめました。
因みにこの舞踊劇、初演は大正時代で六代目菊五郎が演じている。「夢」の演出上の扱いは二世松緑の新作舞踊劇「達陀」に影響ありかな?
③たぬき
これは意外にも面白かった。
以前、團十郎が新橋演舞場でやったのを観たときは、「見え透いたつまんない芝居だなあ」と思ったのだが、今回の三津五郎版は三津五郎本人のうまさも然る事ながら、脇役陣のテンポもよく、あれよあれよという間に最後まで見てしまった。
話は簡単に言うと、火葬場で焼かれる寸前に息を吹き返した男が、死んだと思われていることを幸いに第二の人生を生きようとするのだが…という、いかにも落語や芝居、マンガなどに出てきそうな話。
結局何がよかったかというと、三津五郎と勘九郎という芝居巧者のぐいぐい引っ張る力に負うところが大きいように思う。三津五郎(金兵衛)の方は、死んだと思われていることを幸に、愛人お染(福助)のところに行くくだり、浮き立つような軽身の前半と、愛人にもやはり愛人がいたことがわかった後の落胆した後半の背中の芝居。これが大袈裟すぎず、流石という印象。この辺がしたたかというより、下品すぎた福助の愛人お染役とは大違い。一方、勘九郎の演じた太鼓持ちでお染の兄・蝶作役は、落語の太鼓持ちのようなテンポの良さ。特にお染から金を受け取って舞台上手へ引っ込むあたりの台詞のテンポが圧巻。往年の志ん朝の落語のサゲまで一気に行く、まくし立てるような勢いを思い出させた。勘九郎って落語家になっても大成していたかも?って真剣に思いましたね。
脇役陣では、やはり助五郎の多吉と東蔵の芸者お駒。火葬場の人夫で前半の重要な脇役多吉は、金兵衛の偽装を助けたりして、私に言わせると、実はこの芝居の意識せざる悪魔のような役だと思う。私はこの役に、哀れみよりある種の怖さを感じるが、助五郎には人生に対するペシミズムが濃厚に漂っていていい感じ。また東蔵の方は、世間そのもののような世事長けた雰囲気があって、やっぱりこの人はうまい。
戦後に作られた新作歌舞伎で、まったく面白さがわからなかったのだが、とりあえず今回の配役での再演ならまた見たいと思わせてくる舞台でした。
④今昔桃太郎
勘九郎が「勘九郎」という名で演じる最後の芝居で、今回は渡辺えり子脚本。そもそも「桃太郎」という芝居自体が勘九郎の初舞台なので、この名前を「桃太郎」に始まり、「桃太郎」で終わらせようという勘九郎の一世一代、これっきりの芝居(再演なし!)。それだけに、マスコミにも取り上げられ注目の芝居だったのですが、へそ曲がりの私としては、何か文句言ってやろうと待ち構えている内に、最後の最後でそんな気持ちが吹っ飛んだ。今年最後の歌舞伎座・夜の部それも最後の最後、勘九郎の花道七三で、其処には演じる側にも、舞台を見つめる側にも、確かに「愛」があった。歌舞伎への愛が!こんなことは歌舞伎座通いしだしてから初めてだし、一体なんだったんだろう?
舞台幕開きで、スクリーンにプロジェクターから勘九郎坊やのモノクロの初舞台姿が流れる。この辺の趣向は、最近の歌舞伎以外の舞台ではよくやることなので、それほど凄いとは思わなかったが、こんなフィルムが残っているんだなあってことには感心した。
ストーリー、芝居に関しては端折るとして、全般的に感心したのは、「渡辺えり子って野田秀樹より歌舞伎見てそうだな」ってこと。新作歌舞伎では珍しく、義太夫や長唄をうまく使っているし、台詞の七五調や大道具・小道具の使い方など、歌舞伎ならではの演出上の特徴を使ってうまく遊んでいる。野田秀樹の方が、歌舞伎に野田ワールドを持ち込んだという印象だったのと対照的なような気がする。
個人的に一番面白かったのは、勘九郎が数々の舞踊をダイジェスト版で軽く踊って見せたくだり。軽くさらってる感じなのに、とにかく楽しい。やっぱり勘九郎は踊りの名人六代目菊五郎の孫なんだなと実感。
それと「竜の目」さんのブログのコメントにも書いたのだけど、義太夫の竹本清太夫のものすごい絶叫「ダ・ダン・ダ・ダン!」には驚いたし、楽しかった。そもそも普段からオーバーアクション気味で後ろの屏風に頭ぶつけたりする清太夫さん。私はこの人の声もアクションも大好きなので、ほんと楽しかった。もし渡辺えり子も清太夫ファンだったら、あんたはえらい!と言いたいところなんだけど…。
で、いよいよ今年最後の幕切れついて。
花道から齢90の老優中村又五郎が登場。この人が池波正太郎の「剣客商売」の主人公のモデルで、勘三郎が死んだ日の勘九郎の「髪結新三」の大家をやっていたことは歌舞伎ファンなら皆さんご存知なことでしょう。その又五郎から鬼退治の旗を勘九郎の桃太郎が受け取ったところでもうジワーっときた。そして、幕が引かれ、いよいよ勘九郎の桃太郎の花道の引っ込み。花道七三での台詞「いろんな人にお世話になった。」(正確ではありません。大体こんな感じだったと思うんだけど。)で、もう目頭が熱くなってきた。今度、先代になる勘三郎から続く熱い何かを象徴した最後の趣向。伝統の重みを受けて、堂々と花道を引っ込んでいく勘九郎の姿を見て、日頃勘九郎に批判的なことばかり言っている、すれっからしの私も心を動かされた。
「来年の歌舞伎座での襲名、絶対観に行くぞ!」と。
これで、今年の観劇記はとりあえずおしまいです。
今年も歌舞伎&歌舞伎座ありがとう!
来年もよろしく!
②阿国歌舞伎夢華
こういう舞踊物は退屈することも多いのだが、今回まったく退屈しなかったのは、ひとえに役者の力。個性的な役者が揃うと舞踊劇も見ていて飽きない。特に玉三郎を囲む沢潟屋の三人の女形。古風な笑也、不敵な笑三郎、モダンな春猿。それぞれに好きなのだけど、今回は笑三郎について。昼の部の芸者・政次(玉三郎の芸者・仇吉の仲間)役は、大柄で古風な雰囲気。中村歌江みたいな感じがあったと思えたが、舞踊になるとちょっと不敵な面構えと大振りな身のこなしが、写真で見る六代目菊五郎を思い出さていい感じ。本当は笑也、笑三郎は猿之助一座以外にも出て欲しい艶と個性があると思うのだけど、問題はどこが受け入れるのかということか…。
もちろん段治郎の名古屋山三もよかったし、個々の中堅を見るにつけ、そろそろ猿之助一座も紙芝居的な芝居より、こってりとした味のある演目にシフトして欲しい時期だなあと思う。「暗闇の丑松」を歌舞伎座でやったあたりから猿之助も考えてはいたのだろうけど、来年のはやい舞台復帰を祈りましょう。
で、肝心の玉三郎。(玉三郎から見て)若手を従えた堂々たる雰囲気でやっぱりかっこよかった。まあ、新味はない一幕だけど、十分楽しめました。
因みにこの舞踊劇、初演は大正時代で六代目菊五郎が演じている。「夢」の演出上の扱いは二世松緑の新作舞踊劇「達陀」に影響ありかな?
③たぬき
これは意外にも面白かった。
以前、團十郎が新橋演舞場でやったのを観たときは、「見え透いたつまんない芝居だなあ」と思ったのだが、今回の三津五郎版は三津五郎本人のうまさも然る事ながら、脇役陣のテンポもよく、あれよあれよという間に最後まで見てしまった。
話は簡単に言うと、火葬場で焼かれる寸前に息を吹き返した男が、死んだと思われていることを幸いに第二の人生を生きようとするのだが…という、いかにも落語や芝居、マンガなどに出てきそうな話。
結局何がよかったかというと、三津五郎と勘九郎という芝居巧者のぐいぐい引っ張る力に負うところが大きいように思う。三津五郎(金兵衛)の方は、死んだと思われていることを幸に、愛人お染(福助)のところに行くくだり、浮き立つような軽身の前半と、愛人にもやはり愛人がいたことがわかった後の落胆した後半の背中の芝居。これが大袈裟すぎず、流石という印象。この辺がしたたかというより、下品すぎた福助の愛人お染役とは大違い。一方、勘九郎の演じた太鼓持ちでお染の兄・蝶作役は、落語の太鼓持ちのようなテンポの良さ。特にお染から金を受け取って舞台上手へ引っ込むあたりの台詞のテンポが圧巻。往年の志ん朝の落語のサゲまで一気に行く、まくし立てるような勢いを思い出させた。勘九郎って落語家になっても大成していたかも?って真剣に思いましたね。
脇役陣では、やはり助五郎の多吉と東蔵の芸者お駒。火葬場の人夫で前半の重要な脇役多吉は、金兵衛の偽装を助けたりして、私に言わせると、実はこの芝居の意識せざる悪魔のような役だと思う。私はこの役に、哀れみよりある種の怖さを感じるが、助五郎には人生に対するペシミズムが濃厚に漂っていていい感じ。また東蔵の方は、世間そのもののような世事長けた雰囲気があって、やっぱりこの人はうまい。
戦後に作られた新作歌舞伎で、まったく面白さがわからなかったのだが、とりあえず今回の配役での再演ならまた見たいと思わせてくる舞台でした。
④今昔桃太郎
勘九郎が「勘九郎」という名で演じる最後の芝居で、今回は渡辺えり子脚本。そもそも「桃太郎」という芝居自体が勘九郎の初舞台なので、この名前を「桃太郎」に始まり、「桃太郎」で終わらせようという勘九郎の一世一代、これっきりの芝居(再演なし!)。それだけに、マスコミにも取り上げられ注目の芝居だったのですが、へそ曲がりの私としては、何か文句言ってやろうと待ち構えている内に、最後の最後でそんな気持ちが吹っ飛んだ。今年最後の歌舞伎座・夜の部それも最後の最後、勘九郎の花道七三で、其処には演じる側にも、舞台を見つめる側にも、確かに「愛」があった。歌舞伎への愛が!こんなことは歌舞伎座通いしだしてから初めてだし、一体なんだったんだろう?
舞台幕開きで、スクリーンにプロジェクターから勘九郎坊やのモノクロの初舞台姿が流れる。この辺の趣向は、最近の歌舞伎以外の舞台ではよくやることなので、それほど凄いとは思わなかったが、こんなフィルムが残っているんだなあってことには感心した。
ストーリー、芝居に関しては端折るとして、全般的に感心したのは、「渡辺えり子って野田秀樹より歌舞伎見てそうだな」ってこと。新作歌舞伎では珍しく、義太夫や長唄をうまく使っているし、台詞の七五調や大道具・小道具の使い方など、歌舞伎ならではの演出上の特徴を使ってうまく遊んでいる。野田秀樹の方が、歌舞伎に野田ワールドを持ち込んだという印象だったのと対照的なような気がする。
個人的に一番面白かったのは、勘九郎が数々の舞踊をダイジェスト版で軽く踊って見せたくだり。軽くさらってる感じなのに、とにかく楽しい。やっぱり勘九郎は踊りの名人六代目菊五郎の孫なんだなと実感。
それと「竜の目」さんのブログのコメントにも書いたのだけど、義太夫の竹本清太夫のものすごい絶叫「ダ・ダン・ダ・ダン!」には驚いたし、楽しかった。そもそも普段からオーバーアクション気味で後ろの屏風に頭ぶつけたりする清太夫さん。私はこの人の声もアクションも大好きなので、ほんと楽しかった。もし渡辺えり子も清太夫ファンだったら、あんたはえらい!と言いたいところなんだけど…。
で、いよいよ今年最後の幕切れついて。
花道から齢90の老優中村又五郎が登場。この人が池波正太郎の「剣客商売」の主人公のモデルで、勘三郎が死んだ日の勘九郎の「髪結新三」の大家をやっていたことは歌舞伎ファンなら皆さんご存知なことでしょう。その又五郎から鬼退治の旗を勘九郎の桃太郎が受け取ったところでもうジワーっときた。そして、幕が引かれ、いよいよ勘九郎の桃太郎の花道の引っ込み。花道七三での台詞「いろんな人にお世話になった。」(正確ではありません。大体こんな感じだったと思うんだけど。)で、もう目頭が熱くなってきた。今度、先代になる勘三郎から続く熱い何かを象徴した最後の趣向。伝統の重みを受けて、堂々と花道を引っ込んでいく勘九郎の姿を見て、日頃勘九郎に批判的なことばかり言っている、すれっからしの私も心を動かされた。
「来年の歌舞伎座での襲名、絶対観に行くぞ!」と。
これで、今年の観劇記はとりあえずおしまいです。
今年も歌舞伎&歌舞伎座ありがとう!
来年もよろしく!
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