切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

二月大歌舞伎 夜の部 (歌舞伎座)

2005-02-15 00:20:00 | かぶき讃(劇評)
今月は役者は揃ってるのに、演目がいまいち地味なんですよね~。では、さっそく…。

①ぢいさんばあさん

意外と人気のこの芝居。じつはあんまり好きではなかった。(こういう書き出しばっかりになってきたなあ、最近…。)それというのも、前回評判を呼んだ勘九郎・玉三郎コンビのこの芝居に少々ウンザリしたから。

話を簡単に言うと、若い侍のおしどり夫婦が、京都へ単身赴任中の夫の不始末で離れ離れになり、37年後に再会するというもの。原作は森鴎外の短編小説。

何が気に入らなかったというと、この芝居、おしどり夫婦の仲睦まじさがいろいろな形で描かれるのだけど、勘九郎・玉三郎の夫婦のいちゃつきぶりがあまりに品がなくてだらしなく、いくらなんでも侍の夫婦が長屋の夫婦みたいなことはしないだろうと言いたくなるようなものだったから。おまけに、この原作を読んだ方はお分かりでしょうが、原作はさすがにストーリーは同じながら、下世話な色気など皆無の硬質な小説で、もし森鴎外が生きていてこの芝居を観ていたら、あまりに原作からかけ離れた俗っぽい脚本化に、脚本の宇野信夫の頭上に軍刀を振りかざしたんじゃないかと言いたくなってくるぐらい。しかしながら、場内は前回大うけだったので、つくづく「こんなものに喜ぶ"ぢいさんばあさん”にはなりたくないものだ!」と思ったもの。というわけで、あまり期待しないで観ていたのだが…。

今回は仁左衛門・菊五郎コンビの夫婦。まず感心したのは妻るん役の菊五郎が武家の女房らしい落ち着いた雰囲気だったこと。また夫・伊織役の仁左衛門は彼天性の悪気のないさわやかさで、いやらしさがない。この辺りが、悪い意味で新派の俗っぽい部分が出すぎた勘九郎・玉三郎夫婦と大違い。

さらに良かったのが、夫婦別離の原因となる悪役下嶋甚右衛門役の團蔵。この嫌われ者男に絡まれた末、伊織が彼を切り捨て、越前に37年間預かりの身となってしまうのだが…。この役、序幕にも出てくるが、断然いいのは二幕目の方。酒宴を開いていた伊織とその友人たちの中へ割ってはいる甚右衛門。そもそも歌舞伎の錦絵のような顔立ちの團蔵がほつれ髪の酔態姿で登場し、散々に伊織をなじる。この役は腕自慢の役者ならやりたくなる役なのだろう。團蔵のなじり方は、がなり立てるというよりいやみを言う感じで、この男の寂しさが漂い深みがある。また、「魚屋宗五郎」もそうだけど、酔っ払いを囲む役者達のチームワークはやっぱり芝居を観ている気にさせてくれる。甚右衛門が伊織に切られ階下に落ちるまでの一息の芝居。こういう嫌われ者の役は役者冥利に尽きるんでしょうね。

さて、この芝居の本当の主役はじつは「時間」で、序幕と三幕目の道具から脇役まで、37年間の演じられない空白の時間を表現する為にあるようなもの。(桜の樹や妻るんの弟、そしてるんの弟の息子夫婦に至るまで。)また、伊織が甚右衛門を切り捨てるくだりを仁左衛門はじわじわと怒りが高まるというより、一瞬の過ちのように演じていることや、三幕目、刻限より早く屋敷に着く伊織とるんの再会の後に鳴る、予定の刻限を示す鐘の音が、「37年間の空白」を強調する別の「時間」の効果を演出していると思う。

三幕目、老け役姿で登場する仁左衛門と菊五郎。菊五郎の方が元御殿女中の貫禄充分の立派さな上に、夫婦の再会も押さえた表現で品格が落ちず、こういうある意味俗っぽい芝居も演じる役者で随分違うものだと思った私でした。

②野崎村

五人の人間国宝(芝翫、鴈治郎、田之助、富十郎、雀右衛門) 出演の今月一番の大舞台。

彼らの年齢を考えると同じメンバーの再演は難しく(はっきり言っちゃって、ごめんなさい!)、とても貴重な一幕です。

この芝居、意外と歌舞伎では上演されていないようで(もともと文楽の演目)、私も生の舞台は浅草歌舞伎で亀治郎、勘太郎らの舞台を見て以来のこと。今思えば、浅草歌舞伎の面々の方がこの芝居の役の設定に実年齢が近いような気もするが、だからといって、年齢がリアルな方が芝居も面白いとは限らないのが舞台の面白さ。

ストーリーはかなり面倒くさいので省きますが、丁稚久松(鴈治郎)を巡る田舎娘のお光(芝翫)と都会の商家の娘お染(雀右衛門)の恋と、お光の父久作(富十郎)とお染の母で油屋の後妻お常(田之助)の情愛の芝居。

今回のこの芝居に関しては、渡辺保氏のHPの劇評でほぼ言い尽くされている感もあるし、この芝居をめぐる様々な型についても渡辺氏の『歌舞伎 型の魅力』(角川書店)という本に詳しいので、私としては、断片的な印象を書くに留めます。

まず、お光に関してですが、以前見た亀治郎のお光は非常に現代的で勝気な女の子のイメージだったのに対し、今回の芝翫は田舎娘という腹で、好みが分かれるだろうということ。(確か、亀治郎についての劇評はあまりよくなかったと記憶している。)ただ、あえて言えばどちらも色気は薄く、以前見た澤村藤十郎襲名の時のビデオの藤十郎のお光が私の好みではあるのだけど…。

今回私が感心したのはなんと言っても、富十郎と田之助。富十郎はお染に気づいてお光をつれて引っ込むところが、やはり深い思い入れでいいし、久松とお染を「お夏清十郎」の話を引いて説得するくだりも味わい深い。たまに元気すぎる気のするときもある富十郎の、元気さよりも情の深さ漂う今回の芝居は私的には大満足。田之助の方は、病人の見舞いとして金を出すくだりが、金の事に妙な気を回さず、すべての事情を覚った大店の女将らしくて貫禄がある。 

鴈治郎の久松は、普段のこの人にしてはとても控えめだが、さすが和事の第一人者。よろめくところなんかは、ちょっとした決まりきった仕草ながら、さすがに味がある。(因みに浅草歌舞伎ではこの役は中村獅童!)雀右衛門のお染は、普段若手女形がやることになっているこの役にしてはご馳走といえるキャスティングで、自害しようとするくだりも、若手がやると娘の短慮のように見えた芝居も、名優がやると覚悟を決めた行動に思えるから不思議。(因みに浅草歌舞伎ではこの役、勘太郎、七之助兄弟が交代で演じた。)

あと、ベテラン役者居並ぶ中、義太夫は中堅・竹本葵大夫がやっていることにも注目して欲しいところ。三味線はベテラン、鶴澤正一郎。

最後は舞台廻って土手の舞台に、両花道。上手・仮花道には籠に乗った久松、下手・花道には船に乗ったお染とお常、という引っ込みはいかにも歌舞伎らしい仕掛け。そして、二人が引っ込んだ後で、倒れこんだ久作とお光のやりとり、すがりつくお光で幕切れなのだが、いっぺんお光が縋り付いて泣く以外の演出も見てみたいところ。というのも、尼になる覚悟を決めた娘にしては、最後に大泣きというのが私の好みと違うのだけど…。誰かやってくれる人はいないかな…。

・渡辺保氏の劇評
・『歌舞伎 型の魅力』


③二人椀久

言ってしまえば、舞踊「安名」の江戸時代版。大坂の豪商・椀屋久兵衛が傾城松山太夫に入れ揚げたばっかりに座敷牢に入れられ、気が狂ってしまったという舞踊劇。じつは江戸時代にあった実話を元にしているとのこと。今回は仁左衛門と孝太郎の親子競演。

真っ暗な舞台から舞台上手に山台にのった長唄囃子方連中が浮かび上がる。月明かりの中、花道から仁左衛門登場。やはり月明かりには笛と鼓がよく似合う。因みに今回の小鼓は田中傳左衛門・傳次郎兄弟。

椀屋久兵衛の夢の中に傾城松山太夫が現れるという趣向なのだが、孝太郎の髪型が傾城というよりは、羽衣の天女みたいでもうひとつ面白くなかった。(かなり激しく踊るので、軽装版の髪型なんだろうけど。)松山太夫の姿が消え夢が覚めるくだりの、テンポの速い鼓と長唄が聞き物で、結局、照明と音楽の一幕だったなあというのが私の印象。

それにしても、仁左衛門は恋に狂った男が似合うなあ。でも、<恋に狂った男>は「籠釣瓶」の佐野次郎左衛門みたいな方がリアルなんだろうけど…。

ストーリーなど詳しくはこちらを↓

   ・二月興行情報(歌舞伎座)
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