「大島渚監督4年半ぶり公の場」という記事を読んで感じたのは、かつて映画監督協会会長でもあった大島渚の「映画監督」としての部分が、永らく語られていないなァということ。といっても、へそ曲がりのわたしが『戦メリ』だの『愛のコリーダ』だの『青春残酷物語』について書くわけありませんけどね…。あえて乱暴に大島作品の特徴を言えば、「絶対に家族で観れない映画」ってことかな。その点が小津、黒澤なんかと決定的に違いますね!
[闘病] 大島渚監督4年半ぶり公の場 - goo ニュース
一般的に世評が高いのは、『飼育』『絞死刑』『儀式』『少年』なんてあたりだろうけど、わたしはこの手のテーマ主義モノはどうも肌が合わなくて苦手。個人的に好きなのは、『悦楽』『日本の夜と霧』『白昼の通り魔』『無理心中・日本の夏』『愛の亡霊』『マックス・モン・アムール』といったミステリー、サスペンス仕立てのテイストがある作品。
大島の出身である松竹といえば、大船調と呼ばれる庶民映画みたいなもののイメージが強いのだけど、かつては松本清張なんかのミステリー物も随分つくっていた。そして、そんな映像話法の伝承が、松竹出身の監督には残っているようだ。(例えば、大島の先輩・中平康も日活に移ってから、良質のミステリー物映画をいろいろつくっている。一例を挙げると、先日亡くなった伊福部昭が音楽を担当した『その壁を砕け』など。)
ところで最初の話に戻ると、大島渚の映画って「羞恥心」がテーマなんじゃないかと思えるほど、観ていて恥ずかしくなるような、臆面もないものが多い。これが「家族と観れない」最大の原因なんだけど、それ故にというのかミニシアターみたいなところでこっそり見た記憶がいつまでも残ってしまうんですよね。
極々個人的な嗜好で言えば、『悦楽』という作品の、シネスコ演出が妙にはまっていて好きなんだけど、この映画を褒めている人に残念ながらわたしは会ったことがない。要するに、大島渚にオピニオンリーダー的なものを求める人たちにはすこぶる評判の悪い作品だってことなんでしょう。でも、若い時の加賀まりこなんかも出ているし、面白いんですけどね…。(後年の『マックス・モン・アムール』の演出につながっていく部分があると思うんだけど。)
比較的軽いタッチの作品に、『帰って来たヨッパライ』とか『日本春歌考』『新宿泥棒日記』なんかもあるけど、このあたりも結構きらいじゃない。『帰って来たヨッパライ』は緑摩子、『日本春歌考』なら伊丹十三がよかったし、『新宿泥棒日記』といえばなんといっても新宿紀伊国屋書店でしょう!(紀伊国屋で横尾忠則が万引きする!)
要するに、ゴシックロマン風な端正な語り口のものと、冒険的野心作という凄まじい振幅を楽しむべしってこと。そして、すべての初体験がそうであるように、大島作品を見るということは、恥ずかしさを感じることの連続だし、観ていてけして「大人」になったりしない潔さがある。その点、結局高尚なインテリ映画の枠に閉じこもるしかなかった吉田喜重や、作家性を放棄した元インテリ・篠田正浩より断然尊敬できる。
とにかく、一人で映画館で観るか、こっそりビデオを借りて観るかして、「なんだこりゃ?」って思ってください。それが「映画の自由」だし、「生きてる自由」なんだから!
最後に、わたしの気になる作品の一言寸評!!
・『日本の夜と霧』
冒頭の霧の中から寮が現れるあたりが、ヒッチコックの『レベッカ』を思わせる、いかにも映画っぽい雰囲気。政治映画との見方からそろそろ決別を!
・『白昼の通り魔』
すばやいカットつなぎの「編集の映画」。技術的野心作?
・『無理心中・日本の夏』
美術・戸田重昌、絶好調の映画という印象。
・『愛の亡霊』
あの淀川長治が珍しく誉めた!
・『マックス・モン・アムール』
わたしの大好きなルイス・ブニュエルの『哀しみのトリスターナ』や『欲望のあいまいな対象』を思わせる洒落た作品。
・『新宿泥棒日記』
佐藤慶と渡辺文雄のセックス談義が物議をかもした、とにかく変な映画。
大島渚フィルモグラフィー
PS:寝てないで書くとテンション高いな、われながら…。
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一般的に世評が高いのは、『飼育』『絞死刑』『儀式』『少年』なんてあたりだろうけど、わたしはこの手のテーマ主義モノはどうも肌が合わなくて苦手。個人的に好きなのは、『悦楽』『日本の夜と霧』『白昼の通り魔』『無理心中・日本の夏』『愛の亡霊』『マックス・モン・アムール』といったミステリー、サスペンス仕立てのテイストがある作品。
大島の出身である松竹といえば、大船調と呼ばれる庶民映画みたいなもののイメージが強いのだけど、かつては松本清張なんかのミステリー物も随分つくっていた。そして、そんな映像話法の伝承が、松竹出身の監督には残っているようだ。(例えば、大島の先輩・中平康も日活に移ってから、良質のミステリー物映画をいろいろつくっている。一例を挙げると、先日亡くなった伊福部昭が音楽を担当した『その壁を砕け』など。)
ところで最初の話に戻ると、大島渚の映画って「羞恥心」がテーマなんじゃないかと思えるほど、観ていて恥ずかしくなるような、臆面もないものが多い。これが「家族と観れない」最大の原因なんだけど、それ故にというのかミニシアターみたいなところでこっそり見た記憶がいつまでも残ってしまうんですよね。
極々個人的な嗜好で言えば、『悦楽』という作品の、シネスコ演出が妙にはまっていて好きなんだけど、この映画を褒めている人に残念ながらわたしは会ったことがない。要するに、大島渚にオピニオンリーダー的なものを求める人たちにはすこぶる評判の悪い作品だってことなんでしょう。でも、若い時の加賀まりこなんかも出ているし、面白いんですけどね…。(後年の『マックス・モン・アムール』の演出につながっていく部分があると思うんだけど。)
比較的軽いタッチの作品に、『帰って来たヨッパライ』とか『日本春歌考』『新宿泥棒日記』なんかもあるけど、このあたりも結構きらいじゃない。『帰って来たヨッパライ』は緑摩子、『日本春歌考』なら伊丹十三がよかったし、『新宿泥棒日記』といえばなんといっても新宿紀伊国屋書店でしょう!(紀伊国屋で横尾忠則が万引きする!)
要するに、ゴシックロマン風な端正な語り口のものと、冒険的野心作という凄まじい振幅を楽しむべしってこと。そして、すべての初体験がそうであるように、大島作品を見るということは、恥ずかしさを感じることの連続だし、観ていてけして「大人」になったりしない潔さがある。その点、結局高尚なインテリ映画の枠に閉じこもるしかなかった吉田喜重や、作家性を放棄した元インテリ・篠田正浩より断然尊敬できる。
とにかく、一人で映画館で観るか、こっそりビデオを借りて観るかして、「なんだこりゃ?」って思ってください。それが「映画の自由」だし、「生きてる自由」なんだから!
最後に、わたしの気になる作品の一言寸評!!
・『日本の夜と霧』
冒頭の霧の中から寮が現れるあたりが、ヒッチコックの『レベッカ』を思わせる、いかにも映画っぽい雰囲気。政治映画との見方からそろそろ決別を!
・『白昼の通り魔』
すばやいカットつなぎの「編集の映画」。技術的野心作?
・『無理心中・日本の夏』
美術・戸田重昌、絶好調の映画という印象。
・『愛の亡霊』
あの淀川長治が珍しく誉めた!
・『マックス・モン・アムール』
わたしの大好きなルイス・ブニュエルの『哀しみのトリスターナ』や『欲望のあいまいな対象』を思わせる洒落た作品。
・『新宿泥棒日記』
佐藤慶と渡辺文雄のセックス談義が物議をかもした、とにかく変な映画。
大島渚フィルモグラフィー
PS:寝てないで書くとテンション高いな、われながら…。
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わたしの乱筆乱文「大島渚論」を読んでいただきありがとうございます。
わたしも本来はクラシックな映画が好きなので、体調のいい日しか大島作品は観たくないんですが(笑)、かつての大島渚ファンとは違う見方で何か言いたいなあってずっと思っていたんですよね。
昔からのファンには『御法度』なんか評判よくなかったらしいですが、わたしは全然違和感なかったし、今や言葉が不自由になってしまった大島渚本人に代わって、観た人が自由に語ればいいと思います。(ただ、放送コードに引っかかりそうな内容のものが多いので地上波ではなかなか放送できないだろうけど。このあたり、立川談志の芸に通じるものがあるなあ~。)
それと、蛭子能収やみうらじゅんが大島ファンだったというあたりも、新しい切り口になるかなって気もしてますね。