ついに、<草稿中>だった一月の芝居の感想もこれで完結です!
【夜の部】
①鳥辺山心中
この芝居見直しましたよ、正直言って。
そもそも岡本綺堂の芝居が嫌いな上に、以前歌舞伎座で観た幸四郎のこの芝居があまりに野暮なものだったので、なんでこんな芝居パリまで行ってやったんだ(海老蔵襲名パリ公演のこと)と思っていたのだけど、海老蔵・菊之助の若手コンビにこの芝居の面白さを教わった感じ。こういうことは、個人的には「鳴神」以来ですね。
何が良かったかといって、幸四郎がやった時は血迷った堅物の捨て鉢な心中のような気がしたこの芝居が、追い詰められた若い男女のスイートな(なんか淀川長治風の言い方だな!)恋と心中というように思えてきたということ。こずるいオトナなら裏から手を廻すなりしてしのいだかもしれない状況を、若いがゆえに真正面から受け止めて自分たちを追い詰めて行ってしまう若者像。芝居で言うと、月並みながら「ロミオとジュリエット」、映画で言えば「暗黒街の弾痕」(フリッツ・ラング監督)「夜の人々」(ニコラス・レイ監督)という感じか。
この芝居のお染という役。設定上は男を一人しか知らない遊女の役なんですが、菊之助みたいな若手女形がやった方がやはりしっくりする。ほとんど同意が得られない自説なんですが、菊之助と最近の宮沢りえには何か通じるものがあるという説を私は以前から唱えていて、今回の芝居の「はかなさ」はまさにそんな感じだという気がするんですが…。父親与兵衛とのやりとりなんかはしみじみして、この役の真面目さやはかなさを際立たせていると思う。
一方、海老蔵の半九郎。幸四郎のときはなにやら<堅物の遊び>のような感じがしたこの役。海老蔵はこの役を、真面目すぎず遊び人すぎずの、普通の等身大の若者として演じているように思われた。(打算のない部分も含めて。)要するに、あんまり真面目なオトナの役にしてしまうと、後半の展開からして、<真面目なオトナにしては分別がない=バカ>という印象が残るということなのでしょう。この役が普通の若者であるがゆえに、友人である市之助(松緑)とその弟源三郎(市蔵)とのやりとりが、普通の若者のありがちなやりとりやいざこざに思われてくるわけで、源三郎を切り殺してしまうくだりも同情が湧きやすい。
最後の四条河原の二人の姿は、情緒たっぷりで舞台写真も買ってしまったし、堪能させてもらいました。これなら、パリ・シャイヨー宮の観客も満足したことでしょう。(因みにここにはシネマテークもある。エッフェル塔が見える抜群のロケーションでいいとこですよ!)パリ公演はDVDになるそうなので買おうかなと思ってしまう舞台でした。
・暗黒街の弾痕
・夜の人々
②六歌仙容彩
今回は「文屋」と「喜撰」。
古典の授業なんかでお馴染み、古今集の仮名序に出てくる六歌仙。六歌仙を材料(パロディ)にした舞踊なんだけど、要するに江戸時代の歌舞伎の観客層だった商人たちは古今集なんかの知識を教養として持っていたってことなんですよね。昨今議論の教育改革も「百人一首ぐらいは暗記せよ」ということなら多少同意してもいいんだけど…。
どうでもいい話はともかく、今回の「文屋」は松緑。色好みの文屋康秀が小野小町に会いに御殿にやってくるが、それを邪魔する官女たちという趣向。体格立派で真面目できっぱりとした役が似合う松緑。色好みの役というのは多少無理あったかなというのが私の印象。色好みの役って、柔らかさやしなやかさが必要な感じがするんですよね。(もっとも現在の"色好み”は無骨な感じなのかもしれないが?)過去の上演記録を見ても、富十郎、三津五郎、勘九郎、鴈治郎!みんな私生活も色好みっぽいというのは私の偏見か?
続いて、「喜撰」は菊五郎の初役。初役だったというのは意外だったのだけど、期待していたわりには印象薄。三津五郎とは違った色気を期待していたのだけど、お梶の菊之助も含めて個人的には消化不良。
ただこの幕、なんと言っても清元延寿太夫(父)の清元に、岡村研佑改め尾上右近くん(子)の踊りという見せ場があって、ここはなんといっても沸いたところ。しかし、この子は役者からも観客からも祝福されている子だなあと改めて実感。踊りの名手といわれるような役者になりますね、きっと。因みに一月のイヤホンガイドのチラシの表紙は、右近くんの着物を直している菊五郎の写真。とてもいい写真ですね。イヤホンガイドのチラシの表紙写真は場内で売ってる舞台写真よりいい写真が多いと思っているのは私だけかな?
③御所五郎蔵
去年の仁左衛門・玉三郎コンビの「御所五郎蔵」の記憶がまだ新しいところ、今回は團十郎の東京復帰芝居。
まず、第一幕仲ノ町の場。華やかな桜咲く吉原の舞台に、星影土右衛門役の左團次と御所五郎蔵の團十郎。素直な印象で言うと、「團十郎、随分元気になったな」という気がした。昼の部の「文七元結」はちょっとした役だったので、大きな役としてはこの芝居で見るのが久しぶり。病後だし、多少力感が落ちていたりするのかと思ったら、そんな感じは見受けられず、むしろ相手役の左團次の方が若干元気ないかなと思えたほど。(だから、ニ劇場掛け持ちはよくないんだって!)気持ちのいい渡り台詞のあと、間に入る甲屋与五郎の菊五郎。平成の團菊左が揃って、やっぱり絵になる初芝居!
團十郎の五郎蔵は、仁左衛門のさわやかさや菊五郎の江戸前調とは違った、荒事調のようなところがあって、いかつさがある。これは今の團十郎独特のもので、継承されえない貴重な芸風だと私は思うのですが、まあ好き嫌いは分かれるのでしょう。
第二幕、福助演じる皐月に五郎蔵が「愛想づかし」されるくだり。ここは、心ならずも皐月が金策のために「愛想づかし」するところなのだが、福助の思い入れがやはり今一歩。「籠釣瓶」もそうだけど、心ならずも敢えて冷たく出る重要な芝居。おとなしいというのかなんだか地味で、印象薄かった。(歌舞伎座・夜の部ニ幕目、「土蜘」に出た後だとはいえ。)どっちかというと五郎蔵をなだめる逢州(松也)の女形姿のすっきりとした綺麗さの方に私は目が行った。
最後、廓内夜更の場。ここの團十郎は元気一杯の挑みかかり。やっぱり随分元気になって、もう心配ないなと実感。なんだか大甘の感想ながら、素直に嬉しい舞台でした。でも、やっぱり繰り返すようですが、重要な役のニ劇場掛け持ちはよくないですよ!松竹さん!
今回端折った芝居のストーリーはこちらをどうぞ!
【夜の部】
①鳥辺山心中
この芝居見直しましたよ、正直言って。
そもそも岡本綺堂の芝居が嫌いな上に、以前歌舞伎座で観た幸四郎のこの芝居があまりに野暮なものだったので、なんでこんな芝居パリまで行ってやったんだ(海老蔵襲名パリ公演のこと)と思っていたのだけど、海老蔵・菊之助の若手コンビにこの芝居の面白さを教わった感じ。こういうことは、個人的には「鳴神」以来ですね。
何が良かったかといって、幸四郎がやった時は血迷った堅物の捨て鉢な心中のような気がしたこの芝居が、追い詰められた若い男女のスイートな(なんか淀川長治風の言い方だな!)恋と心中というように思えてきたということ。こずるいオトナなら裏から手を廻すなりしてしのいだかもしれない状況を、若いがゆえに真正面から受け止めて自分たちを追い詰めて行ってしまう若者像。芝居で言うと、月並みながら「ロミオとジュリエット」、映画で言えば「暗黒街の弾痕」(フリッツ・ラング監督)「夜の人々」(ニコラス・レイ監督)という感じか。
この芝居のお染という役。設定上は男を一人しか知らない遊女の役なんですが、菊之助みたいな若手女形がやった方がやはりしっくりする。ほとんど同意が得られない自説なんですが、菊之助と最近の宮沢りえには何か通じるものがあるという説を私は以前から唱えていて、今回の芝居の「はかなさ」はまさにそんな感じだという気がするんですが…。父親与兵衛とのやりとりなんかはしみじみして、この役の真面目さやはかなさを際立たせていると思う。
一方、海老蔵の半九郎。幸四郎のときはなにやら<堅物の遊び>のような感じがしたこの役。海老蔵はこの役を、真面目すぎず遊び人すぎずの、普通の等身大の若者として演じているように思われた。(打算のない部分も含めて。)要するに、あんまり真面目なオトナの役にしてしまうと、後半の展開からして、<真面目なオトナにしては分別がない=バカ>という印象が残るということなのでしょう。この役が普通の若者であるがゆえに、友人である市之助(松緑)とその弟源三郎(市蔵)とのやりとりが、普通の若者のありがちなやりとりやいざこざに思われてくるわけで、源三郎を切り殺してしまうくだりも同情が湧きやすい。
最後の四条河原の二人の姿は、情緒たっぷりで舞台写真も買ってしまったし、堪能させてもらいました。これなら、パリ・シャイヨー宮の観客も満足したことでしょう。(因みにここにはシネマテークもある。エッフェル塔が見える抜群のロケーションでいいとこですよ!)パリ公演はDVDになるそうなので買おうかなと思ってしまう舞台でした。
・暗黒街の弾痕
・夜の人々
②六歌仙容彩
今回は「文屋」と「喜撰」。
古典の授業なんかでお馴染み、古今集の仮名序に出てくる六歌仙。六歌仙を材料(パロディ)にした舞踊なんだけど、要するに江戸時代の歌舞伎の観客層だった商人たちは古今集なんかの知識を教養として持っていたってことなんですよね。昨今議論の教育改革も「百人一首ぐらいは暗記せよ」ということなら多少同意してもいいんだけど…。
どうでもいい話はともかく、今回の「文屋」は松緑。色好みの文屋康秀が小野小町に会いに御殿にやってくるが、それを邪魔する官女たちという趣向。体格立派で真面目できっぱりとした役が似合う松緑。色好みの役というのは多少無理あったかなというのが私の印象。色好みの役って、柔らかさやしなやかさが必要な感じがするんですよね。(もっとも現在の"色好み”は無骨な感じなのかもしれないが?)過去の上演記録を見ても、富十郎、三津五郎、勘九郎、鴈治郎!みんな私生活も色好みっぽいというのは私の偏見か?
続いて、「喜撰」は菊五郎の初役。初役だったというのは意外だったのだけど、期待していたわりには印象薄。三津五郎とは違った色気を期待していたのだけど、お梶の菊之助も含めて個人的には消化不良。
ただこの幕、なんと言っても清元延寿太夫(父)の清元に、岡村研佑改め尾上右近くん(子)の踊りという見せ場があって、ここはなんといっても沸いたところ。しかし、この子は役者からも観客からも祝福されている子だなあと改めて実感。踊りの名手といわれるような役者になりますね、きっと。因みに一月のイヤホンガイドのチラシの表紙は、右近くんの着物を直している菊五郎の写真。とてもいい写真ですね。イヤホンガイドのチラシの表紙写真は場内で売ってる舞台写真よりいい写真が多いと思っているのは私だけかな?
③御所五郎蔵
去年の仁左衛門・玉三郎コンビの「御所五郎蔵」の記憶がまだ新しいところ、今回は團十郎の東京復帰芝居。
まず、第一幕仲ノ町の場。華やかな桜咲く吉原の舞台に、星影土右衛門役の左團次と御所五郎蔵の團十郎。素直な印象で言うと、「團十郎、随分元気になったな」という気がした。昼の部の「文七元結」はちょっとした役だったので、大きな役としてはこの芝居で見るのが久しぶり。病後だし、多少力感が落ちていたりするのかと思ったら、そんな感じは見受けられず、むしろ相手役の左團次の方が若干元気ないかなと思えたほど。(だから、ニ劇場掛け持ちはよくないんだって!)気持ちのいい渡り台詞のあと、間に入る甲屋与五郎の菊五郎。平成の團菊左が揃って、やっぱり絵になる初芝居!
團十郎の五郎蔵は、仁左衛門のさわやかさや菊五郎の江戸前調とは違った、荒事調のようなところがあって、いかつさがある。これは今の團十郎独特のもので、継承されえない貴重な芸風だと私は思うのですが、まあ好き嫌いは分かれるのでしょう。
第二幕、福助演じる皐月に五郎蔵が「愛想づかし」されるくだり。ここは、心ならずも皐月が金策のために「愛想づかし」するところなのだが、福助の思い入れがやはり今一歩。「籠釣瓶」もそうだけど、心ならずも敢えて冷たく出る重要な芝居。おとなしいというのかなんだか地味で、印象薄かった。(歌舞伎座・夜の部ニ幕目、「土蜘」に出た後だとはいえ。)どっちかというと五郎蔵をなだめる逢州(松也)の女形姿のすっきりとした綺麗さの方に私は目が行った。
最後、廓内夜更の場。ここの團十郎は元気一杯の挑みかかり。やっぱり随分元気になって、もう心配ないなと実感。なんだか大甘の感想ながら、素直に嬉しい舞台でした。でも、やっぱり繰り返すようですが、重要な役のニ劇場掛け持ちはよくないですよ!松竹さん!
今回端折った芝居のストーリーはこちらをどうぞ!
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