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いやあ~、三月もじきに終わりですね~。というわけで、いまさら二月の文楽の感想っ。
①花競四季寿(万才、海女、関寺小町、鷺娘)
四季にちなんだ、舞踊四題ってところですが、万才、海女、関寺小町、鷺娘のなかだと、わたしは清十郎の海女がなかなか艶っぽくてよかったですね。「俊寛」に出てくる千鳥ってこういうイメージなんだろうなって感じで。
文雀の「関寺小町」はこのひとの十八番で、老いた小野小町の寂しさは、箕助さんよりこの人のほうがよく似合う。
最後の「鷺娘」は和生だけど、歌舞伎との違いは傘の使い方じゃないですかね?傘を使って、鳥の精であることを示す軽さって、人間では無理ですものね~。
ところで、この日はたまたま床の近くだったんだけど、三味線鶴澤清治の眼光の鋭さになんだか圧倒させられました。NHKで放送された住大夫との対決を思い出しました!
しかし、ちょっと怖かった(笑)!
②嬢景清八嶋日記
平家の武将・悪質兵衛景清って、古典のなかでは人気がありますよね~。
歌舞伎では「阿古屋」とか「景清」があるし、落語でも「景清」って話があって、東京版もいいけど、関西版が面白いですよね。
さて、そんな人気者景清とその娘をめぐる物語で、松本白鸚が八世竹本綱大夫と歌舞伎、文楽の垣根を越えた共演を果たしたことでも有名な演目。(今の吉右衛門もこの演目を書き改めた新作を書いている。)
前半の「花菱屋の段」では、床は千歳大夫と清介のコンビ。
これが、予想外に良かったんですよ。
景清の娘糸滝が身を売って目の見えない父親を助けようとするくだり。
小言婆の女房とおっとりした亭主の語りわけが自然だったし、特に亭主の語りに説得力が増した。紋寿の人形(左治太夫)も良かったしね。(しかし、このひと随分髪が白くなった!)
そして、勘十郎の糸滝の人形が出色の出来!!!
下手から登場するときの、幽霊のようなスッとした出が、ドストエフスキーの『罪と罰』のソーニャを連想してしまうような、この世のものじゃない凄い存在感!
門口で待っているときのうつむいた表情。内に入ってからの、静謐な雰囲気!とにかく、この人の芸は一段上がった印象だなあ~、去年から!
そして、いよいよ、切場。「日向島の段」。
ココの床は八世綱大夫の子息咲大夫と燕三。
白木の見台、舞台に青竹が使われたり、語りの出だしが謡になっていたりと、格式高い難曲なんですよね~、このくだり。
で、玉女の遣う景清の人形だけど、出だしが少し体の硬い景清って感じがしたかな。玉男さんのビデオでは動きが少なくて、小さな動きのなかに動物化した人間を表現していたんだけど、猫背の小さな呼吸に割合力感が残っていて、玉男さんに比べると、元気な景清って感じか。なので、黒澤明の『どですかでん』に出てきそうなキャラになっているな~なんてわたしは思った。(それと、重盛の位牌を拝むところが少し長いような気も…。)
一方、左治太夫と一緒に登場の糸滝(勘十郎)。景清に駆け寄り、座り、小さな胸が呼吸する、その小さな動きの激情が、師匠蓑助ばりのミニマリズムでしたね。最後の引っ込むところも哀れでよかったし。
語りでいうと、八世綱大夫、住大夫、咲大夫そして、歌舞伎の白鸚との比較では、綱・住・白鸚は昭和の大会社の重役以上の貫禄がありますね(山本薩夫の映画のイメージ)。その点でいうと、咲大夫は今の中小企業の社長くらいか…。
特に、先代綱大夫って、お武家さんでは師匠の山城少掾以上に勇壮というか、迫力満点ですね。その点でも、英雄役者白鸚と通じる部分があったんだなって、ビデオを見て思いました。
一方、住大夫だと、世話物的な嘆きの情があるんですよね。
さて、今回の咲大夫だと、娘が農家に嫁いだと聞いたくだりと実は身を売ったんだと聞かされたくだりの二箇所で、見台を手で打つ大熱演。しかし、力感はあったものの、語り分けが不十分で、深い感銘まではいかなかったですね。
なお、景清と糸滝の二度目の再会で、景清が見えない赤い目で糸滝を見ようとする場面。人形の赤い目はやっぱり強烈な印象ですね。だからなんでしょう、白鸚が失明の危険を顧みずに、赤いコンタクトを入れて芝居したという伝説があるのは。
咲大夫にとっては、永遠に取り組み続ける大曲なんでしょうね~。
以上、簡単な感想でした。
①花競四季寿(万才、海女、関寺小町、鷺娘)
四季にちなんだ、舞踊四題ってところですが、万才、海女、関寺小町、鷺娘のなかだと、わたしは清十郎の海女がなかなか艶っぽくてよかったですね。「俊寛」に出てくる千鳥ってこういうイメージなんだろうなって感じで。
文雀の「関寺小町」はこのひとの十八番で、老いた小野小町の寂しさは、箕助さんよりこの人のほうがよく似合う。
最後の「鷺娘」は和生だけど、歌舞伎との違いは傘の使い方じゃないですかね?傘を使って、鳥の精であることを示す軽さって、人間では無理ですものね~。
ところで、この日はたまたま床の近くだったんだけど、三味線鶴澤清治の眼光の鋭さになんだか圧倒させられました。NHKで放送された住大夫との対決を思い出しました!
しかし、ちょっと怖かった(笑)!
②嬢景清八嶋日記
平家の武将・悪質兵衛景清って、古典のなかでは人気がありますよね~。
歌舞伎では「阿古屋」とか「景清」があるし、落語でも「景清」って話があって、東京版もいいけど、関西版が面白いですよね。
さて、そんな人気者景清とその娘をめぐる物語で、松本白鸚が八世竹本綱大夫と歌舞伎、文楽の垣根を越えた共演を果たしたことでも有名な演目。(今の吉右衛門もこの演目を書き改めた新作を書いている。)
前半の「花菱屋の段」では、床は千歳大夫と清介のコンビ。
これが、予想外に良かったんですよ。
景清の娘糸滝が身を売って目の見えない父親を助けようとするくだり。
小言婆の女房とおっとりした亭主の語りわけが自然だったし、特に亭主の語りに説得力が増した。紋寿の人形(左治太夫)も良かったしね。(しかし、このひと随分髪が白くなった!)
そして、勘十郎の糸滝の人形が出色の出来!!!
下手から登場するときの、幽霊のようなスッとした出が、ドストエフスキーの『罪と罰』のソーニャを連想してしまうような、この世のものじゃない凄い存在感!
門口で待っているときのうつむいた表情。内に入ってからの、静謐な雰囲気!とにかく、この人の芸は一段上がった印象だなあ~、去年から!
そして、いよいよ、切場。「日向島の段」。
ココの床は八世綱大夫の子息咲大夫と燕三。
白木の見台、舞台に青竹が使われたり、語りの出だしが謡になっていたりと、格式高い難曲なんですよね~、このくだり。
で、玉女の遣う景清の人形だけど、出だしが少し体の硬い景清って感じがしたかな。玉男さんのビデオでは動きが少なくて、小さな動きのなかに動物化した人間を表現していたんだけど、猫背の小さな呼吸に割合力感が残っていて、玉男さんに比べると、元気な景清って感じか。なので、黒澤明の『どですかでん』に出てきそうなキャラになっているな~なんてわたしは思った。(それと、重盛の位牌を拝むところが少し長いような気も…。)
一方、左治太夫と一緒に登場の糸滝(勘十郎)。景清に駆け寄り、座り、小さな胸が呼吸する、その小さな動きの激情が、師匠蓑助ばりのミニマリズムでしたね。最後の引っ込むところも哀れでよかったし。
語りでいうと、八世綱大夫、住大夫、咲大夫そして、歌舞伎の白鸚との比較では、綱・住・白鸚は昭和の大会社の重役以上の貫禄がありますね(山本薩夫の映画のイメージ)。その点でいうと、咲大夫は今の中小企業の社長くらいか…。
特に、先代綱大夫って、お武家さんでは師匠の山城少掾以上に勇壮というか、迫力満点ですね。その点でも、英雄役者白鸚と通じる部分があったんだなって、ビデオを見て思いました。
一方、住大夫だと、世話物的な嘆きの情があるんですよね。
さて、今回の咲大夫だと、娘が農家に嫁いだと聞いたくだりと実は身を売ったんだと聞かされたくだりの二箇所で、見台を手で打つ大熱演。しかし、力感はあったものの、語り分けが不十分で、深い感銘まではいかなかったですね。
なお、景清と糸滝の二度目の再会で、景清が見えない赤い目で糸滝を見ようとする場面。人形の赤い目はやっぱり強烈な印象ですね。だからなんでしょう、白鸚が失明の危険を顧みずに、赤いコンタクトを入れて芝居したという伝説があるのは。
咲大夫にとっては、永遠に取り組み続ける大曲なんでしょうね~。
以上、簡単な感想でした。
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