こういう話について書くのはなかなか勇気がいるんだけど、無責任の立場からひとことだけ。血筋と伝統がほとんど唯一のアイデンティティである皇室で、女帝は認めても女系はどうかな~、というのが私の見方なんですが、その事とは別に、天皇になるにはせめて和歌がうまいことっていうのを必要条件にしてもらいたいって気もするんですけどね…。
わたしが天皇と和歌ってものの関係をなんとなく納得したのは、昭和天皇が南方熊楠の死を悼んで詠んだ和歌があるっていうのを知ってから。
生物学者としても知られる昭和天皇が、世界的に知られる存在ながら無位無官の学者・南方熊楠に会ったのは、昭和四年の白浜行幸の折、小雨降る六月一日のこと。その時のことを昭和天皇は、戦後渋沢敬三にこう語っている。
「南方にはおもしろいことがあったよ。長門(御召艦)に来た折、珍しい田辺附近産の動植物の標本を献上されたがね、普通献上というと桐の箱か何かに入れて来るのだが、南方はキャラメルのボール箱に入れてきてね……それでいいじゃないか。」
そして、昭和三七年五月、再び南紀白浜へ行幸した昭和天皇は次のような歌を詠む。
雨にけぶる神島を見て紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ
政治に翻弄されて生きた昭和天皇にとって、一種の逃げ込む場所だったともいわれる生物学。そんな政治を通さない、いわば“自然”が産んだこの一瞬の邂逅は、人間・昭和天皇にとっても深い印象を残したということなのだろう。
万葉集の世界なんかを彷彿とさせるこの話を知ってから、古来和歌ってモノをはこんな風にして詠まれてきたんじゃないかって、わたしは思うようになった。だから、天皇が歌を詠むっていう文化も捨てたもんじゃあないなと今は感じている。
南方熊楠記念館
で、最初の話に戻して、女性天皇の容認の話。有史以来、男系男子または男系女子という事になっている皇位継承問題を、たまさか現代の尺度だからって変えてしまって「女系もあり」って決めてしまうことは、わたしにはおおいに疑問。だいたい、生物学的にどうこうというような理屈の問題を言い出したら、天皇制自体が理不尽だって結論まで行ってしまう気もしてくるし…。というわけで、古さとか伝統それ自体がアイデンティティである一家なんだから、伝統をまずは守るしかないと思うんですよね。で、それでにっちもさっちも行かなくなったら、皇室の家族会議で決めてくれっていうのがわたしの考え。
(因みに、ヨーロッパの王室は各国の王室間で婚姻を繰り返している存在だから、男系、女系ということは問題にならないわけでしょ?だから、天皇とは性格が違う。)
もちろん、家族会議じゃあ、法律論としても滅茶苦茶なのは百も承知なんだけど、どうも有識者会議とか世論調査ってものとは相容れない話のような気がしてしょうがないんですよね、この件は。
最後にまったく関係ないけど、わたしのお気に入りの天皇御手製の歌は、百人一首に入っているこの歌。
筑波嶺のみねより落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院
注:男女川は「だんじょがわ」じゃなくて、「みなのがわ」です!
この歌を読んだ陽成院という天皇の母親は、在原業平との恋で知られる藤原高子。伊勢物語には、男がさらってきた女を鬼に食べられてしまう「芥川の段」というのがあるんだけど、このモデルになったのがこの藤原高子という女性。(つまり、駆け落ちしたんだけど兄たちに連れ戻されたって話が元なんですね。)そして、在原業平と引き裂かれて、清和天皇のもとに入内して産まれたのが陽成院(陽成天皇)なわけだけど、この天皇って母親の血を色濃く受け継いだのか、エキセントリックなところがあって(例えば動物虐待癖など)、かばい切れなくなった藤原一族が廃帝にしてしまうんですよね~。
先日、尾上松緑が宙乗りをやって演じた崇徳院の歌(瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ)もそうだけど、心の闇を感じるような歌がわたしの好み。そんな歌が詠める天皇なら個人的にはOKなんですけど…。
女性・女系天皇論議に学者らがコメント (朝日新聞) - goo ニュース
<参考>
わたしが天皇と和歌ってものの関係をなんとなく納得したのは、昭和天皇が南方熊楠の死を悼んで詠んだ和歌があるっていうのを知ってから。
生物学者としても知られる昭和天皇が、世界的に知られる存在ながら無位無官の学者・南方熊楠に会ったのは、昭和四年の白浜行幸の折、小雨降る六月一日のこと。その時のことを昭和天皇は、戦後渋沢敬三にこう語っている。
「南方にはおもしろいことがあったよ。長門(御召艦)に来た折、珍しい田辺附近産の動植物の標本を献上されたがね、普通献上というと桐の箱か何かに入れて来るのだが、南方はキャラメルのボール箱に入れてきてね……それでいいじゃないか。」
そして、昭和三七年五月、再び南紀白浜へ行幸した昭和天皇は次のような歌を詠む。
雨にけぶる神島を見て紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ
政治に翻弄されて生きた昭和天皇にとって、一種の逃げ込む場所だったともいわれる生物学。そんな政治を通さない、いわば“自然”が産んだこの一瞬の邂逅は、人間・昭和天皇にとっても深い印象を残したということなのだろう。
万葉集の世界なんかを彷彿とさせるこの話を知ってから、古来和歌ってモノをはこんな風にして詠まれてきたんじゃないかって、わたしは思うようになった。だから、天皇が歌を詠むっていう文化も捨てたもんじゃあないなと今は感じている。
南方熊楠記念館
で、最初の話に戻して、女性天皇の容認の話。有史以来、男系男子または男系女子という事になっている皇位継承問題を、たまさか現代の尺度だからって変えてしまって「女系もあり」って決めてしまうことは、わたしにはおおいに疑問。だいたい、生物学的にどうこうというような理屈の問題を言い出したら、天皇制自体が理不尽だって結論まで行ってしまう気もしてくるし…。というわけで、古さとか伝統それ自体がアイデンティティである一家なんだから、伝統をまずは守るしかないと思うんですよね。で、それでにっちもさっちも行かなくなったら、皇室の家族会議で決めてくれっていうのがわたしの考え。
(因みに、ヨーロッパの王室は各国の王室間で婚姻を繰り返している存在だから、男系、女系ということは問題にならないわけでしょ?だから、天皇とは性格が違う。)
もちろん、家族会議じゃあ、法律論としても滅茶苦茶なのは百も承知なんだけど、どうも有識者会議とか世論調査ってものとは相容れない話のような気がしてしょうがないんですよね、この件は。
最後にまったく関係ないけど、わたしのお気に入りの天皇御手製の歌は、百人一首に入っているこの歌。
筑波嶺のみねより落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院
注:男女川は「だんじょがわ」じゃなくて、「みなのがわ」です!
この歌を読んだ陽成院という天皇の母親は、在原業平との恋で知られる藤原高子。伊勢物語には、男がさらってきた女を鬼に食べられてしまう「芥川の段」というのがあるんだけど、このモデルになったのがこの藤原高子という女性。(つまり、駆け落ちしたんだけど兄たちに連れ戻されたって話が元なんですね。)そして、在原業平と引き裂かれて、清和天皇のもとに入内して産まれたのが陽成院(陽成天皇)なわけだけど、この天皇って母親の血を色濃く受け継いだのか、エキセントリックなところがあって(例えば動物虐待癖など)、かばい切れなくなった藤原一族が廃帝にしてしまうんですよね~。
先日、尾上松緑が宙乗りをやって演じた崇徳院の歌(瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ)もそうだけど、心の闇を感じるような歌がわたしの好み。そんな歌が詠める天皇なら個人的にはOKなんですけど…。
女性・女系天皇論議に学者らがコメント (朝日新聞) - goo ニュース
<参考>
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陽成院や崇徳院の歌は百人一首にも有りますから、私も知って居ましたが、昭和天皇の歌は知りませんでした。
南方熊楠との話は素敵なはなしですね。
いい話を有難う御座いました。