今月は国立で勧進帳をやっていますし、ちょっと勧進帳について、つらつらと考えてみようかな。
(初日に見たのに感想まだです。途中までは書いてあるのですが…。)
評論家の渡辺保氏が著書のなかで、「今、弁慶向きの役者は、①段四郎、②海老蔵、③三津五郎」というようなことを言っていて、思わず唸ってしまった、随分大胆な発言だと。
歌舞伎の好きな方ならわかると思うのですが、今、弁慶役者といえば、普通は團十郎と幸四郎。それをあえて思いっきり外している。この二人の弁慶についてはまた別のところで触れたいのですが、私が弁慶を見たい役者三人というのが実は昔からあって、それは①段四郎、②左團次、③吉右衛門なんです。そう、つまり段四郎については渡辺氏となんと同意見!
私が段四郎を好きなのは、このブログを読んで頂いてる方はなんとなくお気づきでしょうが、何やら古怪な家老風の見た目と立派な太い声。なぜか七代目幸四郎の声のテープを連想するんですよね。(七代目、八代目と続いた地声のでかい高麗屋の血筋が、当代と染五郎に引き継がれていないのがなんだか不思議。)
以前、12月に團十郎の弁慶、猿之助の富樫の勧進帳がありましたが、残念ながらその頃体調を壊して、私は未見。いつか、段四郎=弁慶、猿之助=富樫、兄弟競演の勧進帳をやってほしいですね。ひょっとしたら巡業ではやっているのかもしれませんが。
左團次、吉右衛門は過去に弁慶やってると思うのですが、最近やってないですよね。要するに私の見たい弁慶は、過剰な心理主義を配した鉄面皮というか、立派な強面のペルソナとしての弁慶なんです。近代人めいた弁慶じゃ、なんだか中間管理職みたいで…。この辺が幸四郎と三津五郎に対する私の批判なんですけどね。
次回は富樫について!
(初日に見たのに感想まだです。途中までは書いてあるのですが…。)
評論家の渡辺保氏が著書のなかで、「今、弁慶向きの役者は、①段四郎、②海老蔵、③三津五郎」というようなことを言っていて、思わず唸ってしまった、随分大胆な発言だと。
歌舞伎の好きな方ならわかると思うのですが、今、弁慶役者といえば、普通は團十郎と幸四郎。それをあえて思いっきり外している。この二人の弁慶についてはまた別のところで触れたいのですが、私が弁慶を見たい役者三人というのが実は昔からあって、それは①段四郎、②左團次、③吉右衛門なんです。そう、つまり段四郎については渡辺氏となんと同意見!
私が段四郎を好きなのは、このブログを読んで頂いてる方はなんとなくお気づきでしょうが、何やら古怪な家老風の見た目と立派な太い声。なぜか七代目幸四郎の声のテープを連想するんですよね。(七代目、八代目と続いた地声のでかい高麗屋の血筋が、当代と染五郎に引き継がれていないのがなんだか不思議。)
以前、12月に團十郎の弁慶、猿之助の富樫の勧進帳がありましたが、残念ながらその頃体調を壊して、私は未見。いつか、段四郎=弁慶、猿之助=富樫、兄弟競演の勧進帳をやってほしいですね。ひょっとしたら巡業ではやっているのかもしれませんが。
左團次、吉右衛門は過去に弁慶やってると思うのですが、最近やってないですよね。要するに私の見たい弁慶は、過剰な心理主義を配した鉄面皮というか、立派な強面のペルソナとしての弁慶なんです。近代人めいた弁慶じゃ、なんだか中間管理職みたいで…。この辺が幸四郎と三津五郎に対する私の批判なんですけどね。
次回は富樫について!
普通、悪口として使われる「鉄面皮=厚顔」という言葉をあえて使っているのは、歌舞伎ファンの中に根強く残る「團十郎大根役者説」を撃ちたいからなんですよね。私は「今の團十郎=シュトロハイム」説をかねてから唱えていて、以前、<私の役者一口寸評>にもチラッと書いたのですが、彼の元気なうちにこの論を広めようと目論んでいます。(なので、今年の彼の入院はビックリしたな…。)
明治以前以後で歌舞伎の演技は随分変わったといわれますが(西洋演劇の影響など)、明治以前はもっと様式的だったといいます。それは、日本の隠れ里などに伝わる郷土歌舞伎(昔の村人が江戸時代に江戸でみた歌舞伎をそのまま伝承し今でも檜枝岐村などでやっている歌舞伎)などからもわかるようです。
私は今の團十郎に明治以前のような特異な様式性を感じてるんです。多分こうした芸風は、芸の上では継承されえない彼独自のものでしょう。(本人が自覚しているかどうかはともかく。)
いずれこの論を展開したいと思っているので、よろしければお読みください。
因みに、『キル・ビル』という映画の栗山千明の演技は「歌舞伎」だと思いました。「心理」なんか感じられなくて、ひたすら気持ちいい。
でも、彼女の役を日本人の監督が演出したら、きっと「心理」のうるさい芝居になったろうなというところが、私の悲嘆なんですが…。