
長らく「かぶき讃(劇評)」を書いてなかったんで、ちょっと試運転ということで、簡単に・・・。
①女暫(おんなしばらく)
歌舞伎十八番「暫(しばらく)」のパロディであるこの芝居だけど、率直にいってしまえば、幕外の引っ込みの際に出てくる舞台番とヒロイン・巴御前のやり取りの、まさにその俗っぽい大衆性で、いまや辛うじてもっているという感は否めない・・・、なんていってしまったら怒られますかね?
でも、江戸の庶民は「暫」という芝居の底抜けのダイナミズムを楽しんでいたわけで、歌舞伎におけるダイナミズムとは<声の饗宴>ですから、今回の出演陣の元気とヒロインのコケットリーさえ楽しめれば、何も最後の幕外まで欠伸してなくてもいいはずなんですよね~。
で、今回の出演陣(勘三郎一座)ですが、菊五郎劇団系の声と腹出しの迫力に比べて見劣りするのではというわたしの想像を超えて、なかなか健闘してました。
個人的には、勘太郎・七之助兄弟、特に七之助の女鯰(おんななまず)は台詞に力があって、「このひと、近頃女形に自信を持ってきたな。」という印象を持ちました。
それに、弥十郎、亀蔵、市蔵はやっぱり立派。
というわけで、いよいよヒロイン・巴御前の福助ですが、花道奥の台詞に張りがあったし、近年見た雀右衛門、萬次郎の巴御前に比べて若々しさはありました。
それに、この芝居はちょっとクサイぐらいじゃないと面白くないので、本来的に福助にあっていたような気もするし、元気のよさという点でいえば、まあまあくらいではありましたね。
ただコケットリーでいうと、「歌右衛門の大袈裟さ」と「芝翫の俗っぽさ」を合わせた方向性が、たとえば亡くなった澤村宗十郎みたいな太平楽な路線にいったなら、まさにわたしの好みだったんだけど、少なくとも舞台後半に関しては、宗十郎の「浮世離れ」した飛翔感とは対照的に、どこか「飯屋の女中」みたいな、庶民的な線に墜落していった印象があるんですよ。
(特に、幕外。もっとも、女形の芝居としては非常に体力を使う演目なのかもしれない。)
春風駘蕩、堂々として、晴れがましいままで終わっていたら、近年で一番カッコイイ巴御前だったんだけどなあ~。
というわけで、悪くはなかったんだけど、最後はちょっとってところが、わたしの正直な感想なのでした・・・。
②三人連獅子
中村橋之助・国生親子に中村扇雀の三人で親子獅子。
国生くんに限らず、橋之助の子供たちってぽっちゃり型ですよね。
で、扇雀の角ばった大きな顔と細面の橋之助、丸顔の国生くんの組み合わせが、妙に親子っぽくみえて、不思議でした。まあ、それくらいかな。
③らくだ
落語の世界では大ネタのひとつ「らくだ」。でも、歌舞伎の舞台では、軽い喜劇として演じられることが多くて、菊五郎劇団でも勘三郎一座でもやり方に大差はないようですね。
そもそもこの噺は、生と死をない交ぜにしたシュールなものなのであって、現在だって、立川談志や柳家小三治の「らくだ」はもっと暗いし、おっかない要素を持っている。
「どうして歌舞伎ではああなっちゃうのかな~」、「別の演出ってないのかな~」、とはいつも思うのですが、さて、今回は・・・。
「らくだ」という名の無頼漢の死、「手斧目(ておのめ)半次」というらくだの兄貴分のこれまた無頼漢、そして気弱な「紙屑買」。
三人の力関係の逆転がこのストーリーの肝なのですが、冒頭の三津五郎の半次がちょっと物分りがよさ過ぎてしまうのは問題。
落語では、この役、かなり怖い人物として演じられるわけですが、小山三演じる老婆とのやり取りが、やや牧歌的で、少なくとも、ここでは無頼漢には見えなかった。(まあ、観客としては小山三さんが見れただけでOKということなんでしょうけれど・・・。)
といっても、この点に関しては、岡鬼太郎の脚色や榎本滋民の演出に問題アリの可能性も高いので、三津五郎の責任とばかりはいえないのかもしれません。実際、舞台中盤から、三津五郎のこの役は俄然怖くなってきますから、三津五郎もわかってはいるのでしょう。
そもそも、なぜ三津五郎の役が怖くないといけないかというと、後半で気弱な紙屑買とこの役の立場が入れ変わってしまうことになるからで、強者・弱者の関係の反転を印象付けるためには、是非とも、一方が強者であることを印象付けなければいけないということなんですよ。
さて、一方の、紙屑買の勘三郎。うまいんだけど、騒ぎすぎ。あれじゃあ、ただの酔っ払いの無礼講だって話で終わってしまう。もちろん、今回の演出では正解なんだろうけど、「らくだ」という噺は、<酔っ払いの無礼講>くらいの噺では、本来ないはずなんですよね。
というわけで、今後わたしが望む「らくだ」の上演は、六代目笑福亭松鶴の関西版「らくだ」のような、乱暴で、泥臭い、エネルギッシュなタイプのもの。
坂田藤十郎、片岡我當が共演していた「夏祭浪花鑑」みたいに、「じゃらじゃら」感がもし出せたなら、凄い舞台になると思うのですが、どうですかね~。
もちろん、東京だったら、古今亭志ん生から立川談志に至る、ぞろっぺいな無頼漢の物語が出せたなら、単なるコメディのレベルを超えてしまうと思うんですけど・・・。(もちろん、落語の完演版の長さでやってほしい!)
というわけで、意外と長くなっちゃったけど、とりあえず、今回はこんなところで。
☆ ☆ ☆ ☆
第一部
一、女暫(おんなしばらく)
巴御前 福 助
手塚太郎光盛 三津五郎
轟坊震斎 勘太郎
女鯰若菜実は樋口妹若菜 七之助
木曽次郎 松 也
木曽駒若丸 巳之助
紅梅姫 新 悟
猪俣平六 亀 蔵
成田五郎 市 蔵
清水冠者義高 高麗蔵
蒲冠者範頼 彌十郎
舞台番 勘三郎
二、三人連獅子(さんにんれんじし)
親獅子 橋之助
子獅子 国 生
母獅子 扇 雀
三、眠駱駝物語 らくだ
紙屑買久六 勘三郎
家主女房おいく 彌十郎
駱駝の馬太郎 亀 蔵
半次妹おやす 松 也
家主左兵衛 市 蔵
手斧目半次 三津五郎
①女暫(おんなしばらく)
歌舞伎十八番「暫(しばらく)」のパロディであるこの芝居だけど、率直にいってしまえば、幕外の引っ込みの際に出てくる舞台番とヒロイン・巴御前のやり取りの、まさにその俗っぽい大衆性で、いまや辛うじてもっているという感は否めない・・・、なんていってしまったら怒られますかね?
でも、江戸の庶民は「暫」という芝居の底抜けのダイナミズムを楽しんでいたわけで、歌舞伎におけるダイナミズムとは<声の饗宴>ですから、今回の出演陣の元気とヒロインのコケットリーさえ楽しめれば、何も最後の幕外まで欠伸してなくてもいいはずなんですよね~。
で、今回の出演陣(勘三郎一座)ですが、菊五郎劇団系の声と腹出しの迫力に比べて見劣りするのではというわたしの想像を超えて、なかなか健闘してました。
個人的には、勘太郎・七之助兄弟、特に七之助の女鯰(おんななまず)は台詞に力があって、「このひと、近頃女形に自信を持ってきたな。」という印象を持ちました。
それに、弥十郎、亀蔵、市蔵はやっぱり立派。
というわけで、いよいよヒロイン・巴御前の福助ですが、花道奥の台詞に張りがあったし、近年見た雀右衛門、萬次郎の巴御前に比べて若々しさはありました。
それに、この芝居はちょっとクサイぐらいじゃないと面白くないので、本来的に福助にあっていたような気もするし、元気のよさという点でいえば、まあまあくらいではありましたね。
ただコケットリーでいうと、「歌右衛門の大袈裟さ」と「芝翫の俗っぽさ」を合わせた方向性が、たとえば亡くなった澤村宗十郎みたいな太平楽な路線にいったなら、まさにわたしの好みだったんだけど、少なくとも舞台後半に関しては、宗十郎の「浮世離れ」した飛翔感とは対照的に、どこか「飯屋の女中」みたいな、庶民的な線に墜落していった印象があるんですよ。
(特に、幕外。もっとも、女形の芝居としては非常に体力を使う演目なのかもしれない。)
春風駘蕩、堂々として、晴れがましいままで終わっていたら、近年で一番カッコイイ巴御前だったんだけどなあ~。
というわけで、悪くはなかったんだけど、最後はちょっとってところが、わたしの正直な感想なのでした・・・。
②三人連獅子
中村橋之助・国生親子に中村扇雀の三人で親子獅子。
国生くんに限らず、橋之助の子供たちってぽっちゃり型ですよね。
で、扇雀の角ばった大きな顔と細面の橋之助、丸顔の国生くんの組み合わせが、妙に親子っぽくみえて、不思議でした。まあ、それくらいかな。
③らくだ
落語の世界では大ネタのひとつ「らくだ」。でも、歌舞伎の舞台では、軽い喜劇として演じられることが多くて、菊五郎劇団でも勘三郎一座でもやり方に大差はないようですね。
そもそもこの噺は、生と死をない交ぜにしたシュールなものなのであって、現在だって、立川談志や柳家小三治の「らくだ」はもっと暗いし、おっかない要素を持っている。
「どうして歌舞伎ではああなっちゃうのかな~」、「別の演出ってないのかな~」、とはいつも思うのですが、さて、今回は・・・。
「らくだ」という名の無頼漢の死、「手斧目(ておのめ)半次」というらくだの兄貴分のこれまた無頼漢、そして気弱な「紙屑買」。
三人の力関係の逆転がこのストーリーの肝なのですが、冒頭の三津五郎の半次がちょっと物分りがよさ過ぎてしまうのは問題。
落語では、この役、かなり怖い人物として演じられるわけですが、小山三演じる老婆とのやり取りが、やや牧歌的で、少なくとも、ここでは無頼漢には見えなかった。(まあ、観客としては小山三さんが見れただけでOKということなんでしょうけれど・・・。)
といっても、この点に関しては、岡鬼太郎の脚色や榎本滋民の演出に問題アリの可能性も高いので、三津五郎の責任とばかりはいえないのかもしれません。実際、舞台中盤から、三津五郎のこの役は俄然怖くなってきますから、三津五郎もわかってはいるのでしょう。
そもそも、なぜ三津五郎の役が怖くないといけないかというと、後半で気弱な紙屑買とこの役の立場が入れ変わってしまうことになるからで、強者・弱者の関係の反転を印象付けるためには、是非とも、一方が強者であることを印象付けなければいけないということなんですよ。
さて、一方の、紙屑買の勘三郎。うまいんだけど、騒ぎすぎ。あれじゃあ、ただの酔っ払いの無礼講だって話で終わってしまう。もちろん、今回の演出では正解なんだろうけど、「らくだ」という噺は、<酔っ払いの無礼講>くらいの噺では、本来ないはずなんですよね。
というわけで、今後わたしが望む「らくだ」の上演は、六代目笑福亭松鶴の関西版「らくだ」のような、乱暴で、泥臭い、エネルギッシュなタイプのもの。
坂田藤十郎、片岡我當が共演していた「夏祭浪花鑑」みたいに、「じゃらじゃら」感がもし出せたなら、凄い舞台になると思うのですが、どうですかね~。
もちろん、東京だったら、古今亭志ん生から立川談志に至る、ぞろっぺいな無頼漢の物語が出せたなら、単なるコメディのレベルを超えてしまうと思うんですけど・・・。(もちろん、落語の完演版の長さでやってほしい!)
というわけで、意外と長くなっちゃったけど、とりあえず、今回はこんなところで。
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☆ ☆ ☆ ☆
第一部
一、女暫(おんなしばらく)
巴御前 福 助
手塚太郎光盛 三津五郎
轟坊震斎 勘太郎
女鯰若菜実は樋口妹若菜 七之助
木曽次郎 松 也
木曽駒若丸 巳之助
紅梅姫 新 悟
猪俣平六 亀 蔵
成田五郎 市 蔵
清水冠者義高 高麗蔵
蒲冠者範頼 彌十郎
舞台番 勘三郎
二、三人連獅子(さんにんれんじし)
親獅子 橋之助
子獅子 国 生
母獅子 扇 雀
三、眠駱駝物語 らくだ
紙屑買久六 勘三郎
家主女房おいく 彌十郎
駱駝の馬太郎 亀 蔵
半次妹おやす 松 也
家主左兵衛 市 蔵
手斧目半次 三津五郎
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