切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

十二月大歌舞伎 昼の部(歌舞伎座)

2004-12-26 16:00:00 | かぶき讃(劇評)
今回はさらっといきます。

①嫗山姥

この芝居は、「足柄山の金太郎」がなぜ強い子になったかという、荒唐無稽な由来を語ったもので、イヤホンガイドでは小山観翁氏が、「外国のお客さんにはわけのわからない芝居」と言ってましたが、日本人でもどうなのかな?弱い親父の懺悔の心が強い子供を作ったというのは、ある意味現代でも示唆的な話ということか…。しかし、そういう筋より、主役の女形(後の金太郎のお母さん)役がしっかりしていれば、形だけで観れちゃう芝居ではあるんですよね。

以前、時蔵がやったのを見たときは、芝居自体が館の外から始まったこともあって、姿勢が良くて形のいい時蔵の姿が印象的で、屋敷内に入ってからの踊りも背筋の通った手踊りのいい芝居だなあと思ったのですが、今回の福助は違った魅力がありましたね。先月の「関の扉」辺りから、一段品格が上がったというのか…。時蔵は背筋のいい形のよさが特徴的な芸風だと私は思っているのですが、今回の福助は柔らかさ、しなやかさのある身のこなしで、期待してなかった私もはっとさせられました。歌右衛門のしなやかな丁寧さに、芝翫の振りの大きさが相俟って、今後もこの調子でお願いしたいな、個人的には。なにしろ、世話物での品のなさがどうも私はダメなので。

それと、道化役の醜女お歌役の猿弥がなかなかの好演でまた観たいという気がしましたね。

たしか、坂田藤十郎の得意芸だったらしいので来年の藤十郎襲名でやってみて欲しいところ。

②身替座禅

有名な松羽目物。初演が1910年だから大逆事件の年、たしか六代目菊五郎26歳の時ですね。今回は初演のときの六代目菊五郎、七代目三津五郎の血筋を引く、勘九郎と現・三津五郎の競演ということで期待したのですが…。

この芝居は簡単に言うと浮気の話。浮気な亭主(右京)と焼きもち焼きの古女房(玉の井)のやりとりを見せる芝居で、右京の浮気相手・花子は出てこない。しかし、酒に酔って帰ってきた右京の嬌態から花子の姿が観客に浮かび上がってくるかどうかが、右京役のしどころだし、玉の井は単なる焼きもち焼きでなく、古女房の悲哀が漂ってこなくてはいけない。つまり、円熟した芸達者がやってくれないと締まらない難しい芝居なんですよね。

過去のこの芝居は名演がいろいろあって、個人的にも、勘三郎の右京に羽左衛門の玉の井は好きだったし、近年では去年の富十郎の右京に吉右衛門の玉の井が素晴らしい名演で忘れられないところ。(吉右衛門の珍しい女形がアレほどうまいとは…。)

で、今回ですが、気になったのは三津五郎の玉の井が随分固い玉の井だったということ。これでは右京でなくても、観客もイヤになってしまう恐い奥方だっていう印象。何か喜劇の中のこわおもてっていう感じではなかったですね。芸達者でたぶん本人も遊び人の三津五郎にしては…。

一方の勘九郎の方はなにやら砕けすぎで、元気がいい。溌剌と体が動いている感じで、スラプスティックの喜劇役者みたい。勘三郎の右京が、何か動きを抑えた中にほつれ髪の微妙な色気があったのと較べると、どうもはしゃぎすぎのようで…。

喜劇は喜劇なんだけど、もっとさりげない、枯れた情緒が見てみたかったな。二人ともまだまだ遊び盛りって事か?数年後の枯れた二人の再演に期待!

③梅ごよみ

この芝居の過去の上演を観ていないので比較はできませんが、エンターテイメントとしては良い芝居だし、玉三郎目当てには文句なしだったんじゃないかという芝居。なんか玉三郎の為にあるような芝居でしたね。

話は若旦那の丹次郎をめぐる深川芸者二人、仇吉と米八、それから丹次郎の許嫁・お蝶の三人の恋の達引き、そこに例によってお家騒動が絡むわけですが…。

吉原芸者と深川芸者の違いは、深川の方が、名前を「仇吉」や「米八」など男のような名前にし、吉原では禁じられていた羽織を着て、言葉も男っぽい鉄火肌だったといいます。江戸時代の宝塚風風俗だったということなんでしょうか?

で、芝居のほうですが、まず序幕、今年進境著しい段治郎の丹次郎役は、彼本来の役という感じではないものの悪くはなかった印象。段治郎という人は、本来こうした若旦那タイプというよりは、もうちょっと「悪」というのか、若いけど苦みばしった感じの役の方が本役のような気がする。顔かたちも、美男というよりはやんちゃ坊主の色気のある人だというのが私の評価。そして、許嫁役お蝶の春猿も玉三郎に通じる現代的な女形で娘役はもうひとつ合ってない気もしなくないが、どうなんだろう?二人に続いて、渡し舟から勘九郎の米八登場。じつをいうと、私は勘九郎の女形はあまり好きではない。舞踊だと好きなのだが、芝居となるとどうも砕け過ぎて、シリアスな芝居でも「江戸みやげ」の富十郎、芝翫コンビのようになってしまい、面白くない。今回は喜劇仕立てだから良いのかもしれないが、米八という役はもうちょっと美女の気位があった方がいいのではという気がしてしまう。

そして、序幕第二場、舞台全体が隅田川に変わり、船から玉三郎の芸者仇吉登場!船先へ玉三郎が立った段階で、「もう今日の芝居の元は取った」と多くの観客は思ったことでしょう。(斯く言う私もそう。)そして、舞台は幕。わかってる展開なのに、こういうところで鳥肌が立っちゃうから歌舞伎座がやめられないんだな、きっと。

二幕目はさらっといきますが、話を立ち聞きするところの玉三郎の立ち姿が、坂東玉三郎舞踊集の表紙みたいでかっこよかったのと、第二場の弥十郎に苦味のある貫禄が出てきて、渋かった弥十郎の兄・坂東吉弥(今年没)の姿が重なった。

そして、いよいよ三幕目。丹次郎(段治郎)と仇吉(玉三郎)の刺青をめぐるやり取り。要するに丹次郎の腕にある「米八命」の刺青を消してくれという場面なのだが(こういうことって、「蛇にピアス」世代にもあるんですか?)、ここがやっぱり色っぽいところ。段治郎の魅力というのは、やっぱり声だと思う。よく通る声なのに、どこか苦味を感じる節回しを使ってくる。このあたりが一本調子な若手も多い中、独特の色気になっていると思う。こういう人を抜擢してくる猿之助のプロデューサー感覚が凄いって事なんだろうけど。

最後の第三場は、「髪結新三」の大詰のパロディみたいな、橋の前の仇吉と米八の対決。この辺が木村綿花の脚色のうまさ。そして、結局の仲直りと丹次郎の祝言が決まり、玉三郎、勘九郎揃っての「しらけるねえ~」の台詞で締め。新派の「日本橋」なんかの出演も含めて、玉三郎の俗っぽい芝居の面白さを最後の台詞で堪能したあと、玉三郎の切り口上で幕。

あまり深い芝居ではないが、やっぱり今年最後の歌舞伎座・昼の部を締める器の役者は玉三郎だなあと実感しました。玉三郎の切り口上を聞いてるとやっぱり来年も通うぞって気になりますよね!

というわけで、書き始めると全然さらっといかなかった、感想でした。

PS:これだから溜まっちゃうんだな、「草稿中」!
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