客層がいつになく若かった、十二月の昼の部でした。簡単に感想です。
①操り三番叟(さんばそう)
前半の翁の獅童はいい顔になりましたね。でも、いくらなんでもこのひと、翁という年じゃあないですよ。だから、獅童の精悍な顔つきだけが印象に残った前半。千歳の鶴松くんもいい顔してましたけどね。
後半は操り人形仕様の三番叟。三番叟が勘太郎、操り人形師の後見が松也。
勘太郎の三番叟は、通常の人形振りとして考えると、あまりうまくない。というか、カクカクした感じだったら菊之助あたりのほうが断然うまいような…。
ただ、三番叟というより道化師だと思えば、それなりに楽しめました。また、後見の松也は、少なくともわたしの観た日はテレもなく、澄まして糸のほつれを解いていた印象。まあ、総体として、若い、よい舞台だった気はします。因みに、ロビーに奥さん来てましたね!勘太郎!
②野崎村
代表的な義太夫狂言ってイメージだな~。
商家の娘のお染と手代久松の都会型カップルと、田舎娘お光との三角関係。
お光が福助、お染が孝太郎、久松が橋之助。
まず、今回よかったのがお染の孝太郎。なんだか、人形ぶりみたいな古風なお染でしたね。確かに、批判にあるような「妊娠したオンナ」のイメージは乏しかったけど、わたしには文楽の人形みたいな古めかしさがかえって新鮮でした。因みに、最近知ったんだけど、孝太郎に女形を勧めたのって、芝翫なんですってね。
一方、橋之助の久松はさすがにこの人のニンじゃなかった。商家の手代というより、小姓って感じで、いまいち色気がない。まあ、気の毒な感じでしたね~。
で、福助のお光なんだけど、田舎娘にしてはあだっぽいし、紙で眉毛を隠すところなんか、可愛さよりいやらしさが残ったなあ~。
芝翫だと田舎娘っぽさが濃厚に出るんだけど、福助はその点、父親とは違う都会性があるんでしょう。それに、芝翫はカラっとした芸風だけど、福助は少し湿気がある芸風というか、その点、歌右衛門と通じる影があるんじゃないのかな~。
なので、どうもこの役に本質的に合っていないのかも?でも、国立でやったときは悪くなかったんですよね~。もうちょっと、清まして落ち着いた感じにしてくれればいいのかもしれないですけどね~。
③身替座禅
最近上演回数が多くて食傷気味の演目。
要するに、醜い妻と浮気な夫の話なんだけど、品のよい舞台が少なくて…。
(因みに、モーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」の三幕目に似たところがあると思うんですけど、いかがでしょう?)
今回の舞台は山陰右京が勘三郎で、玉の井が三津五郎。
ちょっと驚いたのが、三津五郎の玉の井が女形の芸みたいに見えたこと。当たり前のようなことだけど、これって珍しいんですよ。
通常はあまり女形をやらない立ち役がやる役で、三津五郎も通常は立ち役の役者なんだけど、三津五郎は舞踊で女形を結構やっている人ですからね。それに小柄なこともあいまって、女形の芝居に見えました。
そこが、立ち役が女形をやることの笑いを抑制させてくれていて、かえって品のよい舞台になりました。
勘三郎も、いつもに比べて過剰に浮気な男を演じなかったことが好感もてたし、まずまずの舞台だったんじゃないのかな?
(なお、先代勘三郎のこの役は、扇子の使い方に色気がありました。そんなに大げさじゃないのにね。いまだと、吉右衛門の深酔いした右京がわたしは好きです。こんぴら歌舞伎で前のほうの席で観たときなんか、まさに魅了されましたよ!)
これで、一番大げさな山陰右京の座は菊五郎に移ったかもしれないな~。
なお、染五郎の太郎冠者はがんばっていたけど、落語でいうフラがない。喜劇の愛嬌みたいなものがもうひとつ足りないんですよね。その点、橋之助も似たようなとこがあるな~。(去年の「天保遊侠録」はまずまずだったんだけどね~。)
④大江戸りびんぐでっど
で、いよいよクドカン初の歌舞伎挑戦作。
まあ、楽しめはしました。でも、なんか破壊力なかったというか、最後はこじんまりしてたなあ~という印象。
話は「ゾンビ襲来の謎」みたいなとこですかね~。
(新島のくさやの「くさや汁」に触れるとゾンビになってしまうという話を縦糸に、夫を殺されたくさや売りの女性(七之助)と、新島のくさや売りから転じてゾンビの元締めになる男(染五郎)、死んだはずの夫(勘三郎)の三角関係の物語といったところですかね~。)
主人公役の染五郎は今月一番の好演だったし、前の芝居より吹っ切れた滑稽味があった。また、相手役でヒロインお葉の七之助もよかったですね、すました女性で!
それに、勘太郎・芝のぶの大工の夫婦もわるくなかったし…。(そういえば、芝のぶちゃんが大きな声を舞台で出すのを初めて見ました!)
加えて、勘三郎はさすがという存在感…。
つまり、役者は結構がんばっていたんだけど、とうとう爆発しなかったって感じ…。(最後、永代橋が崩落したりはするんだけど…。)
というのも、通常のクドカンの作品って、ステレオタイプな話を雑多に組み合わせることで、ステレオタイプじゃない何かにしていくんだけど、今回はミックスする量自体がどうも足りなかった!
つまり、いつもの滅茶苦茶雑多な感じにはなってなかったんですよね~。だから、見終わって物足りないんだと思います。なので、渡辺保さんが書いていた「人間関係が古い」というのは、いつものこのひとのパターンであって、そもそも新しい人間関係を描くタイプの書き手ではないということなんですよ。
で、この芝居の収穫だったのは、前述の役者の好演に加えて、ZAZEN BOYS向井秀徳作曲の歌による「りびんぐでっど」の踊りと、井之上隆志の佐平次じゃないですか?(向井秀徳の歌はロックファンも必聴です!)
特に声の太い井之上隆志の台詞は、歌舞伎役者にはないタイプではありました。もっとも、落語の「居残り佐平次」って、ああいうタイプじゃないですけどね…。どちらかというと、「らくだ」の丁の目の半次がああいう無骨なキャラなんじゃないのかな?
さて、突然ながらここから結論。もし新作をやるんなら、古典芸能でないものをやるんなら、もっと破天荒にやるしかないんじゃないのかな?今回のクドカンに関しては、話の整合性みたいなところに変にこだわったのが失敗の原因。これって、歌舞伎にクドカンがびびったってことなのか、何なのか?
また、歌舞伎の新作に限らず、最近の芝居って喜劇しか作れないんじゃないか?いや、喜劇ですらないお笑い志向ともいえるかな?お笑いでやるんなら、やりたい放題でやるしかないし、そうでなければ、悲劇で観客を感動させるような新作を作ってみろって、一観客としてはよく思います。
悲劇を作れない日本の演劇界。誰か批評家がちゃんと俎上に乗せるべき課題だと思うなあ~。
そういう意味では、温故知新型の舞台をみせてきた猿之助、擬古典調の新作を書いている吉右衛門(松貫四)、新作ながら悲劇志向も見せ始めた野田秀樹は、貴重な演出家・劇作家だと思います。
というわけで、歌舞伎座の外部活力導入路線について、そろそろ見直す時期だということで、わたしのこの芝居の感想はおしまい!
<過去の関連記事>
・『少年メリケンサック』 宮藤官九郎 監督
・『真夜中の弥次さん喜多さん』 宮藤官九郎 監督
・「轟天VS港カヲル」(大人計画ウーマンリブ)@サンシャイン劇場
★ ★ ★
歌舞伎座さよなら公演
十二月大歌舞伎
平成21年12月2日(水)~26日(土)
昼の部
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
翁 獅 童
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
久作 彌十郎
久松 橋之助
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
奥方玉の井 三津五郎
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
染五郎
七之助
扇 雀
勘三郎
他
①操り三番叟(さんばそう)
前半の翁の獅童はいい顔になりましたね。でも、いくらなんでもこのひと、翁という年じゃあないですよ。だから、獅童の精悍な顔つきだけが印象に残った前半。千歳の鶴松くんもいい顔してましたけどね。
後半は操り人形仕様の三番叟。三番叟が勘太郎、操り人形師の後見が松也。
勘太郎の三番叟は、通常の人形振りとして考えると、あまりうまくない。というか、カクカクした感じだったら菊之助あたりのほうが断然うまいような…。
ただ、三番叟というより道化師だと思えば、それなりに楽しめました。また、後見の松也は、少なくともわたしの観た日はテレもなく、澄まして糸のほつれを解いていた印象。まあ、総体として、若い、よい舞台だった気はします。因みに、ロビーに奥さん来てましたね!勘太郎!
②野崎村
代表的な義太夫狂言ってイメージだな~。
商家の娘のお染と手代久松の都会型カップルと、田舎娘お光との三角関係。
お光が福助、お染が孝太郎、久松が橋之助。
まず、今回よかったのがお染の孝太郎。なんだか、人形ぶりみたいな古風なお染でしたね。確かに、批判にあるような「妊娠したオンナ」のイメージは乏しかったけど、わたしには文楽の人形みたいな古めかしさがかえって新鮮でした。因みに、最近知ったんだけど、孝太郎に女形を勧めたのって、芝翫なんですってね。
一方、橋之助の久松はさすがにこの人のニンじゃなかった。商家の手代というより、小姓って感じで、いまいち色気がない。まあ、気の毒な感じでしたね~。
で、福助のお光なんだけど、田舎娘にしてはあだっぽいし、紙で眉毛を隠すところなんか、可愛さよりいやらしさが残ったなあ~。
芝翫だと田舎娘っぽさが濃厚に出るんだけど、福助はその点、父親とは違う都会性があるんでしょう。それに、芝翫はカラっとした芸風だけど、福助は少し湿気がある芸風というか、その点、歌右衛門と通じる影があるんじゃないのかな~。
なので、どうもこの役に本質的に合っていないのかも?でも、国立でやったときは悪くなかったんですよね~。もうちょっと、清まして落ち着いた感じにしてくれればいいのかもしれないですけどね~。
③身替座禅
最近上演回数が多くて食傷気味の演目。
要するに、醜い妻と浮気な夫の話なんだけど、品のよい舞台が少なくて…。
(因みに、モーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」の三幕目に似たところがあると思うんですけど、いかがでしょう?)
今回の舞台は山陰右京が勘三郎で、玉の井が三津五郎。
ちょっと驚いたのが、三津五郎の玉の井が女形の芸みたいに見えたこと。当たり前のようなことだけど、これって珍しいんですよ。
通常はあまり女形をやらない立ち役がやる役で、三津五郎も通常は立ち役の役者なんだけど、三津五郎は舞踊で女形を結構やっている人ですからね。それに小柄なこともあいまって、女形の芝居に見えました。
そこが、立ち役が女形をやることの笑いを抑制させてくれていて、かえって品のよい舞台になりました。
勘三郎も、いつもに比べて過剰に浮気な男を演じなかったことが好感もてたし、まずまずの舞台だったんじゃないのかな?
(なお、先代勘三郎のこの役は、扇子の使い方に色気がありました。そんなに大げさじゃないのにね。いまだと、吉右衛門の深酔いした右京がわたしは好きです。こんぴら歌舞伎で前のほうの席で観たときなんか、まさに魅了されましたよ!)
これで、一番大げさな山陰右京の座は菊五郎に移ったかもしれないな~。
なお、染五郎の太郎冠者はがんばっていたけど、落語でいうフラがない。喜劇の愛嬌みたいなものがもうひとつ足りないんですよね。その点、橋之助も似たようなとこがあるな~。(去年の「天保遊侠録」はまずまずだったんだけどね~。)
④大江戸りびんぐでっど
で、いよいよクドカン初の歌舞伎挑戦作。
まあ、楽しめはしました。でも、なんか破壊力なかったというか、最後はこじんまりしてたなあ~という印象。
話は「ゾンビ襲来の謎」みたいなとこですかね~。
(新島のくさやの「くさや汁」に触れるとゾンビになってしまうという話を縦糸に、夫を殺されたくさや売りの女性(七之助)と、新島のくさや売りから転じてゾンビの元締めになる男(染五郎)、死んだはずの夫(勘三郎)の三角関係の物語といったところですかね~。)
主人公役の染五郎は今月一番の好演だったし、前の芝居より吹っ切れた滑稽味があった。また、相手役でヒロインお葉の七之助もよかったですね、すました女性で!
それに、勘太郎・芝のぶの大工の夫婦もわるくなかったし…。(そういえば、芝のぶちゃんが大きな声を舞台で出すのを初めて見ました!)
加えて、勘三郎はさすがという存在感…。
つまり、役者は結構がんばっていたんだけど、とうとう爆発しなかったって感じ…。(最後、永代橋が崩落したりはするんだけど…。)
というのも、通常のクドカンの作品って、ステレオタイプな話を雑多に組み合わせることで、ステレオタイプじゃない何かにしていくんだけど、今回はミックスする量自体がどうも足りなかった!
つまり、いつもの滅茶苦茶雑多な感じにはなってなかったんですよね~。だから、見終わって物足りないんだと思います。なので、渡辺保さんが書いていた「人間関係が古い」というのは、いつものこのひとのパターンであって、そもそも新しい人間関係を描くタイプの書き手ではないということなんですよ。
で、この芝居の収穫だったのは、前述の役者の好演に加えて、ZAZEN BOYS向井秀徳作曲の歌による「りびんぐでっど」の踊りと、井之上隆志の佐平次じゃないですか?(向井秀徳の歌はロックファンも必聴です!)
特に声の太い井之上隆志の台詞は、歌舞伎役者にはないタイプではありました。もっとも、落語の「居残り佐平次」って、ああいうタイプじゃないですけどね…。どちらかというと、「らくだ」の丁の目の半次がああいう無骨なキャラなんじゃないのかな?
さて、突然ながらここから結論。もし新作をやるんなら、古典芸能でないものをやるんなら、もっと破天荒にやるしかないんじゃないのかな?今回のクドカンに関しては、話の整合性みたいなところに変にこだわったのが失敗の原因。これって、歌舞伎にクドカンがびびったってことなのか、何なのか?
また、歌舞伎の新作に限らず、最近の芝居って喜劇しか作れないんじゃないか?いや、喜劇ですらないお笑い志向ともいえるかな?お笑いでやるんなら、やりたい放題でやるしかないし、そうでなければ、悲劇で観客を感動させるような新作を作ってみろって、一観客としてはよく思います。
悲劇を作れない日本の演劇界。誰か批評家がちゃんと俎上に乗せるべき課題だと思うなあ~。
そういう意味では、温故知新型の舞台をみせてきた猿之助、擬古典調の新作を書いている吉右衛門(松貫四)、新作ながら悲劇志向も見せ始めた野田秀樹は、貴重な演出家・劇作家だと思います。
というわけで、歌舞伎座の外部活力導入路線について、そろそろ見直す時期だということで、わたしのこの芝居の感想はおしまい!
<過去の関連記事>
・『少年メリケンサック』 宮藤官九郎 監督
・『真夜中の弥次さん喜多さん』 宮藤官九郎 監督
・「轟天VS港カヲル」(大人計画ウーマンリブ)@サンシャイン劇場
★ ★ ★
歌舞伎座さよなら公演
十二月大歌舞伎
平成21年12月2日(水)~26日(土)
昼の部
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
翁 獅 童
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
久作 彌十郎
久松 橋之助
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
奥方玉の井 三津五郎
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
染五郎
七之助
扇 雀
勘三郎
他
よく言ってくれました!
半端に媚びるのはやめてほしいですよね!
気ぃ使って、空気読んで、いい子演じて、
我慢できなくなって、引きこもって
果ては爆発しちゃう羽目になるんだから…
あ…これ最近の事件、世相だけの話じゃなくってね。
兎にも角にも、今年も勝手に楽しませていただきますので宜しくね。
本年もよろしくお願いいたします。
ところで、奇妙だと思うのは、芝居はお笑い志向なのに、映画の原作になるようなエンタメ小説はお涙頂戴もの全盛なんですよね。
どっちにも抵抗あるんですが、本当の意味で深い、現代的な「悲劇の誕生」こそ、今の表現の世界で求められているものなんじゃないですかね~。お高さん、書いてみてはいかが?
そういう意味では、近松とか長谷川伸って、空前の劇作家だったんじゃないかって、今更ながら思いますよ。