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切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

歌舞伎座、第一部を観てきました。(1/8 観劇)

2022-01-08 23:59:59 | かぶき讃(劇評)
晴天の初芝居です。早速、簡単に感想。

最初が一條大蔵卿。吉右衛門の名演が目に焼き付く芝居だけど、寿初春大歌舞伎の最初の演目に、勘九郎、七之助、獅童が出るって、なんだか感慨深いです。20年くらい前ならこの時期、浅草歌舞伎に出ていた三人が、正月の歌舞伎座の興行の最初の演目で古典の名作に出ているんですから。確かに、浅草歌舞伎の頃は下手だった三人(!でも、本当なんだから仕方がない。)が、今や、成長してそれぞれ一枚看板の役者ですから、人間って成長するんですよね。我が身が恥ずかしくなるな〜。

で、芝居の話に戻すと、勘九郎の大蔵卿は、作り阿呆のところは十八代目勘三郎が演じているかと思うくらい似ていて、作り阿呆じゃない部分はこの人らしいキリッとした楷書の芝居。この芝居の難しいのは、作り阿呆(要するに、バカのふりですね。)の部分で、ここを十八代目は童子のように演じていた。これは小柄な十八代目の柄と芸風に合っていたってっことなんだけど、やりようによっては、芝居全体がどうしても子供っぽくなってしまう。

そこで、吉右衛門なんかは、穏やかな愛嬌で作り阿呆の姿を見せて、芝居全体を「苦難の時代を耐える大人の芝居」にしていたし、仁左衛門なら、明るい調子で嫌味のない作り阿呆にし、何か「青春の悔恨」みたいなニュアンスを出していた。十七代目勘三郎の場合は、ふわっとした感じの呆けた雰囲気で、あまり強調しすぎず、穏やかな痴呆症の老人みたいにしていた。そういう意味では、十八代目はやや味付けが濃かったわけだけど、勘九郎はキリッとしたところは、吉右衛門なんかに通じるところがあって、作り阿呆は十八代目流。本人がまだ若いからということもあるけど、ぼちぼち自分流の大蔵卿を模索する時期なんだろうと思いました。でも、将来きっとこの人のあたり芸になる候補の演目だと思いますよ。

吉岡鬼次郎とお京の夫婦は、獅童と七之助。この夫婦はちょっとしか出ない役にしては華やかで良いですよね。仁左衛門&玉三郎コンビみたいなゴージャスな配役の時も良かったけど、梅玉&魁春みたいな折目正しいけど、融通むげな夫婦のパターンも良いです。獅童は古風で古怪な感じでこの人の芸風に合っています。柔らかみのあるこの役だと、梅玉さんが絶品ですが、同じタイプの人は意外にいないですよね。

お京という役は、①密偵、②「源氏」をすぐ口にするうっかり感もしくは熱血感、という要素があって、人によって印象が変わる役。シャープなタイプだと、①の要素が強くてクールだけど、②のうっかり感が強いと、もう少し人間味のあるニュアンスになるんだけど、七之助は①タイプだと思います。で、②だと今の雀右衛門あたりでしょうか。で、わたしの観た日の七之助はクールだけど、密偵のシャープさというよりはやや地味な感じがしましたね。

常盤御前の扇雀は、貫禄がありました。この役は歌右衛門だったり、坂田藤十郎みたいな大物がやる役というイメージだけど、魁春がやった時もよかったし、今回の扇雀もいいなと思いました。でも、この役をやるような女形の重鎮がいなくなってきたな~という感じはありますが。

次が、元禄花見踊。獅童の息子の初舞台でしたが、獅童が嬉しそうでした。しかし、三世時蔵の系統は(小川家)は皆血が濃いというか、同系列の顔をしてるんですよね。当たり前のようだけど、これがある意味凄い。

で、舞台の方は、劇評家の渡辺保さんも書いていたけど、大道具の樹の幹が太くて、わたしの席からだと、花見というより、森の中の宴会みたいでした。七之助はこっちの演目の方が軽やかでよかった気がしました。

最後に、舞台とは関係ないけど、三階の物故した名優の写真のコーナーに吉右衛門が入ったのと、今月から復活のめでたい焼きが売り切れだったのが残念でした。

以上、とりあえず。











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