遅ればせながら、感想っ。
①壷坂霊験記(つぼさかれいげんき)
「三つ違いの兄さんと~」という名台詞で有名なお芝居だけど、歌舞伎というより文楽の演目ですよね、これって。
目の見えない夫(沢市)と幼馴染の妻(お里)。妻の願掛けを浮気と疑った夫は、自分の疑い深さに後悔し、わが身を儚んで自殺、妻も跡を追いますが・・・。壷坂神社の霊験ですべてが救われて、めでたしめでたし・・・というお話。
要するに、ストーリーが安易でコクがないので、文楽だとウェルメイド・ストーリーで済むけど、役者がやるとどうも感動薄。
人形だと、自殺場面で人形遣いが人形を離す演出。これが、命の儚さを象徴的に表現している面もあって、なかなかよいんですけどね~。
さて、今回の芝居ですが、三津五郎の沢市、福助のお里、義太夫は谷太夫というメンバー。
全般的にいって役者は頑張っていて、三津五郎の沢市は舞台上手の部屋の、三味線の登場シーンから、柱を使って立ち上がりお里の手に掴まるあたりがさすがにうまい。
ただ、巧いがゆえに、三津五郎の沢市は少し老成している感があって、不遇の若者の苛立ちとか悔しさが足りないように思えましたね~。
それと、自殺を決意した沢市が、お里を先に返すくだり。ちょっと、心情がハッキリしない芝居だったような気がしましたね~。(「石切」だと六郎太夫と娘梢の別れ際、「お仏壇~」のくだりみたいなニュアンス。)
一方、福助のお里。今回の舞台は落ち着きがあって、くどきの形形が決まっていたし、「三つ違いの兄さんと~」の台詞の義太夫との語り分けもすんなり決まって悪くなかった。
が、しかし、基本的にニンに合っていないというか、米倉涼子が良妻賢母を演じているような違和感が残ったのも確か。この人はもうちょっと艶っぽい役どころが合っているひとなんですよね~。
そして、最後に思ったのは、この芝居にして歌舞伎座は広すぎるということ。文楽だと感動する原因のひとつは、文楽の場合の舞台の小ささなんじゃないか?
そんな気がしたんですけど、どうなんですかね~。
因みに、わたしが忘れられない舞台は、以前大阪で観た、竹本住大夫、吉田文雀、吉田文吾の文楽の舞台。この演目に関しては、蓑助さんより文雀さんの方が、しっとりしたいいお里だと思いました。
②高坏(たかつき)
歌舞伎版下駄を履いたタップダンスとして知られる演目。
松羽目ならぬ「桜」羽目みたいな舞台の芝居ですね。
(注:能舞台みたいに松の絵が描いてある舞台で演じられる、能狂言アレンジ物の芝居が、いわゆる「松羽目物」。たとえば、勧進帳など。)
で、勘三郎は品を落とさず、下駄タップもやっぱり巧くて、魅せてくれました。このひと、最近下卑た大衆迎合を控えるようになって来ましたよね。
物売りの橋之助は花道奥からの発声もよくて、好印象。弥十郎は白髪の役も違和感なくなってきたなあ~、なんて思ってしまいました。
③籠釣瓶(かごつるべ)
この芝居に関しては、勘三郎襲名の舞台の感想で書き尽くしているんですよね。また、配役も今回と重なる部分が多くて、改めて書くことは・・・。
・二〇〇五年 四月 大歌舞伎 夜の部 (歌舞伎座)
というわけで、前回との違いに焦点を当てて、簡単に感想を書きます。
一応、念のためにストーリーをおさらい:
田舎の金持ちで醜男の佐野次郎左衛門は初めて行った吉原で、花魁八ツ橋に一目惚れをします。八ツ橋に次郎左衛門は通いつめ、身請けをするところまで話が進みますが、間夫の浪人繁山栄之丞から次郎左衛門と別れるよう迫られた八ツ橋は、満座の中で心ならずも次郎左衛門に愛想づかしをします。八ツ橋のことを深く恨んだ次郎左衛門は、四か月後に妖刀籠釣瓶で八ツ橋を切り殺してしまうのでした。
まず、今回の特徴のひとつ。勘三郎演じる佐野次郎左衛門のお供・治六が、勘三郎の長男・勘太郎。
わりとベテランがやる役みたいなイメージがあったので、若すぎるんじゃないかと思ったんだけど、健闘してましたね。少し、肉体的に腰を低く折り過ぎるきらいはあったけど、情のある表情の芝居で、わたしは好感を持ちました。
勘三郎の佐野次郎左衛門は、前回同様眼光の鋭いイメージで、田舎者の成り上がりビジネスマン風。ただ、前回ほどチャキチャキしていないので、バブル紳士みたいではなくなりましたけど・・・。
でも、近年のこの役では、一番同情しにくい次郎左衛門だとは思いますね~。幸四郎だと大泣きの次郎左衛門だし、吉右衛門だと大物の地方の豪商みたい・・・。
玉三郎の八つ橋は、花道の笑みが、短く、怖く、悪魔的なニュアンスになりましたね。歌右衛門や雀右衛門だとふっとした笑いだったし、福助だと笑いの時間が長すぎた。
序幕では、我當の立花屋長兵衛がキッパリしていて立派。
二幕目では、立花屋店先で、片岡市蔵、亀蔵兄弟が並んで座っているのが珍しいと思ったのと(荒事だと腹出しで並んだりするけどね!)、秀太郎の立花屋女房が、酸いも甘いもかみ分けた雰囲気で貫禄あり。
弥十郎の釣鐘権八は無頼漢風で重く、通常の「ズルイ遊び人風」ではないタイプ。もっとも、弥十郎の柄を考えれば、しょうがないとは思いますけどね。
で、八つ橋花魁の間夫・繁山栄之丞の仁左衛門は、陽性で短気な栄之丞。この役を十八番にしている梅玉だと陰性な雰囲気があるので、対照的ではありますよね。
廊下に八つ橋(玉三郎)、九重(魁春)、七越(七之助)が出てくるところは見栄えがよかったのと、部屋に入って、八つ橋と栄之丞の会話のくだり。
立っている仁左衛門の栄之丞のカッコよさが無類だったのと、最後、舞台が廻っているときの仁左衛門、玉三郎の無言の会話の芝居に、妙な色気がありましたね。花魁と間夫の秘めた会話みたいなニュアンスが・・・。
で、いよいよ愛想尽かしの場面。
勘三郎の次郎左衛門が同情しにくいという話は前に書きましたが、八つ橋に愛想尽かしされて、皆が慰めるくだり。魁春の九重、秀太郎の立花屋おきつ、勘太郎の治六の三人は、癒し度抜群でしたね~。
わたしは、九重という役が好きなのですが、東蔵だと貫禄のある慰めで、魁春だと貫禄はないけどしっとりとした慰めだという印象は持ちました。
そして、大詰め立花屋の二階。
ここの勘三郎の次郎左衛門は、雰囲気からして相当怖い感じ。
玉三郎の八つ橋は運命を予感してか、階段の下を観に行くくだりが情感あり。八つ橋と女中一人を殺して幕ですが、この女中を中村屋のベテラン小山三がやらなかったの残念でしたね~。(わたしの観た日は違う役者だった!)帯のほどけ方に特徴があったはずなんだけど・・・。
で、やっぱり、非同情的な、不気味な次郎左衛門だったなあ~としみじみ・・・。これが、勘三郎の解釈なのか、今後変化していくのか、それは今後に注目ですね~。
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歌舞伎座さよなら公演
二月大歌舞伎
十七代目中村勘三郎二十三回忌追善
平成22年2月1日(月)~25日(木)
夜の部
一、壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)
座頭沢市 三津五郎
観世音 玉太郎
女房お里 福 助
二、高坏(たかつき)
次郎冠者 勘三郎
大名某 彌十郎
太郎冠者 亀 蔵
高足売 橋之助
三、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
序幕 吉原仲之町見染の場より
大詰 立花屋二階の場まで
佐野次郎左衛門 勘三郎
八ツ橋 玉三郎
九重 魁 春
治六 勘太郎
七越 七之助
初菊 鶴 松
絹商人丈助 亀 蔵
絹商人丹兵衛 市 蔵
白倉屋万八 家 橘
釣鐘権八 彌十郎
おきつ 秀太郎
立花屋長兵衛 我 當
繁山栄之丞 仁左衛門
①壷坂霊験記(つぼさかれいげんき)
「三つ違いの兄さんと~」という名台詞で有名なお芝居だけど、歌舞伎というより文楽の演目ですよね、これって。
目の見えない夫(沢市)と幼馴染の妻(お里)。妻の願掛けを浮気と疑った夫は、自分の疑い深さに後悔し、わが身を儚んで自殺、妻も跡を追いますが・・・。壷坂神社の霊験ですべてが救われて、めでたしめでたし・・・というお話。
要するに、ストーリーが安易でコクがないので、文楽だとウェルメイド・ストーリーで済むけど、役者がやるとどうも感動薄。
人形だと、自殺場面で人形遣いが人形を離す演出。これが、命の儚さを象徴的に表現している面もあって、なかなかよいんですけどね~。
さて、今回の芝居ですが、三津五郎の沢市、福助のお里、義太夫は谷太夫というメンバー。
全般的にいって役者は頑張っていて、三津五郎の沢市は舞台上手の部屋の、三味線の登場シーンから、柱を使って立ち上がりお里の手に掴まるあたりがさすがにうまい。
ただ、巧いがゆえに、三津五郎の沢市は少し老成している感があって、不遇の若者の苛立ちとか悔しさが足りないように思えましたね~。
それと、自殺を決意した沢市が、お里を先に返すくだり。ちょっと、心情がハッキリしない芝居だったような気がしましたね~。(「石切」だと六郎太夫と娘梢の別れ際、「お仏壇~」のくだりみたいなニュアンス。)
一方、福助のお里。今回の舞台は落ち着きがあって、くどきの形形が決まっていたし、「三つ違いの兄さんと~」の台詞の義太夫との語り分けもすんなり決まって悪くなかった。
が、しかし、基本的にニンに合っていないというか、米倉涼子が良妻賢母を演じているような違和感が残ったのも確か。この人はもうちょっと艶っぽい役どころが合っているひとなんですよね~。
そして、最後に思ったのは、この芝居にして歌舞伎座は広すぎるということ。文楽だと感動する原因のひとつは、文楽の場合の舞台の小ささなんじゃないか?
そんな気がしたんですけど、どうなんですかね~。
因みに、わたしが忘れられない舞台は、以前大阪で観た、竹本住大夫、吉田文雀、吉田文吾の文楽の舞台。この演目に関しては、蓑助さんより文雀さんの方が、しっとりしたいいお里だと思いました。
②高坏(たかつき)
歌舞伎版下駄を履いたタップダンスとして知られる演目。
松羽目ならぬ「桜」羽目みたいな舞台の芝居ですね。
(注:能舞台みたいに松の絵が描いてある舞台で演じられる、能狂言アレンジ物の芝居が、いわゆる「松羽目物」。たとえば、勧進帳など。)
で、勘三郎は品を落とさず、下駄タップもやっぱり巧くて、魅せてくれました。このひと、最近下卑た大衆迎合を控えるようになって来ましたよね。
物売りの橋之助は花道奥からの発声もよくて、好印象。弥十郎は白髪の役も違和感なくなってきたなあ~、なんて思ってしまいました。
③籠釣瓶(かごつるべ)
この芝居に関しては、勘三郎襲名の舞台の感想で書き尽くしているんですよね。また、配役も今回と重なる部分が多くて、改めて書くことは・・・。
・二〇〇五年 四月 大歌舞伎 夜の部 (歌舞伎座)
というわけで、前回との違いに焦点を当てて、簡単に感想を書きます。
一応、念のためにストーリーをおさらい:
田舎の金持ちで醜男の佐野次郎左衛門は初めて行った吉原で、花魁八ツ橋に一目惚れをします。八ツ橋に次郎左衛門は通いつめ、身請けをするところまで話が進みますが、間夫の浪人繁山栄之丞から次郎左衛門と別れるよう迫られた八ツ橋は、満座の中で心ならずも次郎左衛門に愛想づかしをします。八ツ橋のことを深く恨んだ次郎左衛門は、四か月後に妖刀籠釣瓶で八ツ橋を切り殺してしまうのでした。
まず、今回の特徴のひとつ。勘三郎演じる佐野次郎左衛門のお供・治六が、勘三郎の長男・勘太郎。
わりとベテランがやる役みたいなイメージがあったので、若すぎるんじゃないかと思ったんだけど、健闘してましたね。少し、肉体的に腰を低く折り過ぎるきらいはあったけど、情のある表情の芝居で、わたしは好感を持ちました。
勘三郎の佐野次郎左衛門は、前回同様眼光の鋭いイメージで、田舎者の成り上がりビジネスマン風。ただ、前回ほどチャキチャキしていないので、バブル紳士みたいではなくなりましたけど・・・。
でも、近年のこの役では、一番同情しにくい次郎左衛門だとは思いますね~。幸四郎だと大泣きの次郎左衛門だし、吉右衛門だと大物の地方の豪商みたい・・・。
玉三郎の八つ橋は、花道の笑みが、短く、怖く、悪魔的なニュアンスになりましたね。歌右衛門や雀右衛門だとふっとした笑いだったし、福助だと笑いの時間が長すぎた。
序幕では、我當の立花屋長兵衛がキッパリしていて立派。
二幕目では、立花屋店先で、片岡市蔵、亀蔵兄弟が並んで座っているのが珍しいと思ったのと(荒事だと腹出しで並んだりするけどね!)、秀太郎の立花屋女房が、酸いも甘いもかみ分けた雰囲気で貫禄あり。
弥十郎の釣鐘権八は無頼漢風で重く、通常の「ズルイ遊び人風」ではないタイプ。もっとも、弥十郎の柄を考えれば、しょうがないとは思いますけどね。
で、八つ橋花魁の間夫・繁山栄之丞の仁左衛門は、陽性で短気な栄之丞。この役を十八番にしている梅玉だと陰性な雰囲気があるので、対照的ではありますよね。
廊下に八つ橋(玉三郎)、九重(魁春)、七越(七之助)が出てくるところは見栄えがよかったのと、部屋に入って、八つ橋と栄之丞の会話のくだり。
立っている仁左衛門の栄之丞のカッコよさが無類だったのと、最後、舞台が廻っているときの仁左衛門、玉三郎の無言の会話の芝居に、妙な色気がありましたね。花魁と間夫の秘めた会話みたいなニュアンスが・・・。
で、いよいよ愛想尽かしの場面。
勘三郎の次郎左衛門が同情しにくいという話は前に書きましたが、八つ橋に愛想尽かしされて、皆が慰めるくだり。魁春の九重、秀太郎の立花屋おきつ、勘太郎の治六の三人は、癒し度抜群でしたね~。
わたしは、九重という役が好きなのですが、東蔵だと貫禄のある慰めで、魁春だと貫禄はないけどしっとりとした慰めだという印象は持ちました。
そして、大詰め立花屋の二階。
ここの勘三郎の次郎左衛門は、雰囲気からして相当怖い感じ。
玉三郎の八つ橋は運命を予感してか、階段の下を観に行くくだりが情感あり。八つ橋と女中一人を殺して幕ですが、この女中を中村屋のベテラン小山三がやらなかったの残念でしたね~。(わたしの観た日は違う役者だった!)帯のほどけ方に特徴があったはずなんだけど・・・。
で、やっぱり、非同情的な、不気味な次郎左衛門だったなあ~としみじみ・・・。これが、勘三郎の解釈なのか、今後変化していくのか、それは今後に注目ですね~。
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
歌舞伎座さよなら公演
二月大歌舞伎
十七代目中村勘三郎二十三回忌追善
平成22年2月1日(月)~25日(木)
夜の部
一、壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)
座頭沢市 三津五郎
観世音 玉太郎
女房お里 福 助
二、高坏(たかつき)
次郎冠者 勘三郎
大名某 彌十郎
太郎冠者 亀 蔵
高足売 橋之助
三、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
序幕 吉原仲之町見染の場より
大詰 立花屋二階の場まで
佐野次郎左衛門 勘三郎
八ツ橋 玉三郎
九重 魁 春
治六 勘太郎
七越 七之助
初菊 鶴 松
絹商人丈助 亀 蔵
絹商人丹兵衛 市 蔵
白倉屋万八 家 橘
釣鐘権八 彌十郎
おきつ 秀太郎
立花屋長兵衛 我 當
繁山栄之丞 仁左衛門
新しい歌舞伎座について、隈研吾氏が東京新聞に書いています。
私は歌舞伎座を立て替えるのは仕方がないと思うようになりました。時代が変わったと思っています。観客の質が変化したのです。
私は団魂の世代です。10代の頃はそれなりに未来がありました。いろいろ難しい事を考える人間はどう生きるかの時代でした。生きるために選択枝がそれなりにあったのです。
今は低成長時代になり、今の若者には未来が読めなくなりました。「これからどう食べて行くか」の時代になったのです。
歌舞伎の観客も芝居を見て、じっくり人生を考えるのではなく、短絡的な楽しみを求めるようになりました。
それにあわせて歌舞伎座もかわらなければならないと思うようになりました。
<歌舞伎>新・歌舞伎座を設計する建築家・隈研吾さんに聞く “祝祭空間”残したい
2010年3月6日
四月のさよなら公演(二~二十八日)を最後にいったん幕を閉じる東京・歌舞伎座は五月半ばくらいから解体、建て替え工事が始まる。新しい歌舞伎座はどんな建物になるのだろうか。建築設計を担当する建築家で東京大学教授の隈研吾さんに聞いた。 (聞き手・藤英樹)
-新しい歌舞伎座の青写真は。
ほぼ固まりつつあります。可能な限り今ある歌舞伎座の雰囲気を守ろうという方針。晴海通りから見る外観も内部の様子もほとんど変わらない印象になると思います。
-なぜ変えないのですか。
歌舞伎座は、今の東京全体の中でにぎやかで楽しい団らんのスペース。近代になって多くの劇場が失ってしまった“祝祭空間”を残しています。昔のパリ・オペラ座が果たしたような役割を東京で担う歌舞伎座の雰囲気を壊したくないからです。
特に屋根の持っている力が歌舞伎座の建築エレメントの中でも一番重要。銀座四丁目交差点から見ると歌舞伎座の屋根がかすんで見える。四角い雑居ビルばかりの銀座にとっても大事なよりどころだと思います。
ただ、今の歌舞伎座は木挽町通り側(南側)は壁で閉じている。新しい歌舞伎座では、劇場の中の雰囲気が通りから感じられるようにしたい。そうすることで通りに江戸の風情やにぎわいが取り戻せたらと思います。
-内部はどうなりますか。
客席数は一幕見席も桟敷席も含め変わりません。ただ、日本人の体格もよくなったから、座席は少しゆったりします。それと桟敷席を今よりもっと原型に近づけます。みんな桟敷が大好きだから。扉の寸法とかもう少し使いよくなる。
座席をゆったり取ることで劇場空間の容積が必然的に大きくなります。容積が変われば、当然音響効果も変わりますが、それを今と同じにするにはどうしたらよいか。これがものすごく難しい。
役者さんは自分の声がどう響くかにすごく敏感です。お客さんも「声が違う」とすぐ気づく。音響効果を変えないために、天井の曲面や素材を微妙に変えるという神業的な技術が必要です。
-駅からのアプローチの悪さも課題ですね。
地下鉄駅からエスカレーターやエレベーターを使って、雨にぬれないように行けるようにはします。ただ、劇場の中へまっすぐ行けてしまうと、あの唐破風の屋根をくぐって入るということがなくなってしまう。現世から“祝祭空間”へワープするという感覚は絶対に守りたい。だからあえてストレートにはつなげず、脇からぬれないで入ってくる道を付けます。
バリアフリー化にしても、完全にフラットにはしない。京都南座もそうだけど、段差がある感じは大切です。だから脇にバリアフリーの通路を設けます。昔のよさをすべて失う利便性ではなくて、両立を目指します。
-隈さんといえば、和紙や竹など自然素材を生かした建築が有名です。
今の歌舞伎座の素材をなるべく再利用したいので、今までの僕の自然素材の建築とはひと味違います。解体に時間をかけ屋根瓦や金物は生かしたい。内部の赤や白の柱とか漆とか漆喰(しっくい)とか、今の歌舞伎座が持つ質感も大切に引き継ぎたい。赤いじゅうたんも変えません。歌舞伎座にとって屋根と並んで一番大事な要素ですから。
-制約の多い大変な設計ですね。
半端じゃありませんよ。日本文化の今後にとっても非常に大きなメッセージになる仕事だと思っています。
<新しい歌舞伎座> 1889(明治22)年の開設以来、建て替えや改修を繰り返してきた。今回は戦災後の1950年の第4期改修に次ぐ第5期の建て替え。後方の高層ビルとともに2013年春の完成予定。劇場部分は地下1階地上4階建てで構造や舞台寸法、客席数は今とほぼ同じ。
<隈研吾(くま・けんご)> 1954年、神奈川県生まれ。コンクリート中心の建築を批判、和紙や竹など自然素材を使った設計で注目される。代表作に東京のサントリー美術館、根津美術館など。海外での仕事も多い。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2010030602000203.html
頂いたコメント、興味深く読ませていただきました。
隈研吾さんのお話を読む限り、だいぶ安心できますね。
確かに、日本人の体型もよくなっているし、映画館の座席の改善振りと比較しても、歌舞伎座の座席は改善の余地がある。
それと、音響面に気配りありそうなのがよいですね。新橋演舞場だと、つけが響きすぎて耳が痛いときがありますから、今の歌舞伎座並みの音響空間にして欲しいなあ~。
でも、いろいろ言っているとお金がかかりそう・・・。
松竹さん、資金は大丈夫なのかしら?