しかし、今月は地味なんですよね、演目が。
①番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)
繰り返すようですが、私は岡本綺堂って駄目なんですよね。この芝居もとても同意できないストーリーだし…。
話は、乱暴者の青年・旗本の青山播磨と腰元お菊は身分違いながら恋仲。播磨の縁談の話を聞いたお菊は播磨の心を確かめる為にわざと家宝の皿を割ります。いったんはお菊を許す播磨。しかし、お菊がわざと皿を割ったこと、またそれが播磨の心を試す為だと知って、激怒。お菊を切り捨て井戸に投げ込んだ上、「一生の恋が終わった」というので、喧嘩騒ぎのある方へ駆け出して…終わり。しかし、こんな青山播磨をあなたは愛せますか?
考えようによっては、「ヤンキーどら息子の恋愛」といえなくもなく、播磨の行動はドメスティック・バイオレンスの行動原理とも言えなくもないのだけど…。(だいたい、お菊は自分の罪を悔いて喜んで切られて死ぬんですから、顔にあざ作ってる妻なんてもんじゃないんですよね。)しかし、妻を酒乱で殴り殺した明治の元勲なんていうのもいるから、いかにも大正期につくられた芝居ってことなのかも…。
★注:因みにこの芝居の初演があった大正5年(1916年)はロシア革命の前年で、映画史的には空前の大作『イントレランス』(D・W・グリフィス監督)が作られた年。戦前の新歌舞伎を世界史的な視点で捉え直す時期に来ていると思うんですが…。というのも、この芝居の初演で播磨を演じた二代目左團次はロンドンの俳優学校に留学経験があり、歌舞伎初の海外公演であるソ連公演(1928)では座頭。映画監督のエイゼンシュタイン(『戦艦ポチョムキン』など)とも交流があった。
さて、この芝居を知らない人はかなり引いてしまったところで、今回の芝居。
意外にも、一場目は芝居らしくて面白かった。一場目は、町の与太者(町奴)と播磨とその仲間(白柄組)が一触即発という状態のところへ、播磨の伯母眞弓が中に割って入るという芝居。とりあえず、喧嘩に至らずに済んだところで、播磨の台詞「伯母様は苦手だ」で幕。
この場でよかったのは、梅玉(播磨)、我當(放駒四郎兵衛)、東蔵(眞弓)と三人の声のいい役者が揃ったということ。とりわけ、間に割ってはいる、眞弓役の東蔵の貫禄と気品が絶品。ほとんど毎月、この人と段四郎は褒めているような気がするが、町奴・放駒四郎兵衛が眞弓の物言いに引き下がるくだりは、説得力のある芝居。こういうところで貫禄不足の役者では芝居が締まらないですからねぇ…。
ニ場目、お菊役は今回、時蔵。とかく世話っぽい芝居では俗っぽすぎる声のこの人。今回は押さえ気味で悪くない。姿のいい人だけにすっとしていてくれればカッコいいんだけど。この芝居を十八番にしている梅玉だけど、確かに台詞なんか悪くない。でも、やっぱり肝心の芝居自体がつまらないんだな…、少なくとも私には。一種心理主義的な要素を持つこの芝居の播磨役を複数回やっているのが、心理主義とはやや遠い古風さを持つ梅玉と團十郎の二人だというのがこの芝居の作者に対する一番の皮肉なんじゃないだろうか?
最期の播磨の花道の引っ込み。見得を切らない引っ込みということで、初演当時は話題を撒いたらしいのだけど、今価値があるのかどうかには私ははなはだ疑問だな。
②五斗三番叟(ごとさんばそう)
昼の部、多くの人のお目当てだったはずの一幕。吉右衛門初役の芝居。
この芝居、元は浄瑠璃でもちろん大坂が初演。不覚にも今回初めて、この芝居の義経が豊臣秀頼を、五斗兵衛が後藤又兵衛を暗示しているということがわかり、やっといまいちよく分からなかったこの芝居が少し分かったような気がした。
ストーリー上は、頼朝と不和になった義経の話で、義経方に鎌倉方のスパイが入り込んでいて…という話。要するに、大坂の陣の大坂城内を暗示しているわけ。豊臣贔屓の話の方が関西の庶民は喜んだということと、とはいってもおおっぴらに反徳川の演目が掛けられないという事情でこういう外面上の仕掛けになっているということ。
そういえば、私も以前京都旅行した折、観光案内をしてくれたおじさんが、ものの見事に反徳川・豊臣贔屓な発言を連発してくれて、「関西ってこういうもんなんだな~」と思った経験がある。
さて、肝心のこの芝居、私は以前、團十郎で見た記憶があるが、案外上演回数の少ない芝居のよう。この芝居の見せ場は、なんといっても、五斗兵衛の酔態の芝居。酒の好きな五斗兵衛が義経に会う前は酒を飲まないはずだったのだが、そそのかされて…という話。
歌舞伎に限らず、酔態の芝居は古典芸能では重要なものだとは、先月の歌舞伎座・夜の部「魚屋宗五郎」の感想でも書いたのだけど、今回の舞台、敢えて同じ古典芸能の落語で喩えれば、團十郎の五斗兵衛は三代目柳好の歌うような酔っ払い、今回の吉右衛門は表情豊かで五代目小さんの落語みたいな酔っ払いだと感じた。(印象で言うと、小さんの「試し酒」という演目の楽天性に近い。)
吉右衛門の滑稽味はあの独特の垂れ目気味の目にあって、あの目の表情の豊かさが、面白かったり色っぽかったりするだけど、今回も酒を前にした目が絶品。本来一種の舞踊劇なのだろうけど(今回の吉右衛門は富十郎から教わっているようだし、富十郎はもちろん二世松緑から教わっている。)、三番叟なんかはそれほどでもなかったが、芝居の世話味はやはりこの人ならでは。敵役の錦戸兄弟(歌六、歌昇)も調子が合ってよかったし、最後の花道の引っ込み、奴を馬の代わりにしての引っ込みも華やかで満足の舞台。
ただ、三津五郎の義経が平凡だったのと、左團次の和泉三郎がいまいち元気なし。松緑の亀井六郎は先月の新橋演舞場より断然この人らしくていいなあというのが私の雑感でした。
③隅田川(すみだがわ)
かつては、歌右衛門・勘三郎・志寿大夫の名演で海外までも知られるこの演目。
話は割と単純で、人買いにわが子をさらわれた女(班女の前)が狂女となり隅田川のほとりをさまよううち、渡し舟の舟人からわが子の最期を聞かされるというだけの話。今回は、鴈治郎・梅玉・延寿大夫の舞台。
正直なことを言うと、この演目、あまりにわかりやすくウェットな話なんであまり好きではない。「人さらい」という問題も、近年の拉致問題や幼女誘拐事件の類で、古くて新しい話だとは思うのだけど…。
今回の班女の前役の鴈治郎。雀右衛門がこの役をやったときは歌右衛門の延長線上にある「亡霊みたいな女」という気がしたのだけど、今回の鴈治郎は「京都の公家の母親」という印象で、心ここにあらずの狂女というよりは人間味ある感じで興味深くはあった。ただ、どの辺が京都風なんだといわれると曰く言いがたいものがあるが…。敢えてバカなことを言えば、比較的鋭角な顔立ちの歌右衛門、雀右衛門に対して、丸顔の鴈治郎という事ぐらいしか巧く言葉に出来ないのだけど…。
かつて、勘三郎や先代鴈治郎がやった舟人を今回は梅玉。雀右衛門のときは富十郎だと思ったが、なかなか難しそうな役。どこか浮世離れした感のある梅玉がこの役というのも、本役じゃない気もするがどうなんだろう?
今回はもうひとつ掴めなかった幕でした。
④どんつく(九世坂東三津五郎七回忌追善)
追善とはいえ、あまりに豪華なメンバーの「どんつく」。しかし、薄味なスター顔見世の演目という印象を出なかった。今回は三津五郎の息子・巳之助くんが子守の娘役で登場。16歳なんだそうだが、なかなか姿も踊りも手堅くいい雰囲気。母親がいなくて大変な三津五郎の家だが、大事に育ってほしいところ。
・二月大歌舞伎 配役と見所
①番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)
繰り返すようですが、私は岡本綺堂って駄目なんですよね。この芝居もとても同意できないストーリーだし…。
話は、乱暴者の青年・旗本の青山播磨と腰元お菊は身分違いながら恋仲。播磨の縁談の話を聞いたお菊は播磨の心を確かめる為にわざと家宝の皿を割ります。いったんはお菊を許す播磨。しかし、お菊がわざと皿を割ったこと、またそれが播磨の心を試す為だと知って、激怒。お菊を切り捨て井戸に投げ込んだ上、「一生の恋が終わった」というので、喧嘩騒ぎのある方へ駆け出して…終わり。しかし、こんな青山播磨をあなたは愛せますか?
考えようによっては、「ヤンキーどら息子の恋愛」といえなくもなく、播磨の行動はドメスティック・バイオレンスの行動原理とも言えなくもないのだけど…。(だいたい、お菊は自分の罪を悔いて喜んで切られて死ぬんですから、顔にあざ作ってる妻なんてもんじゃないんですよね。)しかし、妻を酒乱で殴り殺した明治の元勲なんていうのもいるから、いかにも大正期につくられた芝居ってことなのかも…。
★注:因みにこの芝居の初演があった大正5年(1916年)はロシア革命の前年で、映画史的には空前の大作『イントレランス』(D・W・グリフィス監督)が作られた年。戦前の新歌舞伎を世界史的な視点で捉え直す時期に来ていると思うんですが…。というのも、この芝居の初演で播磨を演じた二代目左團次はロンドンの俳優学校に留学経験があり、歌舞伎初の海外公演であるソ連公演(1928)では座頭。映画監督のエイゼンシュタイン(『戦艦ポチョムキン』など)とも交流があった。
さて、この芝居を知らない人はかなり引いてしまったところで、今回の芝居。
意外にも、一場目は芝居らしくて面白かった。一場目は、町の与太者(町奴)と播磨とその仲間(白柄組)が一触即発という状態のところへ、播磨の伯母眞弓が中に割って入るという芝居。とりあえず、喧嘩に至らずに済んだところで、播磨の台詞「伯母様は苦手だ」で幕。
この場でよかったのは、梅玉(播磨)、我當(放駒四郎兵衛)、東蔵(眞弓)と三人の声のいい役者が揃ったということ。とりわけ、間に割ってはいる、眞弓役の東蔵の貫禄と気品が絶品。ほとんど毎月、この人と段四郎は褒めているような気がするが、町奴・放駒四郎兵衛が眞弓の物言いに引き下がるくだりは、説得力のある芝居。こういうところで貫禄不足の役者では芝居が締まらないですからねぇ…。
ニ場目、お菊役は今回、時蔵。とかく世話っぽい芝居では俗っぽすぎる声のこの人。今回は押さえ気味で悪くない。姿のいい人だけにすっとしていてくれればカッコいいんだけど。この芝居を十八番にしている梅玉だけど、確かに台詞なんか悪くない。でも、やっぱり肝心の芝居自体がつまらないんだな…、少なくとも私には。一種心理主義的な要素を持つこの芝居の播磨役を複数回やっているのが、心理主義とはやや遠い古風さを持つ梅玉と團十郎の二人だというのがこの芝居の作者に対する一番の皮肉なんじゃないだろうか?
最期の播磨の花道の引っ込み。見得を切らない引っ込みということで、初演当時は話題を撒いたらしいのだけど、今価値があるのかどうかには私ははなはだ疑問だな。
②五斗三番叟(ごとさんばそう)
昼の部、多くの人のお目当てだったはずの一幕。吉右衛門初役の芝居。
この芝居、元は浄瑠璃でもちろん大坂が初演。不覚にも今回初めて、この芝居の義経が豊臣秀頼を、五斗兵衛が後藤又兵衛を暗示しているということがわかり、やっといまいちよく分からなかったこの芝居が少し分かったような気がした。
ストーリー上は、頼朝と不和になった義経の話で、義経方に鎌倉方のスパイが入り込んでいて…という話。要するに、大坂の陣の大坂城内を暗示しているわけ。豊臣贔屓の話の方が関西の庶民は喜んだということと、とはいってもおおっぴらに反徳川の演目が掛けられないという事情でこういう外面上の仕掛けになっているということ。
そういえば、私も以前京都旅行した折、観光案内をしてくれたおじさんが、ものの見事に反徳川・豊臣贔屓な発言を連発してくれて、「関西ってこういうもんなんだな~」と思った経験がある。
さて、肝心のこの芝居、私は以前、團十郎で見た記憶があるが、案外上演回数の少ない芝居のよう。この芝居の見せ場は、なんといっても、五斗兵衛の酔態の芝居。酒の好きな五斗兵衛が義経に会う前は酒を飲まないはずだったのだが、そそのかされて…という話。
歌舞伎に限らず、酔態の芝居は古典芸能では重要なものだとは、先月の歌舞伎座・夜の部「魚屋宗五郎」の感想でも書いたのだけど、今回の舞台、敢えて同じ古典芸能の落語で喩えれば、團十郎の五斗兵衛は三代目柳好の歌うような酔っ払い、今回の吉右衛門は表情豊かで五代目小さんの落語みたいな酔っ払いだと感じた。(印象で言うと、小さんの「試し酒」という演目の楽天性に近い。)
吉右衛門の滑稽味はあの独特の垂れ目気味の目にあって、あの目の表情の豊かさが、面白かったり色っぽかったりするだけど、今回も酒を前にした目が絶品。本来一種の舞踊劇なのだろうけど(今回の吉右衛門は富十郎から教わっているようだし、富十郎はもちろん二世松緑から教わっている。)、三番叟なんかはそれほどでもなかったが、芝居の世話味はやはりこの人ならでは。敵役の錦戸兄弟(歌六、歌昇)も調子が合ってよかったし、最後の花道の引っ込み、奴を馬の代わりにしての引っ込みも華やかで満足の舞台。
ただ、三津五郎の義経が平凡だったのと、左團次の和泉三郎がいまいち元気なし。松緑の亀井六郎は先月の新橋演舞場より断然この人らしくていいなあというのが私の雑感でした。
③隅田川(すみだがわ)
かつては、歌右衛門・勘三郎・志寿大夫の名演で海外までも知られるこの演目。
話は割と単純で、人買いにわが子をさらわれた女(班女の前)が狂女となり隅田川のほとりをさまよううち、渡し舟の舟人からわが子の最期を聞かされるというだけの話。今回は、鴈治郎・梅玉・延寿大夫の舞台。
正直なことを言うと、この演目、あまりにわかりやすくウェットな話なんであまり好きではない。「人さらい」という問題も、近年の拉致問題や幼女誘拐事件の類で、古くて新しい話だとは思うのだけど…。
今回の班女の前役の鴈治郎。雀右衛門がこの役をやったときは歌右衛門の延長線上にある「亡霊みたいな女」という気がしたのだけど、今回の鴈治郎は「京都の公家の母親」という印象で、心ここにあらずの狂女というよりは人間味ある感じで興味深くはあった。ただ、どの辺が京都風なんだといわれると曰く言いがたいものがあるが…。敢えてバカなことを言えば、比較的鋭角な顔立ちの歌右衛門、雀右衛門に対して、丸顔の鴈治郎という事ぐらいしか巧く言葉に出来ないのだけど…。
かつて、勘三郎や先代鴈治郎がやった舟人を今回は梅玉。雀右衛門のときは富十郎だと思ったが、なかなか難しそうな役。どこか浮世離れした感のある梅玉がこの役というのも、本役じゃない気もするがどうなんだろう?
今回はもうひとつ掴めなかった幕でした。
④どんつく(九世坂東三津五郎七回忌追善)
追善とはいえ、あまりに豪華なメンバーの「どんつく」。しかし、薄味なスター顔見世の演目という印象を出なかった。今回は三津五郎の息子・巳之助くんが子守の娘役で登場。16歳なんだそうだが、なかなか姿も踊りも手堅くいい雰囲気。母親がいなくて大変な三津五郎の家だが、大事に育ってほしいところ。
・二月大歌舞伎 配役と見所
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