売れてるんでしょ?とりあえず感想っ。
前にも書いたけど、小林よしのりの本には注意が必要だと思うようになったきっかけは、このひとが口汚くののしる某団体の集会に、話のタネに行ってみたことから始まるんですよ。
まあ、詳しい話は省きますが、はっきりいって、マンガとは全然違う雰囲気、内容。たぶん、彼本人は取材もしてないんじゃないのかな?つまり、上っ面の情報で扇情的なマンガを描いているって疑いがこのときからわたしの心に芽生えた…。
で、今回の本ですが、やっぱり疑問だらけですね。とりあえず三つだけ問題点を指摘してみますが…。
①「今の歴史教科書が鎌倉幕府の成立を1192年じゃなく、1185年としているのは天皇の権威を貶める左翼学者の策謀」だという主張
1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年で、1185年は守護・地頭設置の年なんですが、そもそも「源氏の系統が征夷大将軍になって幕府を開き政権を樹立する」という筋書き自体は、後世になって徳川家康が自分の政権の正当性を神話化するために作ったもの。(だから、徳川家康は自分の出自を偽って源氏の「血筋」を買うわけ。)
つまり、12世紀の段階では「征夷大将軍」という役職の任命はあまり重いものではないんですよ。むしろ、鎌倉政権の実権が機能するのは守護・地頭の設置権を得たことによるところが大きい、というようなことは少なくともわたしが高校生のときからいわれていた話で、鎌倉幕府といえば「いいくに(1192)つくろう」に決まってるだろっていうのは、世代的なアナクロニズムでしかないんですよ。
それを「策謀」呼ばわりって、このひとは歴史をわかっているのでしょうか?
因みに、この本に登場するその他の「左翼学者の策謀」も似たり寄ったりの勘違いに満ちたものです。(面倒なので、いちいち書きませんが。)
②保阪正康氏の文藝春秋09年2月号の記事「秋篠宮が天皇になる日」について、「天皇には皇太子より秋篠宮の方がふさわしい」などといっているのは皇太子に対する名誉毀損であるという主張
じつは問題の雑誌を取り寄せて読んでみました。(あたしって、どっかの漫画家やその読者と違って真面目だね!)
で、結論からいうと、小林よしのりは完全に記事を誤読しているという結論に達しました。
問題の記事のなかで重要だと思われるのは、「天皇家や宮中の官僚には帝王教育はあっても、弟宮のための教育はきわめて不十分で、かくあるべしというモデルは存在しない」というくだり。
まあ、文章全体の主旨をかいつまんでいえば、近代以降の<天皇→次代の天皇>への皇位の継承は親子関係のなかで行われてきたのだけど、現在直面している皇位の継承は、皇室典範に従っていえば、<今上天皇→皇太子→弟宮→弟宮の皇子>という、皇太子から弟宮という今まで予期しなかった継承スタイルをとることになるのがほぼ確実。となると、弟宮である秋篠宮は自身の皇位継承可能性はもちろん、自分の子供への皇位継承も視野に入れながら公務を務めなければならない。実際問題、秋篠宮はその自覚を十分に持ちあわせつつある…。
というようなことを、保阪氏は慎重に言葉を選びながら書いているということなんですよ。確かに、皇太子にたいして批判的と取れる箇所もなくはないのだけど、だからといって、「天皇には弟宮の方がふさわしい」などということは一切書かれていない。
そもそも、現在の皇室典範に従えば、皇位継承順位を変えることはできないわけで、皇太子を差し置いて秋篠宮待望論などを唱えても、法的には不可能。
したがって、保阪氏の文意上も現行法上も小林よしのりの主張はありえないって話になりますよね!
とにかく、小林よしのりがかなり杜撰な文章読解能力で、ゴーマンかましているということはお分かり頂けたのではないでしょうか!
③原武史氏の月刊現代2008年5月号の記事「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた 皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」をめぐって、原氏を<「天皇制廃止」の意志を秘めた左翼>と断定、祭祀をやめさせれば天皇が形骸化することを知っててやっている確信犯であろうとの主張
これまたヒステリックな断定で呆れてしまうのですが、原氏が件の論文で言っているのは、農村が消えつつある日本において、「若者の皇室への無関心が広がりをみせている」ということへの危惧であり、「天皇は祭祀さえやっていれば安泰」なのだろうかという問題提起なんですよね。
それを安易に、<「天皇制廃止」の意志を秘めた左翼>などとレッテルを貼り付けるセンスって、わたしには常軌を逸しているように思えるなあ~。
まあ、個人的には<皇室のアイデンティティ=古さ>だとわたしも思うので、祭祀は大事にすべきだと思うけど、それにしても一般公開されている情報が少ないし、<古さ=伝統>のアピールの仕方に問題ありという感じは正直ある。
これを小林よしのりみたいに戦後のGHQのせいばかりにするんじゃなくて、宮内庁の姿勢や広報戦略を問題にするのが前向きな意見というものであって、祝日の名称を戦前に戻せばよいというものでもないとわたしは思いますが、いかがでしょう?
☆ ☆ ☆
以上、とりあえず三点挙げましたが、まだまだこんなものではなくて、センチメンタルな極論満載なこの本。しかし、売れてるんですよね~。おまけにアマゾンのレビューは5つ星!
結局、小林よしのり読者って、彼の主張を鵜呑みにして自分の目で事象や論文を検証する行動力も論理構成力もない人々だってことなんじゃないですか?
でなきゃ、わたしには信じられないなあ~、あの評価!
最後にひとつだけ例をあげておきますが、この本のおしまいの方で沖縄を「左翼教育の実験場」と断定、「沖縄では小学生の飲酒が問題となっており、全国学力テストが最下位。成人式の若者の大暴れは恒例のニュース。DVは全国1位」などと書いているんですよ。
でも考えてみてください。左翼教育のせいで、前述のような結果になっているなんて理屈は本当に正しいんですか?(逆に言えば、右翼教育?を行えば問題すべて解決ですか?)
わたしなら、経済的な要因をベースに沖縄の問題を論じるべきだと考えますけどね~。
要するに、小林よしのりの言っていることは森田健作と大差なくて、「道徳教育」をやれば治安がよくなるみたいな話のわけでしょ?世の中ってもうちょっと複雑だと思いますよ。社会学的見地や心理学的な見地も含めてね~。
というわけで、長々と書きましたが、わたしの結論は、「これはトンデモ本だ」ということ。
因みに、わたしは左翼でもなんでもありませんよ。昔は右寄り学生とさえいわれたけど、自分じゃ、リアリストのつもり。とりあえず、自分の目で見て検証しないと判断したくないということだけは信条にしてますけどね!
ま、小林流のヒステリックな反論が来そうだなこれは(笑)。
前にも書いたけど、小林よしのりの本には注意が必要だと思うようになったきっかけは、このひとが口汚くののしる某団体の集会に、話のタネに行ってみたことから始まるんですよ。
まあ、詳しい話は省きますが、はっきりいって、マンガとは全然違う雰囲気、内容。たぶん、彼本人は取材もしてないんじゃないのかな?つまり、上っ面の情報で扇情的なマンガを描いているって疑いがこのときからわたしの心に芽生えた…。
で、今回の本ですが、やっぱり疑問だらけですね。とりあえず三つだけ問題点を指摘してみますが…。
①「今の歴史教科書が鎌倉幕府の成立を1192年じゃなく、1185年としているのは天皇の権威を貶める左翼学者の策謀」だという主張
1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年で、1185年は守護・地頭設置の年なんですが、そもそも「源氏の系統が征夷大将軍になって幕府を開き政権を樹立する」という筋書き自体は、後世になって徳川家康が自分の政権の正当性を神話化するために作ったもの。(だから、徳川家康は自分の出自を偽って源氏の「血筋」を買うわけ。)
つまり、12世紀の段階では「征夷大将軍」という役職の任命はあまり重いものではないんですよ。むしろ、鎌倉政権の実権が機能するのは守護・地頭の設置権を得たことによるところが大きい、というようなことは少なくともわたしが高校生のときからいわれていた話で、鎌倉幕府といえば「いいくに(1192)つくろう」に決まってるだろっていうのは、世代的なアナクロニズムでしかないんですよ。
それを「策謀」呼ばわりって、このひとは歴史をわかっているのでしょうか?
因みに、この本に登場するその他の「左翼学者の策謀」も似たり寄ったりの勘違いに満ちたものです。(面倒なので、いちいち書きませんが。)
②保阪正康氏の文藝春秋09年2月号の記事「秋篠宮が天皇になる日」について、「天皇には皇太子より秋篠宮の方がふさわしい」などといっているのは皇太子に対する名誉毀損であるという主張
じつは問題の雑誌を取り寄せて読んでみました。(あたしって、どっかの漫画家やその読者と違って真面目だね!)
で、結論からいうと、小林よしのりは完全に記事を誤読しているという結論に達しました。
問題の記事のなかで重要だと思われるのは、「天皇家や宮中の官僚には帝王教育はあっても、弟宮のための教育はきわめて不十分で、かくあるべしというモデルは存在しない」というくだり。
まあ、文章全体の主旨をかいつまんでいえば、近代以降の<天皇→次代の天皇>への皇位の継承は親子関係のなかで行われてきたのだけど、現在直面している皇位の継承は、皇室典範に従っていえば、<今上天皇→皇太子→弟宮→弟宮の皇子>という、皇太子から弟宮という今まで予期しなかった継承スタイルをとることになるのがほぼ確実。となると、弟宮である秋篠宮は自身の皇位継承可能性はもちろん、自分の子供への皇位継承も視野に入れながら公務を務めなければならない。実際問題、秋篠宮はその自覚を十分に持ちあわせつつある…。
というようなことを、保阪氏は慎重に言葉を選びながら書いているということなんですよ。確かに、皇太子にたいして批判的と取れる箇所もなくはないのだけど、だからといって、「天皇には弟宮の方がふさわしい」などということは一切書かれていない。
そもそも、現在の皇室典範に従えば、皇位継承順位を変えることはできないわけで、皇太子を差し置いて秋篠宮待望論などを唱えても、法的には不可能。
したがって、保阪氏の文意上も現行法上も小林よしのりの主張はありえないって話になりますよね!
とにかく、小林よしのりがかなり杜撰な文章読解能力で、ゴーマンかましているということはお分かり頂けたのではないでしょうか!
③原武史氏の月刊現代2008年5月号の記事「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた 皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」をめぐって、原氏を<「天皇制廃止」の意志を秘めた左翼>と断定、祭祀をやめさせれば天皇が形骸化することを知っててやっている確信犯であろうとの主張
これまたヒステリックな断定で呆れてしまうのですが、原氏が件の論文で言っているのは、農村が消えつつある日本において、「若者の皇室への無関心が広がりをみせている」ということへの危惧であり、「天皇は祭祀さえやっていれば安泰」なのだろうかという問題提起なんですよね。
それを安易に、<「天皇制廃止」の意志を秘めた左翼>などとレッテルを貼り付けるセンスって、わたしには常軌を逸しているように思えるなあ~。
まあ、個人的には<皇室のアイデンティティ=古さ>だとわたしも思うので、祭祀は大事にすべきだと思うけど、それにしても一般公開されている情報が少ないし、<古さ=伝統>のアピールの仕方に問題ありという感じは正直ある。
これを小林よしのりみたいに戦後のGHQのせいばかりにするんじゃなくて、宮内庁の姿勢や広報戦略を問題にするのが前向きな意見というものであって、祝日の名称を戦前に戻せばよいというものでもないとわたしは思いますが、いかがでしょう?
☆ ☆ ☆
以上、とりあえず三点挙げましたが、まだまだこんなものではなくて、センチメンタルな極論満載なこの本。しかし、売れてるんですよね~。おまけにアマゾンのレビューは5つ星!
結局、小林よしのり読者って、彼の主張を鵜呑みにして自分の目で事象や論文を検証する行動力も論理構成力もない人々だってことなんじゃないですか?
でなきゃ、わたしには信じられないなあ~、あの評価!
最後にひとつだけ例をあげておきますが、この本のおしまいの方で沖縄を「左翼教育の実験場」と断定、「沖縄では小学生の飲酒が問題となっており、全国学力テストが最下位。成人式の若者の大暴れは恒例のニュース。DVは全国1位」などと書いているんですよ。
でも考えてみてください。左翼教育のせいで、前述のような結果になっているなんて理屈は本当に正しいんですか?(逆に言えば、右翼教育?を行えば問題すべて解決ですか?)
わたしなら、経済的な要因をベースに沖縄の問題を論じるべきだと考えますけどね~。
要するに、小林よしのりの言っていることは森田健作と大差なくて、「道徳教育」をやれば治安がよくなるみたいな話のわけでしょ?世の中ってもうちょっと複雑だと思いますよ。社会学的見地や心理学的な見地も含めてね~。
というわけで、長々と書きましたが、わたしの結論は、「これはトンデモ本だ」ということ。
因みに、わたしは左翼でもなんでもありませんよ。昔は右寄り学生とさえいわれたけど、自分じゃ、リアリストのつもり。とりあえず、自分の目で見て検証しないと判断したくないということだけは信条にしてますけどね!
ま、小林流のヒステリックな反論が来そうだなこれは(笑)。
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小林も大変だな。
「わけ知り顔」のふりをしたって、実質的に意味のあることを全然いえないんだから、その知性の乏しさでこのブログを読んでくれている方々も失笑してるんじゃないのか?
ところで、
>また勝手に論点ずらしてるし。。。
って、どこがどう「論点ずれ」なのか、具体的に言ってみ?
たぶん、マンガも読解できないから指摘なんかできないとは思いますけどね。というか、かなりこの記事直球だから、「論点ずれ」の指摘自体無理なんだけどね~。
まあ、小林よしのりの読者もこんなレベルの連中ばっかりだとすると、
>小林も大変だな。
ってわたしの方が小林に言ってやりたくなるけどねぇ~。
ま、アホらしいからこの辺で!
おとみさんは皇室ってなんだと思います?
私は、大変尊くてありがたい存在だと思いました^^
それと、文章の出だしで、うれてるんでしょ?って皮肉を書いて、最後に左翼じゃありませんって言うのも香ばしいんですが、お富さんもかなりゴーまんかましてる思いますよ^^
これからもちょくちょくよらせてもらいますね。
がんばってください。
コメントありがとうございます。
>お富さんもかなりゴーまんかましてる思いますよ^^
仰るとおり!今後もゴーまんかましていこうかと!
>おとみさんは皇室ってなんだと思います?
難しい質問ですね~。まあ、「政治的な側面」と「文化的な側面」があると思うのですが…。
政治的には「必要悪」というのがわたしの考えです。というか、もっといってしまうと、わたしは現行の天皇制に消極的な賛成論者なんですよ。
というのも、半藤一利氏の『幕末史』を読んでも、天皇を政治的に利用しようという勢力の争いは歴史的にみて凄まじいわけで、仮に皇室の方々が民間人になっても、何らかの利用・悪用が続いていくだろうと想像できる。
ということは、「公の人」ということにしておけば中立かつ安全なはずだろうというわけで、現行の天皇制賛成なんです。つまり、有益性の問題より悪用されない環境に置くべしという考えです。
次に、文化的な側面。小林よしのりは天皇の「祭祀」を重要視していますが、わたしは天皇が守るべきは「日本語」なんじゃないのかって前から思っているんですよ。
だいたい、皇室の祭祀なんて普通に暮らしていれば馴染みがないのが普通でしょ。
じつをいうと、わたしは一時期国語の先生になりたいと真剣に思っていたことがあって古典も好きだったんですが、敬語が皇室とのコミュニケーション言語として生成したことを考えても、日本語論から天皇という存在ははずせない。
また、歴代の天皇は和歌の題材になると同時に自身もたくさんの和歌を作っているので、古い日本語の守り神的な存在として考えてもいいんじゃないかと思うわけです。
で、最近読んだ作家高村薫さんのインタビューで、
>今、ミステリーも純文学も含め、すべての作家が直面している最大の問題は、私たちが共有している言葉の数の減少だ。ある時期まで、小説にひとつの言葉を書けば、大方の日本人が言語空間を共有できた。21世紀には確実にそれが減っていく。世界を、人間を表す言葉が単純になる。小説の持っている可能性が小さくなるだろう。「さあ、どうするか」というところに現代の物書きは追いつめられている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/dokusho/ds51213a.htm
というくだりに妙に納得してしまいました。「私たちが共有している言葉(日本語)の数の減少」というのは、かなり深刻な現象として進んでいるんじゃないですか。
で、その対策としては百人一首を覚えましょうみたいなアプローチも有効なんじゃないかと。(といっても、わたしもだいぶ忘れちゃったけどね。)
因みにわたしが百人一首で好きなのは陽成院の歌。あと、昭和天皇が南方熊楠を偲んだ歌もいいんですよね。(以下のアドレスがそのことについて書いた記事。)
http://blog.goo.ne.jp/virginia-woolf/e/600233e40528cf8d6294cbecbafe2096
というようなわけで、天皇がいなけりゃ、源氏物語も和歌も面白くない!ということで、文化防衛的な側面から天皇はいたほうがいいなあ~という思いでもあります。
なお、余談ながら、わたしは女性天皇には反対。といっても、保守言論人の主張とは違って、「女性天皇に女の幸せはないに決まってるから!」というのがその理由で、人口1億2千万以上の国が、その国の血筋(?)のために不幸な女の子を一人作ってしまうなんてナンセンスだと思いませんか?不幸に耐えるのは男で充分!これもある意味逆差別かもしれませんが、男性天皇の方が不幸の度合いは低いと思いますよ、あくまで想像ですけど…。
以上、たいへん長くなりましたが、ご理解頂けたかどうか…。
今後もよろしくです!
なかなか熱くてクールな人柄ですね!
バックグラウンドがない正邪のモノサシ
知的なアゲアシとり
相対的な文化観
見事にサヨクっぽい立ち位置に見えるところが素敵です
さて、策謀の件
天皇が任命した年じゃなくて地頭が設置された年を実質的な鎌倉幕府成立と見做すという学説もわかりますがそれではなんで天皇が征夷大将軍に任命した年じゃ駄目なのか説明になりませんよね?まぁ編集なんて恣意的なものなのでどうでもいい論議ですが
次
私は問題の記事を読んでないのでなんとも言えないですが
皇太子にたいして批判的な個所がなくもないならば小林が受けるような印象も間違ってるとは言えないんじゃないんでしょうかね?
そもそも記事タイトルから「秋篠宮が天皇になる日」では煽りが過ぎるってものですw
最後
戦争に負けた結果、祝日の名称を変えさせられたり国家教育に手を入れられたせいで
今現在、貴方みたいな歴史認識の世代が育ったのですが、それを逆手にとって「アピールの仕方に問題がある」とかいうのは逆転してませんか??戦前じゃ嫌になるほどアピールされてたでしょうに・・・
沖縄問題にしても経済だけではなく政治や歴史や地政的な立場も複合的に考えるべきだと思いますが何故、経済ベースが正しいと思うのでしょうか?そもそも経済と社会的秩序って関係ないとは思いますが・・・(なんらかの関連性はあろうが)
で、貴方の皇室論ですが、見事に相対主義者ですなw
確かに今の天皇は国体護持ですら現状の日本の状況には相容れないものですが、政治的だとか文化的だとかいわずに一度、日本とはなんなのか?という方向から考えてみるのもいいんじゃないの
まぁ色々意見があっていいんじゃないの
貴方のも偏った1つの意見に過ぎないんだし、そう目くじらたてて小林はあほだ馬鹿だと批判することもないかと
傍から見たらどちらも感情的に見えるけどw
かつては右翼学生とまで言われたわたしですが、最近はネット・ウヨクの仲間にされるのが嫌で宗旨替えしたって感じですかね。
というのも、ネット・ウヨク諸氏の知識の浅さ、論理構成力のなさ、とりわけ国語力の低さに正直ウンザリしているからなんですけれど…。
では、さっそく本題に入りましょうか。
>なんで天皇が征夷大将軍に任命した年じゃ駄目なのか説明になりませんよね?
記事をちゃんと読んでもらいたいのですが、12世紀段階では、「征夷大将軍」=為政者の称号ではないんですよ。
「源氏の系統が征夷大将軍になって幕府を開く」というパターン(神話)が正統だということを強調したのは徳川幕府からの話で、これは豊臣家対策としてあったわけ。(豊臣秀頼が関白になることへの警戒感。)
だから、政治権力の歴史を考えた場合、1192年は権力移動の年とはいえないという話は至極真っ当な学問的見解です。
>私は問題の記事を読んでないのでなんとも言えないですが
>
> 皇太子にたいして批判的な個所がなくもないならば小林が受けるような印象も間違ってるとは言えないんじゃないんでしょうかね?
まず、言いたいのは、記事を読んでいない人に発言権はないんじゃないかってこと。読んでなくて、「小林が受けるような印象も間違ってるとは言えないんじゃないんでしょうかね?」なんて、無責任に言うセンスがわたしには判らない。
それに、実際読んだら判りますよ。小林氏のマンガだと問題の記事に凄いことが書いてあるように思えますが、読んでみたら拍子抜けします!
まあ、これが彼のマンガのいつものパターンではあるんですが…。
>「秋篠宮が天皇になる日」では煽りが過ぎるってものです
タイトルが煽りすぎというのはある部分賛成しますが、現行の皇室典範では皇位継承順位は皇太子→秋篠宮の順番なんですから、「秋篠宮が天皇になる日」自体がが突飛な話ではないことはお分かりですよね?
> 戦争に負けた結果、祝日の名称を変えさせられたり国家教育に手を入れられたせいで
>
> 今現在、貴方みたいな歴史認識の世代が育ったのですが、それを逆手にとって「アピールの仕方に問題がある」とかいうのは逆転してませんか??戦前じゃ嫌になるほどアピールされてたでしょうに・・・
ここも突っ込みどころ満載なんですが…。
「戦争に負けた結果、祝日の名称を変えさせられたり国家教育に手を入れらた」というのはどうせ江藤淳の本の「ひ孫引き」なんでしょうが、祝日の名前を戻したら歴史認識が変わるなんて本当に信じているんですか?
わたしのいう「アピール」というのは、祝日の名称変更なんてどうでもいい話じゃなくて、歴史資料をたくさん持っている皇室や皇室周辺、宮内庁が、歴史発見的な関心を引くような情報発信をやったらどうかって話です。
たとえば、墳墓の発掘を拒んでいる宮内庁の姿勢をあなたはどう思いますか?あるいは有職故実に関する部分だって、歴史好きな人々向けに刊行物を出すとかアピールすればいいんですよ。(「東大英単」じゃないけどね)
なので、「逆転」じゃなくて、わたしの言っているのは「発展的」、「建設的」な意味の発想です。
> 沖縄問題にしても経済だけではなく政治や歴史や地政的な立場も複合的に考えるべきだと思いますが何故、経済ベースが正しいと思うのでしょうか?そもそも経済と社会的秩序って関係ないとは思いますが・・・
ここはあなたの完全な誤読(あるいは意図的な議論のすり替え)ですね。あえて丁寧に説明しますが、わたしが書いているのは、
「沖縄は左翼教育の実験場」だから「沖縄では小学生の飲酒が問題となっており、全国学力テストが最下位。成人式の若者の大暴れは恒例のニュース。DVは全国1位」
という小林氏の主張に対して、沖縄の若者の問題の原因を「左翼教育」だけのせいにするのはおかしい、むしろ経済的問題が主要な原因としてあるのではないか、という意味ですよ。
なので、わたしの批判を要約すれば、「左翼教育→若者問題」の批判図式として「経済問題→若者問題」を提出しているということ。
もちろん、「政治や歴史や地政的な立場も複合的に考えるべき」というご主張に反対はしませんが、小林氏の「左翼教育原因論」に対するわたしの反論への反論にはならないでしょう。というか、議論のすり替え以前の誤読としか思えませんけどね。
最後に、
> 確かに今の天皇は国体護持ですら現状の日本の状況には相容れないものですが、政治的だとか文化的だとかいわずに一度、日本とはなんなのか?という方向から考えてみるのもいいんじゃないの
ここは何を言っているのか文章的によくわかりませんが、「三種の神器が失われたら国体が護持できない」みたいな理屈が今生きている日本人に何の意味を持つのか、ウヨクはよ~く考えてみるべきではないですか?
また、政治や文化の問題をはずして「日本」を考えるって、何をいいたいのかさっぱり判りませんよ?(古事記に遡れみたいな意味?)
むしろ、他者(外国)の存在を意識しなければ「日本」なんて見えてこないというのがわたしの考え。たとえば、戦前にリットン調査団から、「中国人の英語はよく判るが日本の高官の英語はさっぱり判らない」とバカにされた状況が、今も形を変えて変わらないというのがわたしの認識です。
また、
> そう目くじらたてて小林はあほだ馬鹿だと批判することもないかと
アマゾンの絶賛レビューの数々を読んでゾッとして書いた記事だったんですが、読んだ本について自由に感想を書くことが悪いことなんですかね?
だったら、あなたの「天皇論のReview漁り」というのは、同じ感想を読み続けるマスターベーションみたいなものでしょ?
そういうのをまさに、ショーペンハウワーが「読書について」という文章で語っています。
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」
少なくとも、この本のアマゾンのレビューワーに、自分で物を考えている人はいないんじゃないかとわたしは思ったな~。だって、賛成したにせよ、小林氏の取り上げた文章くらいは自分の目で検証すべきですからね。
なお、
>貴方のも偏った1つの意見
といわれても、わたしの今回の記事は直球なんですよね、自分の目でいろいろ検証して書いてますから。それに、偏ったところを正確に言ってくれないと「偏った」とは断定できないんじゃないですか?
以上、貴方の偏った1つの意見に反論申し上げました。
あと、「相対主義者」というのを侮蔑語のつもりで使ってるみたいだけど、どうせ小林よしのりとか西部邁の受け売りでしょ?
他人の言葉を使って何かをいったつもりって、あんまり賢くないんじゃないのかな?
お里が知れるというかね~。
論評読んだ限りでは切られお富さんは
左よりの人なんだと思ってしまいました。
>論評読んだ限りでは切られお富さんは
左よりの人なんだと思ってしまいました。
具体的にどの点からそう思うのか説明していただかないと、お答えのしようがないですね~。
まあ、わたしは右翼だ左翼だってことには興味はないんですけどね。
それに、「左翼」が悪いレッテルになったのって、本当にココ何年かですよね。その前は「右翼」が悪口だったんですから、人の言葉の尻馬に乗るのはよくない趣味だとは思いますよ。
それより、自分で自分の価値観を決めるのが大事。
ところで、以下の現象についてどう思いますか?
・2.26事件の将校たちの国家社会主義
・靖国参拝議員たちの市場原理主義
・伝統演劇を守る国立劇場の独立行政法人化に賛成した保守政治家
・伝統演劇を守る国立劇場の独立行政法人化に反対した労働組合関係者
それぞれ、右翼なんでしょうか、左翼なんでしょうか?
ところが、こいつは最終章に於いて女系天皇の正統性の根拠として高貴な徳を挙げているんですよね。皇后陛下の高潔な人格を例にして。
血統的な高貴さよりも精神的な高潔さや国民の親しみで国家元首の地位を保証すると云う理論は小林自身が否定的に見做している共和主義や易姓革命にも通じます。然し、此の男はこの様な論理矛盾にはお構いなし。
更に、女系天皇容認論が悪魔の思想(小林の評価)の持主達に拠って発案された事も知りませんからね。まあ、此の本がトンデモ本かは否かは評価が分かれるところですが、自分ならば「謎と矛盾に満ちた本」と評しますね。
わたしも女系天皇容認みたいなくだりは疑問を持ちました。なにしろ、散々伝統めかしたことを書いてますからね~。
わたしはこの本には残念ながら「謎」は感じませんが、「矛盾に満ちた本」だとは思いますね。