①鳴神
これはよかった。
以前、新橋演舞場でやった新之助・菊之助コンビの「鳴神」の、原初的でさわやかな色気溢れる舞台を観てこの芝居の面白さに初めて目覚めたのだけど、今回の三津五郎・時蔵コンビはまた違った味わいがあり、とても良い舞台だった。
話を簡単に言うと、朝廷に恨みを持つ鳴神上人が秘法を使って雨が降らないようにしてしまった。そこで、朝廷から遣わされた雲の絶間姫が色香を使い鳴神上人を堕落させて、雨を降らせようとするというもの。ちょっと神話的な設定の話なんですね。
この芝居の雲の絶間姫って、(見た目だけの問題でなく)巫女的な性格を持つ役だと思うのだけど、今回の時蔵は抑え目でしっとりとしたところがあり、とても良かった。普段、世話めいた芝居では声の質のせいもあって、兎角、品のない感じになりがちな時蔵だが、(この辺が、私が時蔵と福助を苦手にしている理由。)力が抜けたところに漂う色気のようなところもあって好印象。これは、新橋演舞場の昼の部と掛け持ちしていたからなのかな?ただこのお姫様、そもそも劇中では一応未亡人として登場するので、あからさまに色町の女風では違和感ある役だとは思うんですけどね。
一方、三津五郎の鳴神。海老蔵がやった時は、若々しくいかつい荒事ふうな鳴神上人だったのだけど、三津五郎の鳴神は表情豊かで、心の変化を表情の変化で巧妙に見せる。先月の「たぬき」の芝居のうまさを思い出すような、いわば世話物的な楽しさがあるように思われた。
そして、この芝居のテンポや色気を演出しているのは脇役の白雲坊と黒雲坊。今回の秀調と桂三も調子が良かった。この芝居の好きなところは、雲の絶間姫の台詞をこの二人が鸚鵡返しに言うところのリズム。一人のアイドルについてる二人のダンサーみたいな楽しさがある。
鳴神の三津五郎が堕落させられてしまうくだりは、普段も遊び人らしい?三津五郎の面目躍如で色っぽくてよかったのと、最後に騙されたことに気づいて怒りの形相で引っ込むところの立派さ、勇壮さは荒事らしくてよかった。
地味ながら最近充実してる三津五郎の舞台、今年は注目ですね。
②土蜘
大変楽しみにしていたのだけど、正直なところ、もうひとつ楽しめなかった。そもそも、ちょっと長くてだれる演目ではあるのだけど。
吉右衛門の僧智籌は柄も大きい人だし、花道の出から威圧感があって立派でちょっと鳥肌がたったし、数珠を持ったところもかっこよくて、ついつい舞台写真も買ってしまったほど。ただ、一種の舞踊劇でもあるこの芝居、柔らかな身のこなしという感じではなかったのは確か。以前見た松緑(もちろん二世です。)の体の柔らかさがいかにも音羽屋系の舞踊劇という感じだったのを考えると、吉右衛門は時代物風の「土蜘」という感じか。
芝翫の頼光は病身の貴公子という感じで、立ち回りより寒気をしのぐ為に内掛けを掛けられてる姿の方が断然雰囲気があって良かった。あと、良かったのはやっぱり段四郎の保昌。声の押し出しが立派で、一の家来というのはやっぱりこうですよ、きっと。
なお、この芝居の小鼓は先日テレビの放送もあった田中傳左衛門。ついついちらちら目が行ってしまった。
NHKスペシャル「鼓の家」を見た!
日本TV スーパーテレビ「片岡仁左衛門の家族物語」
③魚屋宗五郎
黙阿弥物としては苦手な芝居で、はっきりいうと私にはよくわからないところのある芝居。喜劇なんだか悲劇なんだか、リアルなものなのか誇張されたものなのか?常々そう思っていたら、たまたま最近読んだ小谷野敦氏の『江戸幻想批判』でもこの芝居に対する疑問が表明されていて、「私だけではなかったんだ!」とホッとしたところ。余談ながら、ベストセラー新書『もてない男』の著者がかなりの歌舞伎通だとは全然知らず、見直しましたよ、ホント!
話は、殿様の妾になっていた妹が無実の罪で殺され、酒乱のために酒を断っていた主人公(魚屋宗五郎)が久々に飲んだ酒に酔って、殿様の屋敷に暴れこむというもの。(これでなんだかわかりますか?)初演では五代目菊五郎が殺される妹と宗五郎の二役をやっていたそうですが、現在では妹が出てくるところは省略されているので、いつか通しになったものをみて見たい気もするのだけど…。要はこの芝居、宗五郎が段々酒に酔っていくところの芝居が見所で、魚屋一家が酒に酔った宗五郎に振り回されることで、「酔っ払い」というものを表現するというチームワークの芝居なんですね。
この芝居、案外よく上演されていて勘九郎、菊五郎、三津五郎がやっているのだけど、個人的には三津五郎が深刻過ぎず、冗談過ぎずで良かったのだが、今回は幸四郎がなんと初役。新年から幸四郎、意欲的だなあと思ったのだけど、さて…。
まず率直な感想を言うと、幸四郎はつくづく巧い役者だなということ。歌舞伎以外の芝居経験も豊富なこの人のこと、しっかり観客もつかむし、観た人達は満足して帰ったはず。私も、これが幸四郎の一人芝居か何かで、歌舞伎座でなく他の劇場だったら感心したのだろうけど…。
落語でもそうだけど、日本の古典芸能における「酔態」の演技は、一種「粋」の美学に繋がっている様なところがあって、とりわけこの芝居みたいに江戸の話で江戸の庶民が江戸の言葉でやるような芝居を(ちょっとくどいかな?)を、巧妙な喜劇風に演じられると何かえもいわれぬ違和感が残ってしまうことは確か。これがまた下手なわけではなく、あまりにうまいもんだから余計に厭味に感じてしまうんだな~。変な喩えかもしれないが、志ん生や小さんの演じる「酔っ払い」をイッセー尾形がやったみたいな感じというのか…。
今回傑作だったのは宗五郎の父・太兵衛役の芦燕。最近ではこの役、松助がやっていて、ちょっと滑稽味がありすぎて違和感を感じていたのだけど、冗談過ぎず真面目過ぎずという感じの芦燕は個人的には大当たり。滑稽味と哀愁を併せ持ついいオヤジさんぶり。
舞台は磯辺邸に移って、家老・十左衛門の段四郎がやっぱり立派。声も良いし家老の貫禄充分。そして最後に磯辺の殿様磯辺主計之助登場なのだが、今回のこの役は友右衛門。梅玉なんかがこの役に一番あっているのだろうけど、去年の海老蔵襲名興行の折、海老蔵がこの役をやっていて、登場した途端、霧が晴れたみたいな気持ちよさがあって、初めてこの役はおいしい役なんだと気づかされた。そのときの記憶がまだ生々しいだけに、もうひとつ今回の友右衛門は地味な印象。
というわけで、場内は沸いたが、なんだか考えさせられた今回の「魚屋宗五郎」でした。
・江戸幻想批判―「江戸の性愛」礼讃論を撃つ
これはよかった。
以前、新橋演舞場でやった新之助・菊之助コンビの「鳴神」の、原初的でさわやかな色気溢れる舞台を観てこの芝居の面白さに初めて目覚めたのだけど、今回の三津五郎・時蔵コンビはまた違った味わいがあり、とても良い舞台だった。
話を簡単に言うと、朝廷に恨みを持つ鳴神上人が秘法を使って雨が降らないようにしてしまった。そこで、朝廷から遣わされた雲の絶間姫が色香を使い鳴神上人を堕落させて、雨を降らせようとするというもの。ちょっと神話的な設定の話なんですね。
この芝居の雲の絶間姫って、(見た目だけの問題でなく)巫女的な性格を持つ役だと思うのだけど、今回の時蔵は抑え目でしっとりとしたところがあり、とても良かった。普段、世話めいた芝居では声の質のせいもあって、兎角、品のない感じになりがちな時蔵だが、(この辺が、私が時蔵と福助を苦手にしている理由。)力が抜けたところに漂う色気のようなところもあって好印象。これは、新橋演舞場の昼の部と掛け持ちしていたからなのかな?ただこのお姫様、そもそも劇中では一応未亡人として登場するので、あからさまに色町の女風では違和感ある役だとは思うんですけどね。
一方、三津五郎の鳴神。海老蔵がやった時は、若々しくいかつい荒事ふうな鳴神上人だったのだけど、三津五郎の鳴神は表情豊かで、心の変化を表情の変化で巧妙に見せる。先月の「たぬき」の芝居のうまさを思い出すような、いわば世話物的な楽しさがあるように思われた。
そして、この芝居のテンポや色気を演出しているのは脇役の白雲坊と黒雲坊。今回の秀調と桂三も調子が良かった。この芝居の好きなところは、雲の絶間姫の台詞をこの二人が鸚鵡返しに言うところのリズム。一人のアイドルについてる二人のダンサーみたいな楽しさがある。
鳴神の三津五郎が堕落させられてしまうくだりは、普段も遊び人らしい?三津五郎の面目躍如で色っぽくてよかったのと、最後に騙されたことに気づいて怒りの形相で引っ込むところの立派さ、勇壮さは荒事らしくてよかった。
地味ながら最近充実してる三津五郎の舞台、今年は注目ですね。
②土蜘
大変楽しみにしていたのだけど、正直なところ、もうひとつ楽しめなかった。そもそも、ちょっと長くてだれる演目ではあるのだけど。
吉右衛門の僧智籌は柄も大きい人だし、花道の出から威圧感があって立派でちょっと鳥肌がたったし、数珠を持ったところもかっこよくて、ついつい舞台写真も買ってしまったほど。ただ、一種の舞踊劇でもあるこの芝居、柔らかな身のこなしという感じではなかったのは確か。以前見た松緑(もちろん二世です。)の体の柔らかさがいかにも音羽屋系の舞踊劇という感じだったのを考えると、吉右衛門は時代物風の「土蜘」という感じか。
芝翫の頼光は病身の貴公子という感じで、立ち回りより寒気をしのぐ為に内掛けを掛けられてる姿の方が断然雰囲気があって良かった。あと、良かったのはやっぱり段四郎の保昌。声の押し出しが立派で、一の家来というのはやっぱりこうですよ、きっと。
なお、この芝居の小鼓は先日テレビの放送もあった田中傳左衛門。ついついちらちら目が行ってしまった。
NHKスペシャル「鼓の家」を見た!
日本TV スーパーテレビ「片岡仁左衛門の家族物語」
③魚屋宗五郎
黙阿弥物としては苦手な芝居で、はっきりいうと私にはよくわからないところのある芝居。喜劇なんだか悲劇なんだか、リアルなものなのか誇張されたものなのか?常々そう思っていたら、たまたま最近読んだ小谷野敦氏の『江戸幻想批判』でもこの芝居に対する疑問が表明されていて、「私だけではなかったんだ!」とホッとしたところ。余談ながら、ベストセラー新書『もてない男』の著者がかなりの歌舞伎通だとは全然知らず、見直しましたよ、ホント!
話は、殿様の妾になっていた妹が無実の罪で殺され、酒乱のために酒を断っていた主人公(魚屋宗五郎)が久々に飲んだ酒に酔って、殿様の屋敷に暴れこむというもの。(これでなんだかわかりますか?)初演では五代目菊五郎が殺される妹と宗五郎の二役をやっていたそうですが、現在では妹が出てくるところは省略されているので、いつか通しになったものをみて見たい気もするのだけど…。要はこの芝居、宗五郎が段々酒に酔っていくところの芝居が見所で、魚屋一家が酒に酔った宗五郎に振り回されることで、「酔っ払い」というものを表現するというチームワークの芝居なんですね。
この芝居、案外よく上演されていて勘九郎、菊五郎、三津五郎がやっているのだけど、個人的には三津五郎が深刻過ぎず、冗談過ぎずで良かったのだが、今回は幸四郎がなんと初役。新年から幸四郎、意欲的だなあと思ったのだけど、さて…。
まず率直な感想を言うと、幸四郎はつくづく巧い役者だなということ。歌舞伎以外の芝居経験も豊富なこの人のこと、しっかり観客もつかむし、観た人達は満足して帰ったはず。私も、これが幸四郎の一人芝居か何かで、歌舞伎座でなく他の劇場だったら感心したのだろうけど…。
落語でもそうだけど、日本の古典芸能における「酔態」の演技は、一種「粋」の美学に繋がっている様なところがあって、とりわけこの芝居みたいに江戸の話で江戸の庶民が江戸の言葉でやるような芝居を(ちょっとくどいかな?)を、巧妙な喜劇風に演じられると何かえもいわれぬ違和感が残ってしまうことは確か。これがまた下手なわけではなく、あまりにうまいもんだから余計に厭味に感じてしまうんだな~。変な喩えかもしれないが、志ん生や小さんの演じる「酔っ払い」をイッセー尾形がやったみたいな感じというのか…。
今回傑作だったのは宗五郎の父・太兵衛役の芦燕。最近ではこの役、松助がやっていて、ちょっと滑稽味がありすぎて違和感を感じていたのだけど、冗談過ぎず真面目過ぎずという感じの芦燕は個人的には大当たり。滑稽味と哀愁を併せ持ついいオヤジさんぶり。
舞台は磯辺邸に移って、家老・十左衛門の段四郎がやっぱり立派。声も良いし家老の貫禄充分。そして最後に磯辺の殿様磯辺主計之助登場なのだが、今回のこの役は友右衛門。梅玉なんかがこの役に一番あっているのだろうけど、去年の海老蔵襲名興行の折、海老蔵がこの役をやっていて、登場した途端、霧が晴れたみたいな気持ちよさがあって、初めてこの役はおいしい役なんだと気づかされた。そのときの記憶がまだ生々しいだけに、もうひとつ今回の友右衛門は地味な印象。
というわけで、場内は沸いたが、なんだか考えさせられた今回の「魚屋宗五郎」でした。
・江戸幻想批判―「江戸の性愛」礼讃論を撃つ
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