
前にも記事にしたことがあるんですが、太宰には「12月8日」という作品があって、太平洋戦争開戦時の気分をお得意の女性の一人称で表現しているんですが、これが見事なまでの戦争礼賛。同様に、小林秀雄が戦前に書いた「三つの放送」という文章も似たような爽快感を表現しているんですよね。で、別に、この二人を断罪しようというのじゃないですが、当時の世相というか、時代の気分を象徴した文章を読むことで、時代の空気を知っておくのもよいんじゃないのかなと。「空気を読め」とかいう御時勢ですしね。
ただ、太宰の「12月8日」が面白いのは、太宰の妻と思しき女性の一人称が戦争に高揚している一方で、太宰とおぼしき「ぐうたら旦那」のとぼけっぷりが、微妙に戦争に背を向けている感じがしなくもないこと。
連載されたのが戦時中の雑誌「婦人公論」だったということで、女性の熱狂を描きつつ、微妙な反応の男(旦那)を描き、最後は暗闇で不安感にかられる妻を旦那が引っ張っていくという意味深な終わり方が、今考えるとなかなかに太宰も策士だったかな~と、思えなくもないですね~。
ということで、これは青空文庫で読めるので、気になった方は是非ご一読を。
一方、小林秀雄の方が、むしろ今読むと馬鹿正直というか、大問題で、
「日米会談という便秘患者が、下剤をかけられた様なあんばいなのだと思った。」
「戦闘状態に入れり」のたった一言で、雲散霧消したのである。それみた事か、とわれとわが心に言いきかす様な想いであった。」
といった調子。こういうのを聞かされると、小泉、安倍から橋下徹にいたる政治とその支持者たちを連想するのはわたしだけでしょうか・・・。
といって、わたしは必ずしも小林秀雄が嫌いなわけではないんだけど、共産主義とサルトルなんかの関係同様、左右関係なく、インテリも大衆なんだと思わずにはいられないですね。
というようなわけで、教科書にでも載せるべき二編だと思いますよ。
PS:小林秀雄の方はネットで探すと読めたりするんですよね。
ただ、太宰の「12月8日」が面白いのは、太宰の妻と思しき女性の一人称が戦争に高揚している一方で、太宰とおぼしき「ぐうたら旦那」のとぼけっぷりが、微妙に戦争に背を向けている感じがしなくもないこと。
連載されたのが戦時中の雑誌「婦人公論」だったということで、女性の熱狂を描きつつ、微妙な反応の男(旦那)を描き、最後は暗闇で不安感にかられる妻を旦那が引っ張っていくという意味深な終わり方が、今考えるとなかなかに太宰も策士だったかな~と、思えなくもないですね~。
ということで、これは青空文庫で読めるので、気になった方は是非ご一読を。
一方、小林秀雄の方が、むしろ今読むと馬鹿正直というか、大問題で、
「日米会談という便秘患者が、下剤をかけられた様なあんばいなのだと思った。」
「戦闘状態に入れり」のたった一言で、雲散霧消したのである。それみた事か、とわれとわが心に言いきかす様な想いであった。」
といった調子。こういうのを聞かされると、小泉、安倍から橋下徹にいたる政治とその支持者たちを連想するのはわたしだけでしょうか・・・。
といって、わたしは必ずしも小林秀雄が嫌いなわけではないんだけど、共産主義とサルトルなんかの関係同様、左右関係なく、インテリも大衆なんだと思わずにはいられないですね。
というようなわけで、教科書にでも載せるべき二編だと思いますよ。
PS:小林秀雄の方はネットで探すと読めたりするんですよね。
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