the smithsの"panic"が好きと聞いて、俄然シンパシーのわいてきたペトロ三木氏。彼のブログの記事『今週の「バカは死ね」/「テレビにゃ出ない系」ミュージシャン』を読んで、正直共感した。
詳しくは彼のブログを読んでもらうとして、じつをいうとこのCM、わたしはまだ見たことがない。(ふだんあんまりテレビ見ないんでね。)
ただ、ビートルズがカバーした「MONEY」という曲じゃないけど、ポップ・ミュージックって、ファインアートと違って、金にまみれた資本主義の論理そのものだから自立しているジャンルだという感じがわたしにはある。(純文学に対するマンガみたいな意味で。)
だから、「金(MONEY)」や「名声(FAMOUS⇒FAME)」でなく、「MUSIC」だと言われても、じゃあ趣味で自主制作するか無料配信でもしたらと言いたくなってくる。それに、自主制作や同人誌なんかをやったことのある人なら言いたくなるんじゃないかな、「たくさんのオーディエンスを獲得したから得られた金と名声なんじゃないの」と。
もちろん、これは広告代理店が考えたコピーなんだろうけど、ポップ・ミュージックの場にいる人に「清貧」めいたことを言われても何だか胡散臭い。(元X-JAPANのTOSHIとか)「清貧」じゃないからポップだったりロックだったりするんで、 素直に「金は要るけど、そんなに物欲はない。」とか言われた方がまだわかるかな。
それと、わたしは近頃の歌番組は嫌いで見ないのだけど、その理由は、タモリだのダウンタウンだの石橋貴明なんぞに友達面されるミュージシャンが気に入らないからで、ましてや、かつてかたくななまでにテレビに出なかったとされる連中がお笑い芸人にいじられているのを見ると、中年サラリーマンの悲哀に似たものすら感じてしまう。(結局、彼らも音楽だけでは自立できなくなってしまったということを象徴してるんだろうけど。)
こんな歌番組をお茶の間で見て和んでいるような人達とは、わたしは人生観に相容れないものを感じるので、Whoの『キッズ・アー・オールライト ディレクターズ・カット完全版』でも見てた方がよっぽどいい。歌番組司会者をおちょくって機材を壊しまくるWhoのメンバーを見てた方がよっぽど和みますよ!(たとえ、なんかやらせっぽくても!)
今週の「バカは死ね」/「テレビにゃ出ない系」ミュージシャン
詳しくは彼のブログを読んでもらうとして、じつをいうとこのCM、わたしはまだ見たことがない。(ふだんあんまりテレビ見ないんでね。)
ただ、ビートルズがカバーした「MONEY」という曲じゃないけど、ポップ・ミュージックって、ファインアートと違って、金にまみれた資本主義の論理そのものだから自立しているジャンルだという感じがわたしにはある。(純文学に対するマンガみたいな意味で。)
だから、「金(MONEY)」や「名声(FAMOUS⇒FAME)」でなく、「MUSIC」だと言われても、じゃあ趣味で自主制作するか無料配信でもしたらと言いたくなってくる。それに、自主制作や同人誌なんかをやったことのある人なら言いたくなるんじゃないかな、「たくさんのオーディエンスを獲得したから得られた金と名声なんじゃないの」と。
もちろん、これは広告代理店が考えたコピーなんだろうけど、ポップ・ミュージックの場にいる人に「清貧」めいたことを言われても何だか胡散臭い。(元X-JAPANのTOSHIとか)「清貧」じゃないからポップだったりロックだったりするんで、 素直に「金は要るけど、そんなに物欲はない。」とか言われた方がまだわかるかな。
それと、わたしは近頃の歌番組は嫌いで見ないのだけど、その理由は、タモリだのダウンタウンだの石橋貴明なんぞに友達面されるミュージシャンが気に入らないからで、ましてや、かつてかたくななまでにテレビに出なかったとされる連中がお笑い芸人にいじられているのを見ると、中年サラリーマンの悲哀に似たものすら感じてしまう。(結局、彼らも音楽だけでは自立できなくなってしまったということを象徴してるんだろうけど。)
こんな歌番組をお茶の間で見て和んでいるような人達とは、わたしは人生観に相容れないものを感じるので、Whoの『キッズ・アー・オールライト ディレクターズ・カット完全版』でも見てた方がよっぽどいい。歌番組司会者をおちょくって機材を壊しまくるWhoのメンバーを見てた方がよっぽど和みますよ!(たとえ、なんかやらせっぽくても!)
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今週の「バカは死ね」/「テレビにゃ出ない系」ミュージシャン
ポップカルチャーってのは金とか名声とかを
どん欲に取り入れつつ突き進むってのは同意だね。
だから「ポップ」なんじゃねーかと。
降谷健志に感じた根本の疑問は
あのパフォーマンスが陳腐で「ポップ」じゃない事。
使い古された見え透いた手法で、客をナメてる感じが
するところだね。
ちなみに歌舞伎にも「スーパー歌舞伎」とかあるけど
俺は見た事ないのだが、古典芸能のポップカルチャー化
(ありゃそー言えるのか?)ってのはいかがな感じなのかね?
どん欲に取り込んで突き進んで行くってのは同意だね。
だから「ポップ」なんじゃねーかと。
降谷健志に疑問を感じたのも言葉と行動がデタラメ
うんぬん以前に「ポップ」じゃない事があった。
トレンドが時代と共に巡るものとは言え
陳腐で使い古された手法に底が見えた感じがしたのだ。
ちなみに60年代UKに関して言うと
俺はWHOよりKINKS派なのだった。
もう1回書いたらまた表示がなくて
時間開けてもう1回みたら2つとも出てやがる。
2つあるとマヌケだなぁ(笑)
このコメント含め、どっちか消しといて下さい。
申し訳ない。
つまり テレビ会社・プロデユーサー・スポンサーに迎合しようとして本来のあり方を放棄してしまった結果でしょう。
又 番組の司会者達も出演者などのご機嫌取りに終始して視聴者無視番組にしてしまったり。
それを嫌って抵抗して居た「テレビ出ない」宣言をした歌手達を尊敬して居たら、何時の間にかテレビにチョロチョロ出てるじゃないか。
偉そうに宣言したって結局はテレビに出たかったんじゃないの。全く節操の無い人達だねえ、尊敬して損しちゃった。これからは軽蔑しよう。
ブログの不具合でごめんなさい。
「古典芸能のポップカルチャー化」についてですが、私は反対論者の一人。
猿之助なんかは実験性という点でまだいい方で、新勘三郎がたまにやるものの中には、あまり感心しない俗っぽいものが多く、辟易させられます。でも、歌舞伎座に来るおじさんおばさんの団体客は、こういうものの方が好きなようですが。
不老愚助光さん
レコード会社やプロダクションの意向に左右されているミュージシャンに問題を感じます。おそらくCD自体の売上低迷が原因でしょうが、テレビやCMなどのタイアップに象徴されるように、俗っぽいプロモーション活動にミュージシャンサイドが呑まれてしまっているような気がしますね。
これだって、CD売上とコンサートの動員だけで食えていれば問題ないのでしょうが…。
それと矢沢永吉の場合は、借金返すためになりふり構わずになっていったってことじゃないですかね?
あと、still illなど