5人死亡のダム放流「天災だが人災」 説明会で住民訴え
大切な人や家を失ったら、
その理由を誰かに求めたくなる気持ちはお察しします。
なんで自分がこんな目に遭わなければいけないのか。
相手が自然の場合、どうしようもないから諦めます。
みんなどこにも向けられないモヤモヤを飲み込んで生きているのです。
でも、東日本大震災あたりから、
なんでも誰かのせいにする風潮があるように思います。
自然災害ですから、それを予見して防ぐための努力を怠ったとして
行政(公務員)を責めます。
避難誘導が間違っていたと教師(公務員)を責めます。
避難勧告が遅かったとして市町村長を責めます。
こういうときは公務員は責められ役です。
地球の上で生きている以上、
人間が想像できないことは起こり得るのです。
それを防止できると思っていること自体、
人間のエゴです。
日本は平野が少ないのですから、
山の斜面に住む人がたくさんいます。
山が流れれば当然被害に遭います。
昔の人は自然とともに生きているから分かっていたと思いますが、
今は家の後ろに山を背負っていても
なぜか安全だと信じ込んでいる人が多いのでしょう。
災害大国の日本で、
自然災害を完全に防ぐ、
もしくは被害を最小限に抑える対策を取ろうとすると、
莫大な費用がかかります。
中国人の蓮舫さんは、
スーパー堤防の予算の仕分けのときに
「100年に一度起きるかどうか分からないような災害の対策をする必要があるのか」
と言いました。
昨年も今年もこれまでに経験のない大雨が降り、
結果的に数十年間起きていなかった場所に大災害が起きています。
人間の力で完全な安全は確保できませんが、
微々たる抵抗をするために公共工事でダムや堤防を作ります。
でも、それに反対する人が必ずいます。
選挙のための地元へのお金のバラまきだとか、
建設業者のための工事だとか、
環境破壊につながるとか。
大型の公共工事は数十年の時間がかかることがあります。
税金の無駄遣いだとか叫んでいた人でも
こういった災害に遭うと、
なぜ対策を施さなかったのかと行政を責めたりするのではないでしょうか。
税金の無駄遣いは批判すべきことだし、
公務員の事なかれ主義は責められるべきことですが、
自然災害はどうしようもない。
先日ニュースに
大雨が降る度におばあちゃんを避難させていた娘さんが、
今回もその判断でおばあちゃんの命を救ったことが書いてありました。
常日頃から自然災害に対する意識の持ち方が問われていると思います。