wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

国立競技場と神田明神と両国にある回向院

2024-04-28 16:54:43 | 近県・県内の名所
令和6年4月28日(日)、連休中日、本来は習い事があったのだが、急遽先生の具合が悪くなったので中止に。
そこで、以前読んでいたく感動した井上靖氏の「おろしや国酔夢譚」(こくすいむたん)で、両国の回向院に神昌丸の積み荷の荷主が施主となり大黒屋光太夫らの供養塔があるというのが気になっていたので行ってきた。ついでに、国立競技場の東京オリンピックのオブジェを見て、神田明神にも行ってきた。
では順に書いていこう。
まずは国立競技場へ。ADOのコンサートが夕方からあるからか、ずいぶん中若男女がいた。今まで日本で開かれたオリンピックのトーチが展示されていた。もちろん2020のもあった。

近くのラーメン屋さんへ。2階席から国立競技場が見られるというのが売りの背油ぎっとリで、2回目はいいかな~
      

次に神田明神へ。ここでお祭りには神輿がひしめき合うそうだ。
      

両国駅構内では餃子を自分で焼いて食べる催しがされていた。3番線ホームは今は使われていないそうだ。
 

最後は行きたかった両国にある回向院である。ここは江戸時代、明暦の大火で被害にあった人たちを供養していることが有名なんだそうだ。探していた供養碑が他の石碑と共に一回り小さかったが建てられていた。
石碑には船に乗っていた16人とはいかないまでも、光大夫や長次郎ら3,4人の名前が刻まれていた。
三重県の鈴鹿市白子港から江戸に向けて出港した神昌丸が、暴風雨に巻き込まれてアリューシャン列島の方まで流されてしまった。光太夫たちは厳寒に耐えながらも、飢餓に苦しみながらも、仲間を失いながらも、その土地土地の生活に適応し、新しいことに興味を持ちながら、言葉を覚えながら、生き抜いた。特に船を作って海を渡ったり、シベリアを横断してエカチェリーナ2世に謁見したことが「すごい!」と感動した。ほんとたくさんの困難を乗り越えて日本に戻ってこられたと思う。結局4人生き残ったが、そのうちの2人はロシア正教に入信したため日本には帰らずロシアに残り、光太夫と磯吉2人は日本に戻ってきた。最後まであきらめずに生き抜いた光太夫たちに日本人の気概を感じていたく感動した。
荷主はそんな光太夫たちを崇め奉ったのかもしれない。
      

4月下旬だというのに真夏のような暑さで、参った。
でもまた知らなかった歴史の一部を知ることができてうれしかった。


コメント (2)
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