横浜っこは
横浜に帰ってくると、すごくホッとします。
今は、この、横浜ランドマークタワーが、横浜っこのシンボルですね。
震災後3年目に突入です。でも、2011年3月11日は決して忘れない。
助け合いの精神は不滅です!
NIPPON ! がんばれ! 大和魂全開だ☆
東日本大地震の被害に遭われた多くの方々から、元気に復活の年になりますように!
自分ができることを探して、自分ができる事を続けて行きます
心と気持ち、物の大切さを見直します!
がんばれニッポン つながる! 日本
こんにちは。
先月のツキノワグマさんのブログに、
ヤンヨーステンのお話が載っていたかと思います。
あのブログを読んで思い出したことがありました。
日本の開国までの激動の歴史の中で、ヤンヨーステンと共に知られ
神奈川にも縁の深いウィリアムアダムスこと三浦按針(みうらあんじん)さん。
数奇な運命送った彼を祀ってある慰霊碑が、京浜急行の安針塚駅で下車したところの塚山にあると言います。
が、私は行った事がありません。
と言うか、行けない。
子供の頃、京浜急行に乗って三浦方面に行くとき
とにかく必ず「安針塚」と言う駅を通るとき、
何故か両手で耳をふさぎ、硬く目を閉じていた記憶があります。
とても怖かったのです。
彼がどのような人生を送り、歴史に名前を残して行ったのか
詳しい事は良くわかりませんが
多分ものすごく激しいものを持ち、激しい人生だったのではないかと思います。
今でも、『三浦按針』 と言う意言葉を聞くと
頭の中が揺さぶられるような、体全体が揺れるような、海か宇宙に放り出されるような感じがします。
…
…
30代のころ
横須賀に友達がいて、その子が、自転車に乗れないから練習するという事で
何人かで遊びに行った事がありました。
私ももちろん行ったわけですが
行くにあたって、よせばいいのに、自分の自転車を駆って
延々横浜から15号線を通って横須賀へ向かいました。
横浜は起伏が激しい場所が多いのですが、
この道は、さほど気にもならないほとんど平坦ですので
自転車で行くには全く問題ない道のりです。
強いて言えば、交通量が多いので気を付けないといけないなと言うくらい。
横浜市を抜けて、横須賀市に入った辺りで、
確か左側に学校のようなものが見えてきました。
丁度交差点だったような記憶があるのですが、
信号待ちをしながら、ふとその学校のような建物を眺めたら
休日(日曜日だったと思います)なのに、学校の窓に
女子学生の顔が見えたのです。
その時は余り気にもしなかったのですが、
信号が青になって、自転車を走らせ初めてからしばらくして
『あれ?そういえば、今日は日曜日だよな。何であんなところから学生がこちらを見ていたのかな??
しかも、遠くに見えているはずなのに、何で顔があんなにハッキリ大きく見えたんだろうな??』
そうなのです。
どう考えても、あの位置から見てあの高さの窓から見える顔の大きさは、とっても不自然なほど大きく見えたのです。
あらら、視ちゃったかな…
当時の私は、今のように、気が強くなかったので
何だかちょっと怖くなってしまいました。
ま、良いかと、気を取り直して、ひたすら進みますが
何だかトンネルが多くなってきた。
確かに、山を抜けますので横須賀に近づくとトンネルがたくさんあります。
早く行かないと、自転車の練習に付き合えないな~
横須賀が近づいてくると、どちらかと言うと緩い下り坂が続きますので、
余りこがなくても自転車はスピードが出てきます。
緩い下り坂を軽快に飛ばしながらトンネルを抜けていたその時です。
数か所連続してあるどのトンネルだったかは、良く覚えていないのですが
あるトンネル内で、いきなり、後ろから自転車をつかまれ、
後ろに引きずられ始めたのです。
『ぎゃ=======』
思わず、大きな声で叫んでしまいました。
だって、いくら自転車をこいでも前に進まないのです…
とにかく、必死でした。
一人でギャーギャー叫びながら、緩い下り坂(のはずのトンネルの中)を
必死でこぐ私を、
傍から見たらどんなふうに見えたのでしょうか。
とにかく、このトンネルを出ないと、本当にここから出られなくなってしまう
それ位、必死でした。 いや、決死でした。
やっと、トンネルから出たら、もう海が見え始め、あと少しで横須賀です。
いや~~怖かった。
そして、ものすごい冷や汗が、ドット出て、お日様の日が本当に生きている実感を与えてくれたとは
この感じかもしれません。大げさに聞こえますが、とにかく必死でした。
…
…
今考えると、この辺りが、按針さんの祀られている安針塚の辺りだったのではないかと思います。
何で、こうなるのか、良くわかりません。
が、いつか、この理由がわかるときが来るのかもしれません。
歴史が変わるときに携わって人々のエネルギーと言うのは
本当に激しく、強く、そしていまだに息づいているのではないかなとつくづく思います。
さて、今日のところはおしまいにします。
横須賀の帰りは、友達のお父さんに車に自転車を積んでもらい、
横浜まで帰ってきました。
だって、また、引きずられたら…
あちらこちらで香る、ジャスミンの花
横浜に帰ってくると、すごくホッとします。
今は、この、横浜ランドマークタワーが、横浜っこのシンボルですね。
震災後3年目に突入です。でも、2011年3月11日は決して忘れない。
助け合いの精神は不滅です!
NIPPON ! がんばれ! 大和魂全開だ☆
東日本大地震の被害に遭われた多くの方々から、元気に復活の年になりますように!
自分ができることを探して、自分ができる事を続けて行きます
心と気持ち、物の大切さを見直します!
がんばれニッポン つながる! 日本
こんにちは。
先月のツキノワグマさんのブログに、
ヤンヨーステンのお話が載っていたかと思います。
あのブログを読んで思い出したことがありました。
日本の開国までの激動の歴史の中で、ヤンヨーステンと共に知られ
神奈川にも縁の深いウィリアムアダムスこと三浦按針(みうらあんじん)さん。
数奇な運命送った彼を祀ってある慰霊碑が、京浜急行の安針塚駅で下車したところの塚山にあると言います。
が、私は行った事がありません。
と言うか、行けない。
子供の頃、京浜急行に乗って三浦方面に行くとき
とにかく必ず「安針塚」と言う駅を通るとき、
何故か両手で耳をふさぎ、硬く目を閉じていた記憶があります。
とても怖かったのです。
彼がどのような人生を送り、歴史に名前を残して行ったのか
詳しい事は良くわかりませんが
多分ものすごく激しいものを持ち、激しい人生だったのではないかと思います。
今でも、『三浦按針』 と言う意言葉を聞くと
頭の中が揺さぶられるような、体全体が揺れるような、海か宇宙に放り出されるような感じがします。
…
…
30代のころ
横須賀に友達がいて、その子が、自転車に乗れないから練習するという事で
何人かで遊びに行った事がありました。
私ももちろん行ったわけですが
行くにあたって、よせばいいのに、自分の自転車を駆って
延々横浜から15号線を通って横須賀へ向かいました。
横浜は起伏が激しい場所が多いのですが、
この道は、さほど気にもならないほとんど平坦ですので
自転車で行くには全く問題ない道のりです。
強いて言えば、交通量が多いので気を付けないといけないなと言うくらい。
横浜市を抜けて、横須賀市に入った辺りで、
確か左側に学校のようなものが見えてきました。
丁度交差点だったような記憶があるのですが、
信号待ちをしながら、ふとその学校のような建物を眺めたら
休日(日曜日だったと思います)なのに、学校の窓に
女子学生の顔が見えたのです。
その時は余り気にもしなかったのですが、
信号が青になって、自転車を走らせ初めてからしばらくして
『あれ?そういえば、今日は日曜日だよな。何であんなところから学生がこちらを見ていたのかな??
しかも、遠くに見えているはずなのに、何で顔があんなにハッキリ大きく見えたんだろうな??』
そうなのです。
どう考えても、あの位置から見てあの高さの窓から見える顔の大きさは、とっても不自然なほど大きく見えたのです。
あらら、視ちゃったかな…
当時の私は、今のように、気が強くなかったので
何だかちょっと怖くなってしまいました。
ま、良いかと、気を取り直して、ひたすら進みますが
何だかトンネルが多くなってきた。
確かに、山を抜けますので横須賀に近づくとトンネルがたくさんあります。
早く行かないと、自転車の練習に付き合えないな~
横須賀が近づいてくると、どちらかと言うと緩い下り坂が続きますので、
余りこがなくても自転車はスピードが出てきます。
緩い下り坂を軽快に飛ばしながらトンネルを抜けていたその時です。
数か所連続してあるどのトンネルだったかは、良く覚えていないのですが
あるトンネル内で、いきなり、後ろから自転車をつかまれ、
後ろに引きずられ始めたのです。
『ぎゃ=======』
思わず、大きな声で叫んでしまいました。
だって、いくら自転車をこいでも前に進まないのです…
とにかく、必死でした。
一人でギャーギャー叫びながら、緩い下り坂(のはずのトンネルの中)を
必死でこぐ私を、
傍から見たらどんなふうに見えたのでしょうか。
とにかく、このトンネルを出ないと、本当にここから出られなくなってしまう
それ位、必死でした。 いや、決死でした。
やっと、トンネルから出たら、もう海が見え始め、あと少しで横須賀です。
いや~~怖かった。
そして、ものすごい冷や汗が、ドット出て、お日様の日が本当に生きている実感を与えてくれたとは
この感じかもしれません。大げさに聞こえますが、とにかく必死でした。
…
…
今考えると、この辺りが、按針さんの祀られている安針塚の辺りだったのではないかと思います。
何で、こうなるのか、良くわかりません。
が、いつか、この理由がわかるときが来るのかもしれません。
歴史が変わるときに携わって人々のエネルギーと言うのは
本当に激しく、強く、そしていまだに息づいているのではないかなとつくづく思います。
さて、今日のところはおしまいにします。
横須賀の帰りは、友達のお父さんに車に自転車を積んでもらい、
横浜まで帰ってきました。
だって、また、引きずられたら…
あちらこちらで香る、ジャスミンの花