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山が好きかも… 横浜・スィート♪ハッピー☆シャイン・Oh!レイ!

犬好き♪スポーツ好き♪ヨガ教えてるのに、不動産の世界に入り込んで、山好き社長さんの会社に就職した社員のつぶやきです。

そもそも、山下公園は…☆ どうしても行けなかった場所があった

2013-09-06 19:00:00 | 不思議なお話
横浜・山下公園の氷川丸
完全に固定されている建造物です。



  震災後3年目に突入です。でも、2011年3月11日は決して忘れない。
        助け合いの精神は不滅です! 
  

        NIPPON ! がんばれ!  大和魂全開だ☆ 

   東日本大地震の被害に遭われた多くの方々から、元気に復活の年になりますように!
  
   自分ができることを探して、自分ができる事を続けて行きます 
       心と気持ち、物の大切さを見直します!    
   がんばれニッポン つながる! 日本 

こんにちは。

昨日、山下公園の変貌をお話しました。

そもそも、山下公園は、関東大震災の被害に遭った横浜の街のがれきで出来た公園です。
悲しい事から、復興しようとした市民が
一生懸命に作った公園です。

山下公園の歴史はこちらで確認していただくこととしまして、
1989年にみなとみらい地区で行われた、横浜博覧会を機に、山下公園が整備されるまで
とにかく、奥の方=山下埠頭側 は、森のようにうっそうと木が生い茂り
昼間でも暗い公園でした。



   ※参考までにこんな感じでした。



場所で言うと、氷川丸から先。
サンディエゴ友好の泉に佇む、水の神様のツボを持った像より奥は
子供の頃、全く先に行けませんでした。
と言うよりも、まず、この像の周辺も暗く、像自体が怖くてそばに寄れず



なぜか、それでも近寄ると、必ず転んだりけがをしたりするのです。
氷川丸も時々、祖父や父に連れられて船内の見学をしたのですが
どうしても一か所、絶対に嫌で嫌で通れない場所があって、
確か、泣きながら通ったか、父に抱っこされて通ったか、走って通り過ぎたか。
もしくは、通ってもその後、原因不明で気持ちが悪くなって、父に怒られたか…

特に、うっそうと茂った場所には、どうしても入れず、
今回も、水の像から先へは、きれいになったにもかかわらず進むことができませんでした。





綺麗になったから、大丈夫かなと思いましたが


大人になった今でこそ、
この公園が、関東大震災の復興の証として作られた公園だったと知りましたが
子供の頃は、そんな事知らないし、
ただひたすら怖かったのです。
暗いから怖いのではなく、大勢の人に囲まれ大勢の人の声が聞こえるから…

そして、もう一つ気づいたこと。

山下公園の昔の写真をネットで探してみてみたら
私が見ていた(視ていた)山下公園ほどうっそうと茂っていない…
しかも、水の神様の像の周辺も元々開けていて明るい場所だった…

え、何で? 
何故、あの水の神様の像から向こうが暗く見えたのか、その先の茂みがうっそう視えたのか…

   何で?

さて、今日のところはおしまいにします。

  氷川丸の住人さん達





 のどかな横浜
   どうか、平和が続きますように。