「うまれたときからの、めしいか?」
男は小枝の動作から
感じた事をたずねた。
突っ立ったままの小枝のおももちは、
複雑である。
視力をうしなうまでに、二,三度
幸太の荷車に乗り、
町についていったこともある。
問屋の人間に
いくつだと訊ねられ
名前を聞かれた。
それ以来小枝が幸太以外の人間と
口を利いたことがない。
十年以上、幸太以外の人間に触れたことの無い
小枝には
おそろしいはずの男の存在は一方で好奇であった。
「いえ、ななつのとしにやまいをひろうて・・」
目が見えなくなったのだと小枝はこたえた。
「ほう・・・」
まるで、目が見えているかのような動きは
長い年月のなれのせいであるのだろうと、
男が思ったとおりであるが、
「すると、此処を一歩もでることがないのか?」
「はい。ここをでては、一歩もうごけなくなります」
女は小屋の中と小屋の外のわずかな敷地の中だけで
くらしているのだろう。
女のこの先もそうなのであろうと、思った男の口をついて
出て来た言葉は男にも、意外で、
その言葉の深い意味を考えたとき
男は女を酷く、傷つける言葉を吐いてしまったと思った。
「すると、おまえは一生、独り身で、此処にすまうということか?」
この先どうなるか?
小枝はかんがえてならぬことを
口にした、男に応える言葉をなくしていた。
女の沈黙が男に哀れを覚えさせた。
女は女に生まれながら、
どこかに嫁ぐ事も知らず、
誰かに寄り添う事も出来ず、
ありきたりな、女の幸せに
手を伸ばす事も出来ないのだ。
「あい・・。私は人様の役に立つ事も出来ず、
おとっつあんの助けでようようにいきております」
小枝の不安が言葉をつめさせる。
独りで生きて行くどころではない。
おとっつあんがいなければ、
小枝はどうなるのであろう。
そして、
頼りの幸太もいつか、この世から、居なくなるときが来る。
其のとき小枝はどうすればよいのだろう?
考えてはならぬ事が
小枝の胸の中に流れ込み、
面差しはかげりを見せる。
「わるいことを、きいてしもうたか」
男はぶっきらぼうに謝ったつもりである。
「あ、いえ。これは私のことですから・・」
男の居るだろう方に顔を上げなおし、小枝は笑って見せた。
その刹那。
男の中に沸きあがってくる想いがあった。
それは
女のいじらしさに打ちのめされた
あさましい男心といってよいかもしれない。
「おまえが、嫁しこすことを諦めてしまうは、
わからないでもないが・・・」
恋も知らず、
男にふれられもせぬまま、
一生をこの小屋の中で過し、
命をとじてゆくのか?
女の人生という布地に
色を染めることもなく、
無垢のまま、
骨になるのか?
あまりにあわれである。
そうとるのが、男のあさましさかもしれない。
そして、男の口をついて出た言葉は
唐突ゆえにいっそう野卑かもしれない。
「男をしりたくないか?」
おまえは女にならずとよいか?
人並みの幸せをてにいれられないとしても、
めしいゆえに
女になることもいらぬか?
「はい?」
男の言う意味が何をさすか、
小枝に理解できる、焦がれがある。
木々に群れ集う小鳥とて、
春の獣とて、
相手をもとむるせつなさになく。
そのせつなさの萌芽が小枝にないとはいわない。
だが・・・。
女が答えに戸惑うをみつめていた男は
大きく足を踏み出すと、
女をだきよせ、
其の口を吸った。
吸いざまに胸のあわせに手をさしいれ、
女の乳房をもみしだいた。
「ぁっ」
小枝の小さな声は男の獣臭い抱擁にふさがれ、
口の中に押し込まれてくる男の舌が
小枝の平静を乱し、
胸の先の熱い感触にめまいさえ感じる。
「男をしりたくないか」
繰り返した言葉にうなづく者が女の中で
息をし始めている事を確かめた男は
やっと、自分の名前を名乗った。
「俺は文治という。おまえの名は?」
「さえ。小枝という意味です」
小枝。
花を咲かせる新芽は小枝であり、
小枝の先にこそ、花がつくというのに、
皮肉な名前だと男は想った。
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