小枝は、目が見えない。
七つの年に
母親の菊と一緒に
高熱を発しった後に
突然、
目が見えなくなった。
小枝の目が見えなくなったことより、
幸太に、
小枝に
もっと大きな不幸がおとずれていた。
小枝は視力をうしなったが、
幸太の女房
小枝の母親である菊は病の末に
短い生涯を閉じたのである。
幸太は炭焼きで
生計をたてていたから、
住まいも 炭焼き小屋の横に作っていた。
ここに菊を嫁に貰い、
翌年には、小枝をもうけた。
つづいて、生まれた子は
死産で、
これも、幸太をずいぶん、かなしませたが、
炭焼きのかせぎで、
何人もの子をまともにそだててもゆけないから、
小枝一人を
りっぱにそだてあげればいいと、
幸太は
次の子を作らないように
配慮したものである。
それはやはり、
菊のためにはよかったようで、
なにかにつけ、
菊はくたびれをだしやすく、
時に
腰骨に重い疼痛があるをうったえることがあった。
不幸が菊を飲み込み
悲しい余波を
小枝と幸太にあたえたが、
幸太は
残された小枝を見ながら、
人里はなれた山の中で
小枝を育ててゆく臍をかためていた。
娘をもつ、男親の嗅覚でもある。
人の来ない山の中で
娘をそだてることが、
小枝の人生に
汚辱をあたえずにすむと、
かぎとったのである。
目が見えなくなった当座の小枝はさすが、
身動き一つも出来ずにいた。
が、母親をなくし、
頼る父も炭焼きに出掛けてゆくしかない。
と、なると、
せめて、自分の手で
自分の出来る事をしてゆくしかなかった。
尿意をもよおせば、
やはり、厠にいきたいと
小枝はてさぐりで、
かまちにおりたち、
履物をさがし、
かまちを手でなぞりながら、
はうようにして、
外にでてゆく。
喉も渇けば水瓶の汲み置きの水を飲むに行くしかない。
目が見えたときには何でもなくつかんだ手柄杓さえ、
うまく、つかめず、
つかんだと思った時には
水瓶の位置がさだかでなくなる。
簡単に口を寄せた柄杓の桶を手で抱え込むようにして
水瓶の口をなで
水を汲んで飲み干す事が出来たときには
小枝の見えぬ両目からは
滂沱の雫がおちていた。
目が見えなくなったことより、
今更ながらに
母、菊の死が応えた。
「かあちゃんが、いたなら・・・」
目が見えなくなったって
菊さえいてくれれば。
いってもせんないことを
いっても、
誰一人、聞きとがめるものが居ない
家の中で
小枝は一人、泣いた。
泣いて、なきおえた小枝は、
目がみえていた時の
記憶がある。
それをたよりに
せめて、家の中だけくらい自由に動けるように
なろうと、決めていた。
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