一方、小枝である。
幸太は、ここ、三,四年前から、町へでるとき、
小枝にくどいほど念を押す。
いいか、小屋から出るんじゃないぞ。
しんばり棒をかって、
俺がけえってくるまで、外にでちゃいけない。
幸太が心配するわけはわかる。
山家のくらしといえど、
山の中に人が来ないわけではない。
山中を渡り歩くマタギがとくに不安である。
幾日も山を渡り歩いたマタギが
ひょっくり、若い女子をみつけたら・・・。
流れ者である。
この土地でなにをしようと、負い目になるものがない。
こんな男が一番危ないのだ。
と、幸太は小枝に言い聞かせる。
だけど、
幸太の言うように、誰かが来る事はなかった。
それに、
そうはいっても、厠にいかぬわけにはいかぬ。
小枝は炭俵を編む手をとめて、
立ち上がると
かまちに向かう。
かまちの一番端にいつも履物をおいておくようにする。
つまり、そこが、小枝の出入りの立った、一つの決め場所であり、
そこから、すべてが始まってゆくのである。
履物をはくと、
まっすぐ四歩。
右に向きを変え十歩で、戸口の前にたつ。
芯張り棒を外し、直ぐ戸口の下において、
さらにまっすぐ十五歩。
右に五歩で厠。
もう、五歩歩いて左に八歩歩めば
小さな畑がつくられていて、
其の三歩先に山からの水を
といであつめる、水瓶がある。
小枝の動きは直線的である。
小枝の目的が
何歩目かの分岐で達せられていく。
小用を足すと
小枝はまた、歩を数えながら分岐点に戻ってくる。
向きをかえて、
また、歩む。
その動作は十年の繰り返しで
ひどく、慣れたものになっていたが、
小枝が其の分岐や歩数を
あやまてば、
何もかもが狂って行くのである。
慣れていても
小枝の頭の中で引かれた線を
きっちりと、踏んでゆかねば成らないのである。
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