俺達の異変に気がついていたのは、事務所の皆だったろうが、
誰ひとり、何も、聞こうとしなかった。
けれど、
貴子女史だけはその範疇に入る気になれなかったようで、
夕刻、事務所を引ける俺をよびとめた。
「ちょっと・・・つきあいなさいよ」
どこか、静かなところで飲みながら話そうと、
付け加えた貴子女史が
静かな所を指定して見せた。
「アンタの家でも、いいけど・・」
貴子女史に直ぐに返事を返せなかったのは
貴子女史が沙織が居ないことを判っていっているのか?
そうならば、
話しというのは、沙織に関することだとろうかという疑問に戸惑ったせいだ。
貴子女史流のかまかけにのって、
沙織が居ないことを露呈させれば
いっそう、俺の胸中に入り込むことを言わせる隙をつくるだけだろう。
だが、俺の躊躇が貴子女史の推量に確信をもたせてしまった。
「沙織ちゃん・・・でていったんでしょ?」
「え?なんで・・」
返す言葉を選ぶ閑も無かった俺はとにかく、なにか、言葉を返そうとして
じつにぼろい返事を返してしまったと思う。
「あの子の体調が悪い・・・としても・・・半月以上・・あの子が
アンタにお弁当をつくらないなんて、ありえない・・・し・・」
まだ、貴子女史の言葉は続きそうだったが
俺はソレをさえぎった。
「いや・・本当にチョウシが悪くて・・今、石川にかえしてるんだよ」
そうさ。そういう言い方もまんざら嘘じゃないさ。
「馬鹿・・いってんじゃないわよ。
あたしは、あのこの性格よくわかってるのよ。
少々のことじゃ、好きな人のそばから離れる子じゃないのよ。
病気?だったら、あのこ、近くの病院にはいってでも、
貴方と同じ・・街にいるわよ」
「え・・・」
沙織の性分?
好きな人の傍を離れない?
そういう性分?
俺に見えていない沙織の性分を言い募る貴子女史の言い分が
あたっているか、どうかより、
俺はその言葉自体に打ちのめされていた。
好きな人のそばから離れない沙織はじっさい、今
俺のそばに居ない。
黙り込むしかなくなった俺に貴子女史は
「だから・・・よほどのことがあって、
あのこは、貴方の傍を離れたとおもうんだけどね・・・
それは、あたしの老婆心でしかないことだろうから、
今まで、何も言わずに
ま、偉そうに言うけどさ、
見守っていたんだけどね・・・」
含みのある言葉をぶつけられて
俺もうな垂れているわけにも行かず
貴子女史に続きを促すしかなかった。
「なんだよ・・・何も言わずに見守っていた・・って・・さ」
「う~~~ん。
だから、ドッカでユックリ話してみたいといってるんだよ。
まあ、ようは、今のアンタたちのこういう状態って
ありえるかもしれないって、あたしは初めからおもってたってことなんだ」
「初めから・・・?」
「そう・・」
「俺達の・・結婚が初めから不安定要素を抱えていたって?」
俺が今になって気が着いたことを
端のほうが、よく見えていたって事に過ぎないんだろうけど、
貴子女史の口調が
何か、もっと重い示唆を含んでる様に思え
俺は・・・貴子女史の話を聞いてみる気になっていた。
それは、
あるいは、
俺の知らない沙織を知っている貴子女史ならば
今の俺達の方向を客観的に判断してくれるんじゃないかと思ったせいもある。
このままじゃいけないのは、
俺も重々、承知していたけど、
自分のぬかるみが深すぎて
ぬけだす気力をなくし、ぬかるみのなまぬるさに
妙な居心地のよさをみつけ・・・はじめ、
俺の性分こそ腐り始めていた。
俺はぬかるみから、ぬけだすきっかけを見出そうとしていたと思う。
この時、貴子女史が俺を変えてくれる言葉を投げかけてくれる気がして
俺は・・貴子女史の厚意にすがったといっていい。
ぬかるみから、抜け出た結果が
決定的な離婚だとしても
ソレを自分の意志で掴み取れる自分に成ることが
一番、今の俺には必要だと思ったし
ひょっとして・・・、
俺と沙織に何か打開策が出てくるかもしれないと
俺は・・・かすかな、期待を持ってしまったのも事実だった。
「判った・・・じゃ・・俺の家で・・・」
「了承したからには、ビールくらいあるんでしょね?」
おどけた貴子女史に俺は軽く、首を振った。
「じゃ、まず、買い物をしてからだ」
「俺ん家の近くにコンビニがあるよ・・」
そして・・・俺は、深夜まで
貴子女子にこってりしぼられることになった・・・
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