憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―理周 ― 4 白蛇抄第12話

2022-09-04 12:43:06 | ―理周 ―   白蛇抄第12話

ところが、三年もたったころであろうか。
理周は相変わらず、母堂にすまいしていたのであるが、
突然、居をうつされた。
すくなくとも、晃鞍にはそう見えた。
「理周・・・こわくはないか?」
寺の隅に住まい、理周は一人で煮炊きをして、一人で飯をくうた。
米や野菜をはこびこんでやると、
必ず晃鞍はそう尋ねた。
夜のしじまはひとりではこわかろう?
なんで、父艘謁が理周をこんな寂しい所に一人すまわせるか、
わからない。
「理周がおなごになったからです」
「おまえは、はなから女子じゃわ」
馬鹿なことをいうておる。
「ご母堂に穢れをもちこんではなりませんに」
「ああ」
やっと、わかった。
女子には障りがある。
だが。
「もう・・・なのか?」
「ええ」
「うとましいの」
「はい」
「あ、ならば?」
謡いの場にもでれぬのか?
雅楽のほうはどうなる?
「その時はでられませぬ」
「そう・・なのか・・・」
理周は、わかっていた。
自分が女である事がよくないと。
出来れば、どこかに居を求めそこにうつるべきであったろう。
が、母親が死んで三年。
堪えきった悲しみがまだ胸の底によどみつづけている。

母は・・・ひとりだった。
物心付いた時から、理周には父と呼ぶ人はいなかった。
母はおそらく、道ならぬ恋をして、理周をうんだのではなかろうか。
理周が五つのとき、母が横笛を出してきた。
行李(こうり)の奥から晒しに包み込まれた細長いものを出すと
晒しを開いた。
黒い下糸に銀糸を綾なした小平(こひょう)紋の細い袋があった。
意匠のものめずらしさに理周もいきをのんだ。
その袋の中にあったのが横笛であった。
「お前はあの人ににて、細い、長い指をしている」
理周の父親のものだったに違いない。
理周の才を確かめたかったのか?
「あのひと」の子である理周をみいだしたかったのか?
「ふいてみなさい。ふけたら・・おまえにあげる」
戸惑う理周に
「みててごらんなさい」
母はふえをとると、唇の下に裸管をあてた。
静かな音色が流れ出した。
理周は食い入るように母をみつめた。
じっと、奏でる法を探る理周に柔らかな瞳をむけると、
「やってごらん」
手渡された笛を理周は見たままになぞらえてみた。
かすかな音色がこもり、笛は音をたてた。
「ああ・・」
笛はむつかしい。
手に取ったばかりのものが音をだす事さえできはしない。
笛を初めてみた、理周である。
ましてや、五つのこである。
「あなたにあげます」
母は、理周のそれを吹けたと言う。
「大事なのでしょ?」
あんなにそっと、行李の奥からだしてきた母である。
「だから・・・。あなたにあげます」
笛は父のものなのだ。
母も・・・。
父のものなのだ。
父だけのものだから、母はひとりでいきているのだ。
幼い理周は例えようもない哀しみを理解した。
その日から、理周は笛をふきつづけた。

身体の弱い母だった。
自分の死期を悟った母は突然旅に出るといいだした。
京にゆきます。
それしか、いわなかった。
理周の父親は京の雅楽士なのだ。
たぶん。そう。
けれど、京のどこに住み、なんという名であるかもいおうとしない。
名前も告げないわけさえはなすのも、つらいのだ。
母を見る理周は思いをひた隠す事を覚えた。
たった一言が責めになりかねない。
倣い覚えた堪え性である。
母は一人で何もかもを堪えた。
最後のたびはなんのためだったのか?
一目「あの人」をしのび見たかった母だったのか?
理周の目に父親を教えてやりたかったのか?
今更、理周を父親に託すしかなくなったのか?
父親という人は母に笛を渡すくらいであるから
母の事は本意であったろう。
が、その母にこの理周がおる事をしっているのだろうか?
何も聞かず、理周は母について歩いた。
母も理周に何も言わなかった。
道半ば、京の都はもう直ぐだったのに、母は逝った。
母の墓を見守っていると、理周は思う。
母は「あの人」の側に
少しでも近い場所に行きたかっただけなのかもしれない。
母の死もしらないだろう「あの人」の代わりにさえもなれないが、
理周はもう少し母の側にいてやりたかった。
妻のところにいかぬかという、艘謁にふたたびわがままをいうた。



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