「どちらかと云うのは、何と何なんだろうかね?」
「あ・・」
シュタルトの事を話そうとしたアマロが急にぞっとした思いにつつまれたのはアマロもまた、いつかシュタルトの船に連れてゆかれる事を恐れるせいだ。
「おしゃべりな男にどこまできかされた?」
「シュ・・、シュタルトのことを・・・」
「なるほどな・・」
アマロの身を包むおびえが一層理解できる。
「それで、一層、お前はジニーのように俺に捨てられる事に脅えたというわけか」
違うと言い切れずアマロは唇をかんだ。
「だが。覚えておけ。俺は本気だ」
何に本気だと言うのか。アマロが、ロァの女で居る事が嫌ならサッサとシュタルトにうりつけるくらいのきがあるということか?
本気でジニーを見限ったといいたいのか?
あるいは・・・。
「お前は信じないかもしれないが、俺はお前を本気で思っている」
まともな出会いでもない、おまけに出会って、一月もたっていやしない。
まして、海賊なんかの言う事。ロァに言い返す言葉にアマロは思い切り皮肉を込めた。
「素敵な言葉を上手に使えるのね」
ケジントンでさえこんな歯の浮く科白はいいはしなかった。
アマロはふとケジントンとの始まりを追憶していた。
だが、ロァは聡い。
「また、お前の亭主だった男と俺を較べているか?」
鼻先で笑い出したロァの声が高らかに勝ち誇りだした。
「お前はかわいそうな女だったな」
ケジントンへの嫉妬が、ロァに負け惜しみを言わせてるに過ぎない。
身体と云うつながりでロァがいくらケジントンを凌ごうとも、身体は心を凌げない。
ロァはアマロがケジントンから与えられた閨事の不味さをせせら笑うことでアマロの心を得られぬ負けを認めまいとしている。
と、思おうとしたアマロにロァの次の言葉は不可解な引っ掛かりを残した。
「お前の亭主はお前をこれっぽっちも理解していないし、伯爵夫人という飾りでしかお前をみていなかったな」
ロァは小指の先を親指ではじいてみせた。
「ま、待って。どういう事?私の事をどういおうが、どうせ、そうよ。
どうせ、あなたの安物の娼婦なんだから・・・」
惨めさが喉に絡む。
詰りそうな言葉を喉から突き上げたアマロの声は絶叫に近かった。
「ケジントンとの事は私だけの事よ。あなたにケジントンの何が判るっていうの?あなたが本気だと言うなら、私が愛している男にも敬意を払うべきじゃなくって?
あなたの本気こそ、これっぽっち。
上手な言葉はあなたに似合いの薄っぺらなお飾り」
ロァが口惜しそうにアマロをにらみつけて、何を言うだろう?
アマロもさっきのロァのように小指を立てて、親指でこれっぽっちとはじいてみせようと構えた手がとまった。
ロアはちっともくやしがらないどころか、心底おかしいのを堪えかねている。
ロァはもれてくる苦笑をかみ殺していたが、アマロが言葉を失ってロァを見ている事に気がついた。
途端にぽんぽんと手を叩く。
「お見事。さては親愛なる伯爵公の御名前も拝聴仕り、海賊ロァ風情にはいよいよ勿体無きこと。身が縮む思いは正に恐縮の一言でございますが」
一息飲むと
「ところでいよいよ伯爵公の夫人への寵愛の薄さに軽薄の徒ロァもご同情を禁じえないのは事実でございます」
かっと、アマロは目を見開いた。
「なんですって?」
「きこえなかったか?」
「もう一度いってごらんなさい」
金切り声のアマロに構わずロァはくりかえした。
「ケジントンはお前を愛しちゃいやしない」
今度はアマロの手が鳴った。
ロァはアマロに打たれた頬が小気味良く高い音を鳴らすのを聴きながらアマロの手首をつかんだ。
「それが証拠にお前がこんなにも強情で癇高い女だという事をケジントンは知るまい。伯爵夫人と云う器に納まったお前しか知るまい?本当のお前の何もかもを知らず上辺だけ飾った女へよせる愛情を本物だと思っているお前がいっそう憐れだ」
アマロには言い返す言葉が思いつけない。
「そして、お前は、俺がお前を思う心の深さを知った時から、ケジントンの愛情がいかに薄っぺらな事か気がついている」
ケジントンのことは、あるいはロァの言う通りかもしれない。
だけど、
「あなたの心のどこが深いと云うの?笑わせないでほしいわ」
ロァは是も聞流すとすぐさまアマロを説き伏せ始める。
「おまえは平気で俺に逆らう。俺も女なんかにはたかれたのは生まれて初めてだが。
お前が俺に平気で逆らえるのは、お前の性分もあるだろうが、お前は身の安泰をしっているからできることだろう?」
ロァの言おうとしている事に感づきながらアマロは平然を装った。
「わかっているだろう?お前は賢い女だ。わからぬわけがない」
アマロはいっそう黙りこくるしかなかった。
「俺にいわせたいか?俺の口からきかされたいか?」
アマロの無言は肯定になった。
「ちっ」
舌打ちを返すとロァはアマロに背を向けた。
「いいか。お前は俺がお前に本気だと言う事をみぬいていやがるんだ。だから、俺がお前に叩かれたって俺はお前を海にほうりこむことすらできないんだ。そして、お前はそんな風にお前のその性分ごと俺に思われている事こそが本物だときがついているんだ。だから、ケジントンを・・・」
ケジントンに見せる事の無かったアマロの中の癇高い女をケジントンはしるはずもない。いまやつつましく礼節を持ちしとやかでたおやかだけだったアマロだけがアマロのすべてでない。是はアマロに隠されていた一面でしかない。どこをどうとっても女性らしくないアマロの欠所とも言うべき性格は、ロァに引き出されたものかもしれないがロァは是を価値とする。伯爵夫人だけのアマロを受け止める事しか出来なかったケジントンに比べ、ロァはアマロの全てを見知った上で本気だという。
「わかった」
アマロの声はこれ以上ロァにケジントンへの追慕を壊されたくないといっていた。
「判ったから・・・もう・・いわないで・・」
優しかった夫が、過去のアマロのものでしかなくなっている。
おそらく、今一度ケジントンの元にもどりえても、もう、アマロの心をときめかせる人でなくなっていることをしらされる。
だから、だから、この胸の中に残るケジントンへの愛まですてさせてほしくない。今まで生きてきたひとつの証であったケジントンへの愛は胸の奥底にひっそり大切に沈ませていたかった。
ケジントンへの執着はあっけなくピリオドを打たれる。
それはあたかもロァがジニーを捨て去った心に似ていて、やっと、ジニーをふりかえることができたアマロは一番最初の御願いをロァにもうしでた。
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