「たつ子が、賤ヶ岳にすまう山の主に嫁いで、そして、その時になって、私は私が犬神であることにきがつかされた。
たつ子は賤ヶ岳の麓の湖にその身を潜め、一男一女を設けたのち、わたしのせいで、気がふれてしまったのだ。
狂ったたつ子は何度も、命をたとうした。
だが、精霊がそんなに簡単に、存在をなくすことができるわけがなく、
たつ子は水の流れに身を任せ、琵琶の湖にたどりつくと、その身を石にかえた」
「なんと・・・」
琵琶の湖の沖に白く聳え立つ、通称、沖の白石というものがある。
それが、たつ子だと銀狼は言う。
「私は阿波の山中からたつ子を追って、ここまで、きたのだが、
私の懸想と嫉妬がたつ子に移ってしまうとは、思っても居なかった。
それより、以前、自身が犬神であることにさえ気がついていなかったのだ。
だが、たつ子の狂気は私の嫉妬と、同時に起きる。
たつ子が狂いをみせはじめ、背子である山の主にうとまれるであろうと思うと、どこか、ほっとする自分が居る。
そう、気がついたとき、これは、私の呪詛か、生霊を飛ばしてしまっているのかと、自分を疑いだした。
そして、私の存在に気がついた山の主が、私をたつ子から引き離そうとしたときに私の中の犬神の血が湧き出した。
山の主の払いの念が私に向かってくるのが、読み取れる。
私は自分が伝え聞いていた犬神になってしまっていると、突然理解した。
山犬の一族の中から、犬神が出ずる。
その伝説がわが身をもって、真だと知ることに成った。
そして、私はそれでも、自分の懸想も嫉妬も抑えきることができず、たつ子にとりついているせいで、たつ子の錯乱がおきると認めようとしなかった。
そして、気がふれたたつ子は一瞬の正気のときに、わが身を石に変えようと決心したのに違いない。
犬神は代々、人につく。
たつ子は自分が死んだら、我が娘に犬神の障りが移ると考えたのだろう。
沖の白石に身を変えれば、私の懸想をつなぎとめておける。
さすれば、たつ子の一族は犬神憑きから、逃れられる。
たつ子の目論見どおり、私は、沖の白石が見渡せる、この山の上でたつ子が誰のものにも成らないことに平安を感じながら、沖の白石を見守る。
それが、唯一、私に赦され、残された恋情の昇華だと思っていた。
だが・・・、たつ子の夫も父親も娘も息子も・・私を赦すはずがない。
私はたつ子の姿を白石に変えてしまった自分の罪にもがくとき、いっそ、私が死ねば、たつ子は元のたつ子に戻れるのでは無いかと考えるようになった。
たつ子のためにも、死のう。
そう、決心して、私は琵琶の湖に身を投げてみた。
人間が使う毒を呑んでみたこともある。
だが、どうやっても、死ぬことが出来なかった。
それが、呪詛だと気がついたとき私はもっと、自分の罪にもがくことに成った。
私が死んでも、たつ子は元に戻れないのだ。
私が死んでたつ子が元に戻れるのなら、私を不死身の身体になぞ、するわけがない。
私は・・一人の女性をここまで、おいつめ・・・」
あとは、銀狼の涙にかすれた。
泪が銀狼のまなじりに小さなしずく溜りをつくったと見えたとたん、
乾いた灰色の体毛がしずくをすいこむ。
と・・・。
まなじり辺りの表皮が生気をとりもどし、灰色の毛が、水を得た緑のようにぴんと立ち上がった。
銀狼がいう、不死身が、こういうことかと、澄明が解したとき、山犬の背から降り立つ白銅の姿が澄明の瞳に飛び込んできた。
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