春。
爛漫の春。
桜。花開き
家老、野原新左衛門も
胸を撫で下ろす。
嫡男である新之助の
主家へのご奉公がかなった。
それだけではない。
新之助は
若殿の近習に抜擢された。
いきなりの異例の出世である。
もちろん、
父である、家老の新左衛門の七光りもあろう。
若殿がこのたび
跡目をついだという
実権の交代もあった。
上に新之助とは
年齢的にもかわらぬ殿である。
腹心の存在。
これが、殿の必要な条件になったのでもあろう。
これからの世代を繁栄させてゆく若者である
殿。
そして、新之助。
時代が変わってゆくのだ。
新左衛門の胸に押し寄せてくる感慨は、
主家に勤め
20年以上を越してきたものでなければわからぬものがある。
「新之助。殿をお守りもうすのだぞ」
息子に語った言葉はまた、
新左衛門の半生の「決意」其のままである。
親子2代で殿にお仕えできる幸いに新左衛門は涙ぐんだものである。
春が過ぎ
桜木も
青い葉を繁茂させ、
陽光のてりかえしにまけぬ、
青葉の時期もすぎた。
ちかづく、梅雨のせいか、
新左衛門の顔色もうかぬ。
うかぬ新左衛門の顔がますます、
うかぬ。
桜の木下に文机を置き、
傍らには「殿」が鎮座いたしまする。
殿のうなづく顔を
見るたびに
新左衛門の顔色は戸惑いをふかめてゆく。
「次・・・」
新左衛門の前に、
長い列の最前線から女子が
ぬけでてくる。
新左衛門の前に立つと
女子は頭を下げる。
「名前は?」
女子ははにかみながら
名を名乗る。
「お里でございます」
「年は・・・」
もう、何人に、同じ事を聞いたであろう。
「18でございます」
質問は同じだが
答えは違う。
新左衛門は殿を振り返る。
殿は
「身に覚えがある」と、深くうなづかれるのである。
其のたび、新左衛門は女子の名前と年を
帳面に書き記すのである。
「いつごろであろうか?」
つまらぬ質問である。
「はい。3月弥生に」
女子は嬉々として、答える。
殿の乱行が発覚したのである。
殿が手をつけた女子をならべたて、
家老新左衛門は名前を書き記す。
お世継ぎが早くも現れるかもしれない。
これは、喜ぶ事であろう。
が、
並ぶ女子の数の多さよ。
殿が跡目をついで、
この三月。
殿はわが身の自由と権威を
謳歌なされたのであろう。
が、あわよくば、
おかたさまになろうと、
節操もなく
わが身を投げ出す
女子の多き事。
娘を持つ、新左衛門は
ひどく、悲しくなってくるのである。
が、それにつけても・・・。
『殿・・・いちど、たりとも、
身に覚えがないと首を振られることがないのですか・・・・』
「お美代でございます」
「19でございます」
「七日ほど前に・・・」
伝えられた女子の名前と年を書き記し、
新左衛門はたずねる。
「懐妊の兆候は?」
どの女子も答えは同じである。
まだ、はっきり、わかりそうもないと
思われる時期でもある。
「わからない」と
こたえるのも、無理がない。
だが、その「判らない」の中に
あわよくば、
めでたく懐妊。
そして、お方様になりたい。
女子のしたたかな思いがみえる。
なかには、
すでに月の障りがきていて
「兆候はございません」
と、いえる者が居る筈であろうに・・・。
「次」
新左衛門は殿をふりかえっては、
事実を確認して、
書き記す。
懐妊の兆候があれば、
印を付けておかねばなるまい。
判らないとか、
まだ、ございません。
等と、曖昧に答える者には、
「未確認」
と、謎の飛行物体がごとく、
付記しておくのである。
「楓でございます」
女子が名乗った名前に新左衛門の筆が止まった。
『楓?おなじ名前の女子がいたか・・・・?』
いぶかしく新左衛門は顔をあげ、
女子を見た。
「げ?」
新左衛門がみた者は、当の楓、本人である。
『殿?』
新左衛門が殿を振り返って事実の確認を
したくなるような、したくないような・・・。
なぜならば・・・・。
楓は婆である。
新左衛門の予想はるかに、
相手構わずの殿の乱行である。
『殿?』
今度こそ、殿は首を横にふるであろう。
いや、横に振って欲しい。
振るべきである。
だが・・・。
新左衛門の願いむなしく、
殿はわるびれもせず、
うむ・うむとその首を
縦に振るのである。
「年をいわねばなりますまいか?」
楓も臆面なくたずねてくる。
「べ・・つに・・かまわぬ」
新左衛門は帳面の楓の名の下に
ー婆ーと、かいておいた。
「では、次・・」
新左衛門が次の女子を
呼んだ途端である。
「楓にはたずねてくだされぬのですか?」
楓はいかにも不服そうである。
『お・・・?おまえ・・もう、とっくに
あがっているであろう?』
女子の妊娠機能など、もう役にたつ状況
ではなかろう。
が、そこは
楓も腐っても鯛。
婆になっても女子。
見栄もある。
「兆候は・・・?」
あろうはずもない。
が、楓はしゃあしゃあと新左衛門に答えてみせる。
「まだで・・・ございまする」
そろそろ、列をなす人影も
まばらになってきた。
分厚くなった帳面をとじて、
殿中にもどれるだろう。
新左衛門は
帳面をにらみつけ、筆をもちなおした。
「次」
返事が無い。
どうしたかと、
みれば、そこに居るのは
鶏である。
まよいこんだかと、新左衛門は
「しっしっ」
と、おいはらおうとした。
ところが、
「ああ。それもじゃ」
と、殿がおおせになる。
『はい?』
なんですと?
やるに・・・いや、
野卑な表現で殿にもうしわけないが・・・。
しかし、それでも、
やるに事欠いて・・・。
事、欠いてないが・・・。
しかし、それでも、鶏なぞを、相手に・・。
動物愛護の精神なのか?
優しさあまってなのか?
たんに
異常なだけなのか?
そんな新左衛門に殿がおおせられる。
「名前はおひよじゃ。
年はわからぬ。
懐妊はたぶん、なかろう」
『あって、たまるかああああ。
半鳥人でも、生まれたら、どうする~~~』
新左衛門。
この時点ではっきり、諦めた。
ようは、
殿は女子であれば
なんでもいいのだ。
「次」
おひよと書いたあと、新左衛門は気をとりなおし、
次をよんだ。
「めえええ」
今度は自分で名前をなのったが・・・。
「殿?」
振り返った新左衛門にあいもかわらず、肯定する殿である。
『山羊ですか?獣姦じゃあないですかああああ』
それでも、殿がうなづくのである。
ーおめえー
と、書き記すと新左衛門は次を呼んだ。
「ひひ~~~~ん」
『嘘でしょ?殿?嘘でしょ?』
だけど、やっぱり殿はにこやかにうなづかれるのである。
『馬?馬なぞに・・・・。どうやって?』
いや、そんなどうやってなんて、ききたいんじゃない。
新左衛門は
ーおひんーと、かくと、
帳面に突っ伏すようにして、
次を呼んだ。
この上、なにがあらわれても、
やはり殿はうなづかれるにきまっているのだ。
もう、見たくない。
これ以上度肝を縮めたくない。
命までちじむわい。
新左衛門の判断は正しい。
ただ、ひとつだけ、
間違いがある。
それは、
殿が女子であればなんでもいいのだという、
判断である。
いくら、なんでも、そんな失敬な。
ちゃんと、殿にもこのみがあり、
誰でも良いというわけではないのだ。
「次」
よってきた気配は人のようである。
新左衛門はすこし、胸をなでおろした。
このさい、婆であろうが、
人間ならかまわない。
人というものは
極限を見てしまうと
かんがえ方に
幅が出来てしまうものなのである。
新左衛門を鍛えなおした殿の行状報告も
どうやら、これで終わりのようである。
「名前は」
黙りこくっている人影に
新左衛門はたずねた。
人影は
もう一歩新左衛門に近寄ると
てれくさそうに
その名前をつげたのである。
「野原新之助です」
-がび~~~~~んー
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