「事のおこりなんてのは、実にたあいのないもんでしかない。だけど、どういうんだろうねえ。性格が禍するというかなあ」
丁稚が茶をもってくると、隠居は煙管に煙草をつめはじめた。
たてとおしにしゃべってしまいたくないと隠居の指先が煙草をほぐしゆっくりと火打ちをはじめる。
白煙をすっぱり吸うとまあ、あんたも一服と茶を促す。
湯飲みの端に口をつけながら、隠居を伺うとわずか、ぼんやり遠くをみつめる目つきになる。それは、どういう風に話そうかをかんがえているようにもみえた。
「あんたが、いってたよねえ。殿中ご用達ってね。事のおこりはそれだよ。うちのご領主ってのは、まあ、質実剛健っていうんだろう。きらびやかに見栄えがいいものだけじゃなくてなあ、実用性ってのを慮られる。何軒かの棟梁をよんで、その腕を評するのでも、本当に良いものを私らの生活の中にねづかせてやりたいってのがご領主の本心だろうて。だから、まあ、例えば文箱ひとつでも、使い勝手のよいものがどういうことであるかってのを、私らにとくと示したいってとこなんだ」
領主の本心まででてくるかとおもいながら女将はだまって茶をすする。
「だからね、文次郎はお目見せの品を選ぶ時にきっちり狂いの無い品物を研鑽したわけだ。そこにね、あの男の文棚があったんだ。文次郎だって、それが、あの男の手のものだってわかっている。わかっているからこそ、文次郎はあの男の品に日の目をみせてやりたかったんだ。文次郎の胸のうちなんてのは、単純だ。ご領主が男の文棚をみて、あっぱれと一声かけてくれるだろうってなあ。そうしたら、これこれこうで、内の職人の仕事でございますって男の名前をあげてやるつもりだったんだ。だから、驚かせてやろうってのもあった。あっぱれの声がかけられるだけの品だともおもっていた。だから、男に内緒でその文棚をお目見せしたわけだよ。
ところがね・・」
煙管に煙草をつめようか、茶をすすろうかまよった手が卓の上にしんなりとおかれ、隠居は手をじっとみつめた。
「物事思うようにいかないってのは、こういうもんだ。ご領主は文次郎の思ったとおり文棚をたいそう気に入って、いくつか、城内におさめよとのお声がかかったんだけどねえ。どこの誰がつくったかということになってきたら、文次郎の話など上の空ってありさまでな。これもご領主にはご領主のわけがある。品こそがものをいう。ってことだなあ。誰がつくったかなどでなく、この品を手本として、ほかのあまたの職人が精魂こめて技を磨く。本来それがめどうであって、どこの誰がつくったというものでなく、良い品がどういうものかをしらしめていけば、私らの暮らしの中の調度もよいものになる。こういう考えなんだ。だから、品をもてはやすはあっても、どこの誰が造ったかってのは、むしろ、研鑽の仇になっちまうってお考えのようだったんだ」
読めた。と、いってよいだろう。
「それでも、庶民の口には、文次郎の品が殿中ご用達になったって・・」
「そういうことだ」
はあ、と女将の口から小さなためいきがでる。
「文次郎って男もおもってもみない結果になっちまって、これが、また文次郎のやつがこれこれこういうわけで、って、ことを男に話しゃいいんだが、いいわけがましいことをいえるか。ってね。黙ってお目見せの品にいれちまったんだ。こっから、すでにこそ泥みてえなもんだ。って、まあ、いさぎよかったんだがねえ・・。
ところが、男の耳に噂がはいってしまうわけだよ。当然、文次郎が男の品をわがものでございとご領主にさしだしちまったって、男がかんぐってもしかたがないことだろう。だけど、文次郎の奴は男を信じたかったんだ。
長い徒弟の世界にすんでるんだ。親方になにか訳があるんだろう。そういう風にかんがえてほしかったんだろう。そうじゃなくてもなあ、今までの恩をかんがえりゃあ、むしろ、文次郎がかたりをやったとしたって、それで、親方の面目がたったならってことじゃねえかい?自分の品がご領主の目にとまって、それで、親方の面子がたつ。親方の役にたててよかったと恩返しのひとつでしかねえんじゃねえか?」
隠居の言う通りだろう。
「だけど、あの人も文次郎親方のそういう性分をみるのもはじめてだったんだろうねえ。親とも思うからこそ、たばかれたってのがいっそう悲しい。文次郎親方も一言理由をいえばいいんだろうし、あの人ももうちょっと、甘えすぎてるってことにきがつくべきだったんだろう」
「そうさ、そのとおりだ。だけどね、こりゃあ、どっちが、良いの、悪いのって問題じゃねえと思うんだよ。お互いの性分の噛合わせがわるかったってことなんだ。そこのところをな、私も男に意見してみようかとはおもったんだけどな・・」
隠居の口がつむがれた。
親とも思うものに裏切られたって思いに男がおこってるんじゃない。
長い付き合いのはてにあっさり裏切られる自分でしかなかったことが傷をつくってしまってるんだ。
「つまらねえ自分・・そういう風にいってましたっけ・・」
「そうだ・・ろ」
心の傷ってのは、人目にゃあ判断がつくもんじゃない。だけど男が・・
大の男が自分の人生をうろっぽにしちまってもかまわなくなるってんだから、その傷ってのは、ちっとやそっとで、癒えるもんじゃないんだろう。
「だからね、本当の瀬戸際で、自分をとりもどすとこまでいってからじゃねえと、あの男の目ん玉はひっくりかえらねえと私はおもうんだ」
男がいま見ている世界は形骸の世界でしかない。
その目ん玉をひっくりかえせるのが、お里ちゃんなのかもしれない。
「わかりました。修造が動き出したらすぐにだんなさまにお知らせに上がりますから、そのときはどうぞ」
女将が隠居をおがむ手をしっかりとつつみこむと隠居は首をふった。
「おがむのは、私にじゃない。文次郎親方にだ・・よ。文次郎は本当にあの男をわが子のようにおもっているんだ・・」
ほろりと落ちてくるものを手の甲でぬぐいとると、女将が小さく笑った。
「こんなことで泣いてる場合じゃないですよねえ。本当の涙は文次郎親方とあの人が心の堰をとっぱらえたときだあ」
うんうんとうなづきながら、隠居が女将によろしく頼むともう一度頭をさげた。
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