ここだねと大橋屋の前にたちどまってみたものの、
思案六法、なんと言って入っていけばいいんだろう。
ちょっと考えあぐねて、暖簾のすきまから中をのぞいてみたものだから、
店の中の人間と目があってしまった。
ばつの悪さを笑みでごまかしてちょいと頭をさげたのが、よけいいけなかったんだろう。
店の中の目をあわせた男がのれんをわけて、女将の前によってきていた。
こうなればしかたがない。
「あのう・・」
男は40がらみ。
乾物屋のいう息子なるものか、はたまた、手代か番頭か?
女将の言葉がつまったままをながめていた男だったが、
はたして、その口から出てきた言葉が女将を安堵させることになる。
「人違いでしたらもうしわけございませんが、もしや、お多福の女将さんではございませんでしょうか?」
女将はその言葉が何を表すか、すでにさとっていた。
「さようでございますが・・」
女将がさとった意味が目の前でくりひろげられていくことになった。
「おおだんなさまから、ことずけられております。ささ、奥に」
と、その一言で件の初老の男が間違いなく大橋屋の隠居であり、
いざとなったら助けてあげるも嘘ではないといっぺんにわかった。
男にあないされ、奥をぬけた離れのべつあつらえにとおされると
まもなしに件の男が顔をだした。
「いよいよ、修造がからめてをだしてきましたか」
酒の席の戯言だけでなく、隠居は指物師の身をあんじていたのだ。
「いえ、そうじゃないんですよ。今日はちょっと、相談がありましてね」
「相談?」
「ええ。あれからあの人はへんな連中とつるんでしまって。仕事のことで意見をしたら、どうも、文次郎親方となにか悶着があったようなんですがね・・あのう・・そのことで」
隠居はふうむとうなると腕をくんだ。
「女将さん。どうやら、あんた、文次郎親方との悶着を仲裁してくれと私に頼みたいとこういうことだね?」
「ええ、そういうことです」
さすがに亀の甲。だてに年はくっていない。わかりのはやいことだと隠居をみつめる女将になる。
隠居は腕をくんで、なにか、かんがえこんでいる。
だから、いっそう、女将は不安げに隠居をみつめる。
その女将の不安げな顔が隠居の意をきめさせたようである。
「わかりました。女将さんが不安におもっていなさる、その顔みたら、こりゃあ、余計に黙っていたのが悪かった」
隠居の言葉がうろん気で女将の瞳は男の言葉の裏を見つめていた。
「黙っていたって?どういうことでしょう」
うんうんとしたり顔でうなづくと隠居はおもむろにしゃべりはじめた。
「いやあ、女将がそこまで、あの男のことを案じてくれるとは私もかんがえなかった。だから、当然、女将が不安になるのも無理が無い」
同じ言葉をならべたてられても女将の顔に得心の色が浮かぶわけが無い
少し、笑いをかみころしなが隠居は続けた。
「じつはね、私は文次郎親方と懇意なんだよ」
「え?」
それはどういう意味になるんだろう。
「あの男が賭場に通いだしてるって噂がはいってきてね、文次郎親方はどうにかできないだろうかって、私に頭をさげてきたんだよ。俺に腹をたてちまってるから、俺がなにをいってもききいれやしないってね。だからね、こりゃあ、ここまでこじれちまったもんなら、堕ちるところまでおちなきゃ、元にもどってきはしない。女将さん。あんたにいったのと同じさ。心を鬼にして、ここぞっていうときじゃないとなあっってね」
と、いうことは・・・?
「はじめからわかっていて、ひとしばいうちなさったってことですかねえ?」
「まあ、そういうことになる。そこらへんを女将さんにははなさなかったから、よけいに心配をかけさせちまったんだろうね?」
「はあ・・」
なんだという拍子抜けが半分女将にまといついてきた。
だが
「だけど、大の男がそんなにこじれちまうなんて、いったいなにがあったっていうんですよ?のりかかった船っってほどの船にもならない私だけど、さしさわりがないなら、きかせてもらえませんか?」
隠居も女将のいいぶんに一理思うのだろう。しばらく口をつむっていたが
「そうですね・・」
と、文次郎親方と男の愁嘆場をうちあけることにした。
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