奈良のぼんぼん

走って人生方向転換!?

初めての100マイル振り返り(レース)

2019年10月06日 16時32分23秒 | ランニング
初めての100マイル、レース当日のことを。

【スタート前】
100マイルは初めてで、そもそもレース経験は少なくて、
それもアメリカでのレース参加は10㎞、50mileに続いて3回目。
出張では20回くらい来ているのでレンタカーでの移動とかは問題ないけど、
やっぱり緊張なのかワクワクなのか前の晩はほとんど眠れなかった。
とにかく目をつぶって朝を待ってた。
7時のスタートに合わせてた3:30にアラームが鳴り、
朝ごはんを食べて着替えてトイレ行ったり準備して、5:30にホテルを出発。
会場には6:00前に到着して、ほどなくKuniさんとも合流、
やっぱり頼りになる大先輩に会えて、めっちゃ心強かった。
鉄朗さんとか大浦さんにも会えて少し緊張もほぐれた。
お天気も最高!
Kuniさんの友達のローカルランナーの皆さんからも色々声をかけてもらったり、
そんなこんなも本当に恵まれてたと思う。
一丁前にドロップバッグもアドバイスもらった通りわかりやすい場所にセット。


【スタートから1周目】
明るくなってきていよいよスタート!
目標は7h30mくらい、最初の50マイルを15時間ちょいちょいくらいが目標。
最初は周りに合わせて走り出す。
登りを歩いたり走ったりしながら進むと太陽が出てきた。


そのまま進んで二つ目のエイドで時間を計算すると6時間半ペースくらい。
これはいくらなんでも速すぎる。こんなんで100マイル続かない!
そもそも自分を本当にプッシュしなきゃなのは3周目とか4周目だと
自分に言い聞かせてペースを落とす。


しかもちょっと疲れてきたよヤバいヤバいと、
Tennesy Valleyからの登りはゆっくり歩いて登る。
それでも目標より少し早い7h15mで1周目を終えた。
スタート/フィニッシュ地点に戻るとKuniさんもDasieさんもいて、
調子はどう?とか聞かれ、ちょっと速すぎたーとか会話。
2周目は途中で暗くなるだろうからドロップバッグからライトを出した。
Kuniさんはマラソンの部(26マイル)をサクッと走ってる。スゲー。
さらにnarabonを待ってる間に1周してくるって、スゲー。
ここで待ってるからって心強い言葉をもらった。

【2周目】
今度は1周目の逆回り、出てすぐのトイレで用を済ませて、
できるだけ脚を使わないよう(って気づくの遅いよっ!)に進む。


ペースを落としているので少しずつ抜かれる。
登りで並走になった女性ランナーに話しかけてみた。
「これまでに100マイル走ったことあるんですか?」
「あるわよ。あなたは?」
「初めてなんです。このコースってキツくないですか?」
「そうね、前に走ったのよりタフだと思うわ。」

えーそうなん?初めての100マイルとして出る人が多いって聞いてたけど、
決してコースが易しいわけではない、そりゃ気を付けないと脚も消耗するはず。

しかも今回は元のコースから少し変更になり累積が1000m増えて、
制限時間は1時間増えて34時間になってる。

このコースはループなのと一部は折り返しになっているので、
その女性ランナーとはその後何回もすれ違ったけど、
その度に初100マイルのnarabonに声をかけてくれて嬉しかった。
特にnarabonのペースが落ちているのもわかるので、
「あきらめず前進すれば必ず完走できるから」みたいなことを言ってくれた。

そして少しずつ日が傾いてくる。




うまく日没に太平洋が見える側を走っていれば良かったのだけど、
タイミングあわずでした。

なんだか疲れてこんなんで最後まで行けるのかなとか考え始めて、
でもKuniさんやCurtにペーサーをお願いしてるし、
自分がリタイヤしたら特にCurtは何しに来たのかわからなくなるよなとか、
やっぱり制限時間にひっかかるのはまだしも自分からやめる選択肢はないよな、
日本女子のトップ選手の一人でもあるJさんがくれたアドバイスは、
「諦めなければ必ずFinish Lineが見える」って。
とにかく行けるところまで行くと改めて決意。

で、暗くなってからほんの少しロストしたり(150mくらい)しながらも、
8h53mかかって2周目を終了。

【3周目】
3周目はまた1周目と同じ時計回り。
Kuniさんがペーサーしてくれる。
ちなみにKuniさんは日本人だけど若くしてアメリカに渡り、
56歳からウルトラランニングを始めて今66歳、
109本のウルトラを走ってうち24本の100マイルを走っている、
アメリカでも知られたランナー。

今回、KuniさんとCurtにペーサーしてもらうことになって、
3周目と4周目のどちらをお願いするか考えたときに、
100マイル経験豊富なKuniさんに夜走る3周目をお願いして、
4周目はスピードランナーのCurtにお願いした。
Curtには自分が泣き言行っても自分の英語の発音では理解できないフリを頼んである。

そしてKuniさんが3周目に入る時に言った。
「俺を信じて任せろ、必ずフィニッシュできる、絶対にあきらめるな」

それで残り時間を考えてペース配分しながら引っ張ってくれた。
時々ついていくのがやばかったけど、
Kuniさんが遠のくとバックルも遠のくと思って、必死でついていった。

途中のエイドも滞在時間はできるだけ短くした。
イスを勧められても座っている余裕はなくて、
水の補給と口に入るだけ食べ物を入れてあとは手にもって、
もうエイドを出て進み続けるような感じ。

自分のライトは600ルーメンもあって充分に明るいのだけど、
頭の高さから照らすと路面の凹凸がわかりづらい時があった。
でも前にKuniさんがいてくれたおかげで進むことができた。

もう途中のことはよく覚えていないけど、
ひたすらにKuniさんの背中を追いかけて3周目を8h42mで終了。

【4周目】
すでに脚は売り切れでほとんど走ることができない。
残り時間は9時間あまり、このペースで間に合うのか?
つべこべ考えるよりCurtについていく。

もうほとんど思考停止、明るくなってるのに頭につけたライトもそのまま、
そしてストックも置き忘れてスタートしてしまい、
Curtがライトを置きに行ってくれたり、
Dasieさんがストックを持ってきてくれたり。
ほんと皆さんのおかげです。

このコースは1、3周目の時計回りより2、4周目の反時計回りの方がキツく感じる。
結構な急登があったりするので時間もかかる気がする。

そして左ひざも痛いし右の足首も痛いし、
ちょっとCurtにも足が痛いよって弱音を言ったら、
「それで34時間を10分過ぎたら、それ以上の痛みだろ」って言って、
休ませてもくれず、そのおかげで間に合ったわけだけど。

彼はペース管理しながらもたくさん写真を撮ってくれた。








結局4周目で走ったのはほんの少し25マイルのうち2マイルくらい?

エイドも超時短で済ませて遅いながらも進み続け、
あと一つ登って下ればFinish Lineというところで、
一人の選手に抜かれた。
その時にその選手は33時間30分くらいのタイムになるだろうって言ってた。
えっ?残りの距離は思ったよりありそう。
その選手はまだ走れていたけど自分はほぼ歩き。
これは間に合わないんじゃないだろうかと上げられるだけペースアップした。
それがなかったらどうなってたんだろ。

それで何とか登り切ったところから少し下るとFinish地点が見えた。
とほぼ同時に向こうからも見えたらしく応援が聞こえた。
その中からはっきりとDasieさんの「がんばれー」って日本語で言ったくれたのが聞こえた。
本当にうれしかった。
足首も膝も激痛だけど少し走った。
そしたらRDがハンドマイクで「8 minutes」、「7 minuets 40 seconds」とかいうのが聞こえ
ちょっと焦りつつFinish Lineまでなんとか走れた。

そしてFinish!


タイムは33h53m32sで残り6m28s、時間内完走者のラストでした。
すぐRDのGregさんからバックルとかを手渡してもらい、
ちょっとウルっときて思わずうつむく。
なにより本当に諦めなくてよかった。
スタートするまで自分の体力走力や練習量からしても、
正直厳しいだろうなって思ってたところがあって、
でもKuniさんやCurtも巻き込んじゃってるし途中でやめる選択肢はない。
それに2周目を終えてタイムは厳しいけど可能性がないわけじゃなかった。
Kuniさんが言ってくれた言葉が常に自分を鼓舞し続けてくれて、
Jさんのアドバイスを思い出して、
そしてCurtの冷静な計算と時々いろいろな話をして気を紛らわせてくれて、
少し痛みも忘れて進み続けた(英語に集中するとペース落ちちゃうけど)。

あと、折に触れて練習のアドバイスとかくれた姐さんも、
練習があまりできてないのを見てかなり(そうでもないか)心配してくれたみたいで、
フィニッシュ後にメッセージをくれたり、

やっぱり、

お前、一人で走ってんじゃねーぞ!

自分の脚で100マイルを完走したことに間違いはないけど、
最高の条件とサポートに恵まれたことでなんとか最後まで行くことができた。
そんな100マイルウルトラがちょっと好きになってしまった。

ゴール後はなんだかぼーっとしててKuniさんとCurtと3人の写真とか、
Dasieさんも一緒にTeam Yamagataの写真とか、
鉄郎さんや大浦さんに挨拶するとかそういうの全然やんなくて、
唯一Curtがくれた写真がこれ(ちょっとベソ顔かww)。


みなさん挨拶もちゃんとできずごめんなさい。

その後、車で少し寝てからホテルに戻ってシャワーを浴び、
氷をジプロックに入れたのを3つほど作って痛いところをアイシングしながら、
日本から持ってきた缶詰とか、タンパク質をたくさん摂って、
どんどん浮腫んでくる足にビビりつつ2週間ほど我慢してたビールも飲んで、
そのビールが浮腫みに良くないことも知らず・・・

ほどなく寝落ち。

そこから先はFBの方にも書いたので省略。
一度完走しただけで100マイルを語るというおこがましい投稿の連投も
そろそろ終わりにします。

改めてサポートいただきましたTeam Yamagata、
レース前や練習についてアドバイスくださった皆さん、
あいつ大丈夫かと気にかけてくださった皆さん、
フィニッシュ後にメッセージとかコメントくださった皆さん、
練習につきあってくださった皆さん、
そしてボロボロになりにアメリカまで行くのを許してくれた奥さん、
本当にありがとうございました。


ちなみに記念のバックルはベルトを装着!

初めての100マイル振り返り(痛み)

2019年10月01日 12時27分51秒 | ランニング
これまでの最長距離は50マイル。
今回のレースは25マイルを4周、それもWashing Machine Loopというらしく、
時計回り→反時計回り→時計回り→反時計回りに周回する。
もう3周目には痛みとのお付き合いが始まってました。

よく100マイルだと全身あちこち痛くなるって聞いてたので、
脚が痛くなるのは当然でしかも脚が全然できてないんだから、
仕方ないんだと思うようにしてた。

あと、3周目と4周目はペーサーをお願いしていたので、
KuniさんもCurtもとにかく僕を完走させるために、
時々は鬼になりながらも引っ張ってくれた。
痛いとか言ってられない(言ったけどww)。

それともうポジティブになるしかない。
全身痛くなるって聞いてたけど、
「右膝は痛いけど左膝は大丈夫」とか、
「左足首は痛いけど右足首は大丈夫」とか。
「全身痛くなるって聞いたけどまだ痛くないとこも残ってる」とか、
「あちこち痛いってことが俺は100マイルレースを走ってるぜ感マシマシ!」などと、
とにかくネガティブなことを考えずひたすらポジティブだけ、
そしてなによりバックルを受け取る自分をイメージして必死でペーサーを追いかけた。

4周目はほとんど走れなくなってたんだけど、
とにかく止まらず進むこと、
途中の下りとゴール手前のスイッチバックでほんの少し走ったくらい。

で、結局のところゴールはできたけどダメージは酷く、
特に右膝と左足首が痛くて翌日は動けず。
左足首はつま先を上げるのに動かす腱が炎症起こしてて、
動かすたびに激痛(骨折れてるかと思った)でした。
そして両足とも靴が履けないくらいに浮腫んでゾウ足。

2週間ほど経った今、ようやく痛みはほぼなくなり、
左足首と右の膝裏がまだちょっとおかしいけど、
なんとか普通に生活しています。

ということで

痛いけどそれが100マイルレースだ!

と自分を納得させてひたすらゴールを目指す。
自分のような選手にはそれしかないと思いました。