我々は、誕生日が来ると満年齢が一つ増える。
それを平均年齢と比べて、ああ残り人生が少なくなったなぁと思う。
かって誕生日を祝う習慣のなかった時代は、毎年お正月に全員が一斉に歳をとったようだ(数え年)。
だが当たり前のことなのだが、我々は1年単位で死に向かっているわけではない。
毎日毎日、死に向かって進んでいるのだ。
そういう思いをはっきりと伝えてくれるのがこんな言葉だ。
とんち和尚さんこと、一休さんだ。
◆門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
正月に飾る門松は、死へ向かう旅の里程標のようだと思うと、めでたいともめでたくないとも言える。
その通り、一つ齢をとれたのは喜ばしいのだが、同時にそれはまた残された時間が確実に減ったことだ。
前者(めでたさ)だけではなく、後者(めでたくもない)にも意識を向けるべきなようです。
さらに言えば、我々は年に一度死に近づくわけではなく、毎日毎日そこに近づいている。
つまりは、少しずつ死に近づいている、少しずつ死んでいるということのようです。
→お正月か誕生日かを問わず、そういう意識は持ち続けたいものですね。
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