おいら、結構な時間人生を歩いてきたものだ。
ふっと思ったのだが、おいらにとっての幸せとはいったいなんだろう。
自分ではなかなか考えつかないので、先人の考えや言葉をヒントにしてみよう。
◆何が幸せかを自問する
言わずとも知れた俳聖松尾芭蕉だ。
彼は俳句だけでなく、禅の修行もしていたらしい。
そんな彼が亡くなる4日前に詠んだ句で、辞世の句とも言えよう。
「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る」
この時代は庶民も貴人も等しく、この世を去ったら極楽浄土に行きたいと願っていたそうだ。
だが芭蕉は、極楽へは行きたくない。極楽はまじめなきちんとした聖人君子や人格者ばかりでつまらない・・・
長い間旅をしてきたが、ついに旅をする体力をまったく失ってしまった。
もう私のいのちも、まもなく終わることだろう。
よしこれからも、俳句を詠む夢を抱きしめて枯野を駆け巡って行こう。
旅にあこがれ、美しい景色を巡ってきて「心」はとても自由だった。
極楽浄土などではなく、枯野にこそ極上の芸術世界がある、との思いだったのだろうか。
どのようなモノもお金も、あの世とやらへは持って行けそうにもありません。
唯一「心」だけは、持って行けるのかも知れません。
であるならば、心の安寧こそが求めるものかもしれませんね、そしてそれはこの世で生きているときも同じなのでしょう。
ふっと思ったのだが、おいらにとっての幸せとはいったいなんだろう。
自分ではなかなか考えつかないので、先人の考えや言葉をヒントにしてみよう。
◆何が幸せかを自問する
言わずとも知れた俳聖松尾芭蕉だ。
彼は俳句だけでなく、禅の修行もしていたらしい。
そんな彼が亡くなる4日前に詠んだ句で、辞世の句とも言えよう。
「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る」
この時代は庶民も貴人も等しく、この世を去ったら極楽浄土に行きたいと願っていたそうだ。
だが芭蕉は、極楽へは行きたくない。極楽はまじめなきちんとした聖人君子や人格者ばかりでつまらない・・・
長い間旅をしてきたが、ついに旅をする体力をまったく失ってしまった。
もう私のいのちも、まもなく終わることだろう。
よしこれからも、俳句を詠む夢を抱きしめて枯野を駆け巡って行こう。
旅にあこがれ、美しい景色を巡ってきて「心」はとても自由だった。
極楽浄土などではなく、枯野にこそ極上の芸術世界がある、との思いだったのだろうか。
どのようなモノもお金も、あの世とやらへは持って行けそうにもありません。
唯一「心」だけは、持って行けるのかも知れません。
であるならば、心の安寧こそが求めるものかもしれませんね、そしてそれはこの世で生きているときも同じなのでしょう。
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