昨年、一生の思い出になる四国お遍路88ケ寺を結願(けちがん)した。
軟弱なおいらは、歩き遍路ではなくジャンボタクシーを用いたお手軽プランでだ。
それでも、たしか9日間ほどはかかったと記憶している。
順序は逆になってしまうのだが、その後時おり空海聖人の教えとか言葉を味わっている。
今日は、そんな言葉のひとつだ。
◆明日の充実と楽しさのために 自分の魂が喜ぶことをする
影はもとの形にそってそのまま現れ、こだまは声の大小そのままの響きで帰ってくる。
お寺の鐘は、大きくつけばゴーンと長く響く。
聖人曰く、世の中の現象は行為がそのまま現われるように、人の行いもすべて因果をもたらし、
決して裏切らず、ごまかすこともなく結果を招くものだと説く。
善因善果:よい行いは、いつか良い結果となって帰ってくる。
悪因悪果:よからぬ行いばかりしていれば、必ず悪い結果をもたらすもの。
それでは、良い行いとは何か。
それは、自分の魂が安らぐことだという。
誰にも感謝されなくともよい、認められなくともよい、ただ自分の魂が安らぐことをすればいい。
自分がほっとして、笑顔が浮かぶようなことをすればいい。
そんな過去を積み重ねれば、毎日が楽しく充実し、魂も身体も喜んでいることでしょう。
→これが因果応報というものなんでしょうか。
そしてそれは、自分基準でもいいようですね。