その2 「演繹法」について。
イングランドの経験論(帰納法)がベーコン→ロック→ヒュームと発展していった。とほぼ同時代にヨーロッパ大陸では、ルネ・デカルト→スピノザ→ライプニッツなどによって大陸合理論の考えが盛んになり、この考えは演繹法に重きを置いています。
それは真理を探究する推論の方法として、「前提となる命題を置き、経験に頼らず理論的な展開によって一定の結論に到達しよう」とする論法です。
この理論の先駆者であり最大の存在は「コギト・エルゴ・スム(ラテン語)・我思う、ゆえに我あり(日本語)」の言葉を発した「近代哲学の祖」ルネ・デカルト。
デカルトは「人間は経験によることなく、人間が生まれながらに持っているある種の観念」(そのことを『生得観念』と呼んでいます)を持って生まれてくるという考え方です。
そして人間が自分の意識を高める認識の方法について『方法序説』の中に次のように書かれています。
まず ①「明証」(明らかな証拠をまず見付ける)
次いで②「分析」(集めた証拠を細部まで分析・検分)
そして③「総合」(総合して全体的に検証)
最後に④「吟味」(洩れはないか、見落としや見誤りはないか)
これがデカルトの認識論(演繹法)になります。
学校教育の場で教科や領域における指導法を選択する際には「帰納法」か「演繹法」か、議論の分かれるときもあると思われます。その際は児童生徒の発達段階や実態等を考慮し、指導内容を吟味し照らし合わせるなどして、二者択一ではなくそれぞれのよさやほかの指導法なども取り入れて、指導に当たる必要があります。
「演繹法」は『我思う、ゆえに我あり』と言われていますから、考えて考えて考え抜く、すなわち思弁的ですので高度になります。学校教育に取り入れる際は、指導内容によりますが、「演繹法」は中等・高等教育の指導法として導入は可能であると思われます。当然社会人教育には有効に活用ができそうです。
イングランドの経験論(帰納法)がベーコン→ロック→ヒュームと発展していった。とほぼ同時代にヨーロッパ大陸では、ルネ・デカルト→スピノザ→ライプニッツなどによって大陸合理論の考えが盛んになり、この考えは演繹法に重きを置いています。
それは真理を探究する推論の方法として、「前提となる命題を置き、経験に頼らず理論的な展開によって一定の結論に到達しよう」とする論法です。
この理論の先駆者であり最大の存在は「コギト・エルゴ・スム(ラテン語)・我思う、ゆえに我あり(日本語)」の言葉を発した「近代哲学の祖」ルネ・デカルト。
デカルトは「人間は経験によることなく、人間が生まれながらに持っているある種の観念」(そのことを『生得観念』と呼んでいます)を持って生まれてくるという考え方です。
そして人間が自分の意識を高める認識の方法について『方法序説』の中に次のように書かれています。
まず ①「明証」(明らかな証拠をまず見付ける)
次いで②「分析」(集めた証拠を細部まで分析・検分)
そして③「総合」(総合して全体的に検証)
最後に④「吟味」(洩れはないか、見落としや見誤りはないか)
これがデカルトの認識論(演繹法)になります。
学校教育の場で教科や領域における指導法を選択する際には「帰納法」か「演繹法」か、議論の分かれるときもあると思われます。その際は児童生徒の発達段階や実態等を考慮し、指導内容を吟味し照らし合わせるなどして、二者択一ではなくそれぞれのよさやほかの指導法なども取り入れて、指導に当たる必要があります。
「演繹法」は『我思う、ゆえに我あり』と言われていますから、考えて考えて考え抜く、すなわち思弁的ですので高度になります。学校教育に取り入れる際は、指導内容によりますが、「演繹法」は中等・高等教育の指導法として導入は可能であると思われます。当然社会人教育には有効に活用ができそうです。