The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

物事を判断する「よすが」に! バックボーンの知見を持つ。 【出口治明著「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)】を読んで

2020-12-28 07:28:06 | 日記
その4 「ミネルバの梟(ふくろう)は迫りくる黄昏に飛び立つ 弁証法」について。パート1

「無」から「有」は生じない。必ず下敷きがあります。でも、宇宙誕生と生命の出現は無から有といえますが・・・。
 カントより半世紀ほど後に生まれた弁証法で有名なヘーゲル(1770から1831年没)。弁証法の考えは古代ギリシャのソクラテスの問答法(質問を投げ掛けながら、正解に導く)として既に登場していたようです。学校での指導法の一つとして問答法の手法を活用しながら学びを成立させています。

 ヘーゲルの弁証法の骨子は「有限に存在するすべてのテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包し、その2つは対立と運動を続けて、ジンテーゼ(正反合)に至り、アウフヘーベン『ドイツ語・止揚(しよう・日本語)止まった後に揚がること』する。これは永遠に続き存在は自己発展を続ける」という具合。

 このことを著者は次のように例えています。「ある問題について、Aという人とBという人がいる。2人はあるオフィスの1階で議論していた。どうも議論が噛み合わない。2人は2階に行って改めて議論した。すると両者は理解し合うことができた。その代わり、新たにCという問題が出現した。そこで2人の論争は継続され、3階に移った。するとCは解決され、より高度なDという問題が出現した。2人は4階に行き…」。
 この弁証法には良さと批判があるようですが、「物事は進歩する」という前提には立っているようです。
 
議論の際にはお互いの考えを否定するのではなく取り入れ、お互いの考えが刺激となり、それが触媒の働きをして新しい考えを産み出し結論に達し、新しい企画に取り入れたりする際に弁証法や問答法が持ち入れられています。その過程では、相手の発言に対しては、否定することなく聴き入れ、その時質問などを繰り返してより深く理解しようとする態度が極めて重要になります。現在ではこの過程を発想法と呼んでいる方もいます。