<以下の文を復刻します。>
ここに一つの遺言がある。
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました・・・」
まだまだ、美味(おい)しうございましたが続く。これはかつて有名なマラソンランナーだった円谷 幸吉(つぶらや こうきち)選手が、27歳で自殺する直前に書いた遺書の冒頭部分である。年配の人なら覚えておられるだろう。これを読んでいると、涙が堪えきれない。
円谷選手は1964年の東京五輪ではマラソンで銅メダルに輝き、次のメキシコ五輪でも大いに活躍が期待されていた。ところが椎間板ヘルニアを発症するなど健康を害し、1968年の1月9日に“帰らぬ人”になった。
冒頭の「三日とろろ」というのは、正月料理や酒で疲れた胃腸を休めるため、1月3日に食べるとろろ御飯のことで、円谷選手の故郷である福島県の食の風習だそうだ。
円谷幸吉選手
それはともかく、この遺書の冒頭には延々と食べ物のことが綴られている。読む人さまざまの感慨があろうが、私は円谷選手の食への感謝と畏敬の念がこもっていると思う。そうでなかったら、死の直前に父母や親戚一同に食のことをいちいち書くだろうか。この遺書は当時 大変な関心を呼び、多くの人が感銘を受けたのである。
このように、昔はほとんどの人が“食”に対して、感謝と畏敬の念を持っていたと思う。一つには、食糧不足の時代があったためで、特に終戦直後は酷い食糧難で餓死者もかなり出たほどだ。
ところが、今や飽食の時代、グルメブームでミシュランだとかB級グルメだとか盛んに言われている。テレビを見れば食べ物や料理番組がこれでもか、これでもかと映っている。こうした中で、食品偽装と食材の虚偽表示が大きな問題になっているが、これは当然のことだろう。食べ物をおろそかにしている報いが現れているのだ。
もちろん、偽装や虚偽表示は良くないが、グルメブームやブランド志向がこういう結果を招いた。これからも不祥事は起きるだろう。それに、日本はアメリカと並んで大変な“飽食大国”、つまり大量の食料を廃棄する国なのだ。 数年前の調査では、年間11兆円分もの食料を捨てていたという。何という無駄だろうか!
われわれは詩人・宮沢賢治のように「一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ」(「雨にも負けず」より)て、生きているのではない。もっと贅沢な食生活をしている。だからこそ、食への感謝と畏敬の念を持つべきではないか。昔は食べ物をおろそかにすると、よく「バチがあたる」と言われたものだ。
思えば貴女も私も戦後の食糧難を体験したはずです。
今の人はまったく知らないでしょうが、あの頃を思い出せば、食への配慮や思いやりは変わってくるでしょう。
そうは言っても今は飽食の時代、グルメや料理人が幅を利かせていますから、少しでも食に感謝と畏敬の念を持ちたいものです。
やはり、“もったいない精神”で行くしかないですね。少し古いですか・・・(笑)
矢嶋さんのおっしゃる通り、食に対する思いが驚くほど変わりました。いろいろと書きたいのですが、省きまして・・・食というのは神聖なもの、という意識を持ちたいものです。美意識のある食番組以外は観たくありませんね。
納豆は体に良いと聞きましたが、やはりそうなんですか。納豆をもっと食べるようにしたいと思います。
11兆円分の食料を捨てるなんて、そのうちバチが当たるでしょう。いや、もうバチが当たっています!
円谷選手の自殺のニュースを聞いたとき、とてもつらい気持ちになりました・・・
本当に料理を扱った番組が氾濫していますね!、ちなみに、私は食べられない物が多くて、納豆で生きてるようなものです、昼と夜に納豆を食べるようになってから、不思議なことに右眼がほとんど見えなかったのが少しだけ視力が戻ったので、PCも出来るようになりました、テレビの大きな画面につなげてですけど。
今、ニュースになってる食品の偽造は私には別世界の事ですが、来る時が来たと思ったりしてます・・・