矢嶋武弘・Takehiroの部屋

日一日の命
SNSの時代がやって来た! テレビの時代は去ったのか?

日本人と島国根性(日本とイギリスの比較など)

2024年12月02日 14時35分21秒 | 思想・哲学・宗教

<以下の文を復刻します。>

昔、地政学に関する本を読んだことがあるが、日本とイギリスを比較する箇所がずいぶんあった。両国とも「島国」だから著者は比較したかったのだろう。内容はあまり覚えていないが、日本もイギリスも“海洋国家”として進む運命にあると書いてあったように思う。
その時は、西洋のイギリスに対する東洋の日本という位置づけは、何か自尊心をくすぐられるようで悪い気がしなかった。しかし、いま考えると、日英両国の間には歴史的に大きな差があったと思わざるを得ない。
それは両国とも島国なのに、日本が江戸時代に鎖国政策を取り“太平の眠り”に耽っていた頃、イギリスは地球上の7つの海に乗り出し、世界中に植民地をつくっていたのだ。つまり、日の沈まない「大英帝国」を樹立したのである。
植民地主義が悪いとか仕方がないといった問題ではない。現実に、イギリスが世界を叉に掛けて活動していたのに対し、日本は4つの島に閉じ籠っていたのだ。だから、その当時からイギリスには「世界戦略」があり、日本にはそんなものは全くなかったのである。

江戸時代末期、ペリーの黒船が来航してから日本も変わった。嫌でも世界を相手にしなければならなくなったのだ。ここで日本史の話を詳しくするつもりはない。それは読者諸氏も十分にご存知のはずだから省略するが、明治維新の遠因は、黒船来航という“外圧”から始まったのである。もし黒船の来航がもっと遅れたら、開国も明治維新もそれだけ遅れただろう。
島国に閉じ籠っていた日本は、自ら変わったと言うよりも、外圧によって変えられたというのが本当だろう。事実、それまで鎖国政策によって対外姿勢は閉鎖的だったのである。長い鎖国時代が、閉鎖的な“島国根性”を育てたことは間違いない。その間、産業革命とともにイギリスは世界の海を叉に掛けていたのだ。これは途方もない違いである。
次に日本が変わった(変えられた)のはいつか。天皇制絶対主義のもと、第2次世界大戦に突入し全力で戦ったものの、武運つたなくアメリカなど連合国に敗北した時である。
これによって、日本は天皇制絶対主義から離れ、自由や民主主義、基本的人権を尊ぶ国に生まれ変わった。アメリカから事実上、現行憲法を与えられたのである。この大きな変化も、敗戦による“外的な圧力”が働かなかったら、決して起こらなかったと思う。そうでなければ、今でも天皇制絶対主義のもとで進んでいただろう。

江戸時代以降、日本は自らの意思で変わったことがない。全て外圧によって変えられてきたのだ。これが歴史的事実である。日本人は極めて保守的な民族なのだ。
この保守的というのは、決して悪い意味で言っているのではない。自国の文化や伝統などを大切にすることはむしろ良いことである。ただし、自らを変える意思や力が乏しいのだ。そういう意味で保守的なのである。
ということは、今後の日本もそうなのかと言えば、そうだと答えるしかない。日本人は大きな外圧や外的ショックがない限り、現行のもの(制度など)を100年でも200年でも維持するだろう。
その好例が「憲法」である。現行憲法と現実社会の間には様々な矛盾・乖離が生じているが、日本人は一向に変えようとしない。もちろん、一部の右翼や国粋派が唱えるような軍国主義復活の憲法を創れと言っているのではない。そんなものは論外だ。
憲法自体が直ちに国民生活に影響を与えるものではないから、関心が薄いのは分かる。しかし、国の基本法である。おかしいと思えば、変えるのが当然である。
例えば、現行憲法では第1章に「天皇」の条項を記している。国民主権、つまり主権在民が確立されているのに、なぜ第1章に「天皇」の条項が出てくるのか。 これは全くおかしい。第1章には「国民主権」を堂々と記すべきではないのか。

私は先日、「新憲法の草案・骨子」という記事を載せた。(参照・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/689e25f74e70319f149489af60d8ea97 こんなものは単なる叩き台だが、国民主権などを堂々と謳う案文を、いわゆる左翼、革新陣営の人たちが評価してくれると思っていた。ところが、全くと言っていいほど反応がないのである。これにはがっかりした。
「護憲」という姿勢は分からないではないが、憲法と現実社会との間に色々な矛盾・乖離がある場合は、革新陣営の方こそむしろ「改憲」を主張すべきではないのか。それが全くないのである。 「改憲」とは、保守・反動派の“専売特許”とでも思っているのだろうか。むろん私も、軍国主義復活の改憲を望んでいるわけではない。全く逆である。
つまり、日本では革新陣営でさえも“保守的”になっているのだ。これは日本人の習性である。全ての変革、改革を嫌うのである。極めて閉鎖的なのだ。これでは話にならない。今のままでは憲法改正(新憲法制定)など、50年から100年先になるかもしれない。
話が長くなるので止めるが、日本人は保守・革新、左右両翼を問わず、極めて保守的、閉鎖的だということを指摘しておきたい。これが“島国根性”というものだ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『希望』 | トップ | 新・安珍と清姫(1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思想・哲学・宗教」カテゴリの最新記事