毎日が山のこと

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富士山、吉田口を六合目から山下り(2011年8月12日)

2023-08-23 16:18:05 | 中央線・富士急線周辺の山

今年の夏は富士山が大混雑だそうだ。

弾丸登山とか転んで救助される人とかいろいろ話題を提供している。

私は高校1年のときに登ったことがあるが、山頂はそれ以来ご無沙汰。

でも山頂以外なら2回登っている。

一番最近は、おととし、2021年8月に宝永山に登ったし、そのまた10年前の2011年には吉田口五合目から御庭、六合目をまわって馬返しまで山下りをしたことがある。

宝永山のことはすでに投稿していあるので、今回は、12年前の山下りの様子を報告したいと思う。

 

富士急富士山駅からバスで五合目まであがった。10時30分。

 

五合目は、登山者や大勢の観光客でごったがえしていた。

南側の新五合目とは違って、観光客向けのたくさんの建物もたっている。

 

すぐに喧騒をはなれて、まずは御庭をめざして歩き始めた。

この道は、お中道といわれて、富士山の五合目をひと回りしていたが、大沢の崩壊がはげしくなったので今は大沢から先の道は廃道となっている。

標高2300mから2350mのあいだをほぼ水平に歩くのだから楽ちんだ。

 

苔や咲き残りのシャクナゲ、富士山らしいタデ科の花々を眺めながらのんびりと歩いた。

 

ちょうど森林限界近くを歩くので、樹林帯にはいったり、砂礫と灌木の部分があったり。

 

砂礫地帯になるとはるか頂上まで続く雄大な斜面を見上げることができる。

 

夏山らしく雲が流れているのでなかなか頂上は見えない。

 

カラマツは強風の影響で枝が片方だけになっている。

よくぞ冬の烈風に耐えてきた。ほめてあげるよ。

 

御庭は、富士山の北西側に連なる火口丘の中で一番上にあたるようだが、わずかな盛り上がりにすぎない。

特にめだったところはない。

 

砂礫の中に新しく育ち始めているカラマツ。

 

やはりきびしい環境なのだ。大きくなった木も強風によって倒されているものがあった。

五合目から御庭まで往復で50分くらいかな。

 

ふたたび同じ道を戻って、今度は吉田口六合目をめざす。

そこから富士スバルライン開通前のメインの登山道である吉田口登山道をたどって馬返しまで下る予定だ。

その前に小御岳神社に立ち寄る。

ここは、現在の富士山の前にあった小御岳火山の山頂部だけが顔を出しているところだそうだ。

 

このあたりには立派な大木もあった。

 

砂礫の斜面を見上げながら、先ほどとは反対に五合目から東に歩く。

1kmほど水平の幅広い道を歩いて砂礫地帯から樹林帯にはいると斜めに登る登山道が現れた。

 

ここが六合目への道。六合目で昔からの吉田口登山道と合流する。

左の水平の道はかつてのお中道で、佐藤小屋へ続いている。

下るだけならお中道をすすんで佐藤小屋からくだってもいいが、せっかくなので六合目まで登ることにした。

 

冬の積雪の影響なのだろう樹木の幹が大きくまがっている。

 

ふたたび砂礫地帯に出た。

左下に見えているのが佐藤小屋らしい。そして右上には吉田口旧道にあるお堂の建物のようだ。

 

標高2390mあたりの六合目に到着。ちょうど12時だ。

ここも登山客でいっぱい。

 

さらに上をめざして登っていく人の列を見送って、私はここから旧道を下ることにする。

 

ぱったりと人影が消えて静かになった。

花の写真を撮りながらのんびり下る。

なにせ下りだから楽なもの。

 

宗教的な意味合いがあるような感じのものが気の枝に吊り下げられていた。

修験道と関係があるのだろうか。

 

途中壊れてしまった建物があった。

メインの登山道をスバルラインに奪われて廃業してしまった小屋なのだろう。

 

お堂にたどりついた。

 

日蓮宗の経ヶ岳八角堂というものらしい。

 

さらにくだって佐藤小屋に到着。ランニングをしている人がいた。

 

ここが佐藤小屋、富士山で唯一冬場も営業している。

夏の今は閑散としている。

 

佐藤小屋から少し下ると雲切不動神社のお堂があった。

 

さらに下ると4合目の廃屋。旧井上小屋跡。

少し下には大黒小屋という建物もあったらしいが、そちらは撤去されて看板だけが残っていた。

 

森の中の道をくだっていく。そろそろ2000mを切ったころだ。

 

三合目の小屋は完全につぶれていた。見晴茶屋跡らしい。

 

かつては大勢の客を迎えていただろうに、今は廃墟だらけ。

このあたりまで来ると傾斜はゆるくなってくるが、そのかわり道が長い。

 

疲れてきたので、写真もかなり省略。

というかあまり撮っていなかった。

 

ようやく馬返しが近くなった。また神社があった。

富士嶽神社というらしい。

石柱には富士山禊所と彫ってある。

ここで禊をしてから富士山に登ったということらしい。

 

鳥居とたくさんの石碑があった。

 

道も立派に整備してある。

 

 

 

午後2時18分、馬返し到着。

歩いてみて、かつてのこの道の賑わいが想像できた。

それにしても建物を撤去しないで廃屋のまま放置してあるんだね。

そのおかげで昔が偲べるというわけだ。

下の方がやや単調であきてしまうので、新緑か初夏か紅葉の秋がいいのかもしれない。

ただし、紅葉する樹木は多くなさそうだけど。

 

ここからはワンボックスの路線バスで富士山駅に戻った。

 


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