毎日が山のこと

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初冬の生藤山、上岩から和田へ(2023年12月13日)

2023-12-15 11:08:08 | 中央線・富士急線周辺の山

めずらしいことに、いつもの山仲間とスケジュールが一発で決まり、13日山にでかけた。

目的地は上野原から生藤山。

以前にこのメンバーで登り、笹尾根の浅間峠から下山したことがあるので、今回は登りのルートも変え、下りは東へ向かって山の神から和田に下ることにした。(前回の時の記録は生藤山から浅間峠へ)

 

上野原から8時36分のバスで上岩の石楯尾神社前まで。

バスは、山梨県から神奈川県にはいる。ちょうど県境の川にそって走るのだ。

前回は、終点の井戸から登ったので今回は一つ手前から歩いて佐野川峠をめざすことにした。

 

天気予報では暖かくなると言っていたが、冷え込んだ朝の空気が肌を刺し、息が白くなった。

枯葉が発酵しているのか湯気が立ち上っていた。

 

峠に向かう里の道のわきには広々とした土地が広がっていた。

畑地とも思われない。しかしきれいに草刈りがしてあった。

 

その反対側には、傾いた廃屋。農家の納屋だった建物のようだ。

全体が左に傾いているが、ちょっと踏ん張って耐えているようだ。

 

山にせまった民家の傍らには、それほど古くはない馬頭観世音の石碑が。

昭和39年と彫ってあるから、このあたりでは戦後まで馬を飼っていたのだろうか。

 

歩いている舗装の道を意外に車が通っていく。

地図を調べてみたら、その道の奥にラファエル会薫風学園という学校があるらしい。

登山道は、その施設より手前で左へと別れて行った。

 

その道の奥にあった山の神のほこら。

登山道は今度は右へ分かれて、いよいよ山道らしくなっていった。

 

しばらく山道を登っていくと、林道に出た。

 

うっかりその道を歩きそうになったが、登山道はすぐに反対側の斜面の道へとはいる。

ちょうど通りかかったトラックを運転していた人が教えてくれた。

 

このあたりには写真のような草が道に沿ってたくさんあった。

ネットで調べてみたらマツカゼソウらしい。ミカン科だそうで、小さな花をつけていた。

 

道は結構幅もあって歩きやすく、ときどき分岐しながら折り返して斜面を登っていく。

分岐があったら折り返しという感じだ。

 

ここまで西斜面の日陰だったが、ようやく日差しのあふれる佐野川峠に到着だ。

その尾根道を5人ほどの女性グループが歩いていた。

声をかけると鎌沢から登ってきたそうだ。

 

尾根道になっても道はゆるやかな登りで歩きやすい道が続いた。

 

ときどき日差しがとどく。

 

甘草水の標識のところに大きめのベンチがあったので小休止。

いわれには、日本武尊がここで杖を突きさしたらおいしい水がわきだしたと書いてあった。

どんな水か興味がわいたが、100mがおっくうで行きそびれた。

 

前に歩いた井戸からの登山道が合流して、いよいよ三国山だ。

さきほどの女性グループが休憩していた。

 

ここは灌木が伸びてもはや展望は望めないのでそのまま生藤山へとむかう。

 

ほんのしばらく急登を登り切ればそこが生藤山山頂だ。11時18分。

 

ここも周囲は灌木が多いが、ちょうど登山道の方向に富士山がある。

 

ベンチは4つ並んでいる。

さっきの女性グループは三国山でのんびりしているらしく、だれも登ってこない。

風がないので暖かい。

 

山頂標識の上に、誰かさんが・・・

食後にお湯を沸かしてコーヒーも楽しんだ。30分以上休んだと思う。

生藤山からは東へと稜線をたどる。

 

山頂から少し下がって、またすぐに登り返したピーク。

ここにも同じ人の仕事らしい石の標識が置いてあった。

 

ここからの下りはかなり急で、木の幹や岩角をつかんで下るところもあった。

 

でも急なところはそこだけで、そのあとは御覧のような極上の道が続いた。

 

少し歩くと茅丸の登り。ここがこのコースの最高地点なのだが、、

 

われわれはそんなことは気にせず、さっさと巻道へとすすむ。

 

尾根もしだいに幅を広げ、葉をおとした森の中を歩いているようだ。

 

また少しづつ高度をあげてきた。檜原村へと下る道との分岐点、連行峰だ。

ここは茅丸と同じくらいの高さで、ベンチもあるので休憩地点にと考えていたが、木が多くてあまり展望がない。

茅丸の方が展望がよかったはずなので、やはりピークに寄るべきだったかなとほんの少し反省。

 

でもそこから少し歩いた地点から富士山がよく見えた。

同行者は、そちらを振り向きもせず黙々と歩いていたが・・・

 

午後1時少しまわったころ和田への分岐点、山の神に到着。

 

ここから広い斜面をジグザグに下っていく。

 

この道も石ころが多いもののまずまず歩きやすい。ようやく視界が開けた。

 

その少し下に廃屋があった。

標高600m付近。陣馬山と生藤山のあいだにある沢井川の谷、最奥の民家だったのだろう。

そこからは、幅2~3mの道になった。

かつては、郵便配達のバイクくらいは上がってきたのだろう。

 

いくつかの堰堤の脇を抜け、和田峠にぬける車道に到着。

時計を見ると午後2時ちょうどのバスに間に合いそう。

50分近くまつのは嫌なので仲間をせかせて急いでバス停にむかった。

ちょうど発車2分前に到着。稜線から1時間弱で無事に乗車できた。

 


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