西爽亭(柚木邸)
元々は 備中松山藩に仕えた庄屋・柚木住宅で 藩主の玉島巡回の時の本陣となっていた場所がそのまま保存されています
普段は使えない御成門 今回は殿様になったつもりで御成門から入ります
座敷棟から見ると こんな感じになっていて 上級武士の江戸時代の生活の様子が窺えます
御成門を入ると 取次の間(右奥) 次の間(右側) 上の間(左側)
上の間
上の間 障子の向こう側
取次ぎの間 次の間 からの庭園
右奥には湯殿と大小のお手洗いが配置されている
西爽亭(柚木邸)は同志社大学 創始者 新島 襄も訪れたこともありますし 幕末維新の動乱時代には 玉島事変で切腹し藩士150名と玉島を戦火から守った、家老の自刃の間(次の間)と血しぶきの跡が今でも 天井にそのまま保存されています。