1813年 福山藩主が祖霊を祀った事に始まる 阿部神社
三蔵稲荷から路を挟んで50メートル北側の高台に鎮座する
第七代福山藩主 阿部正弘公
阿部正弘公といえばペリー来航による日米和親条約の締結にいたる開国問題を幕府の老中首座として指揮した人物
今では備後護国神社と書かれていますが 家紋は阿部家のもの
備後護国神社 正面
今では 阿部正弘公をはじめとする藩主を祀る神社と備後出身の護国の英霊を祀る神社を兼ねた備後護国神社ということになります。
1813年 福山藩主が祖霊を祀った事に始まる 阿部神社
三蔵稲荷から路を挟んで50メートル北側の高台に鎮座する
第七代福山藩主 阿部正弘公
阿部正弘公といえばペリー来航による日米和親条約の締結にいたる開国問題を幕府の老中首座として指揮した人物
今では備後護国神社と書かれていますが 家紋は阿部家のもの
備後護国神社 正面
今では 阿部正弘公をはじめとする藩主を祀る神社と備後出身の護国の英霊を祀る神社を兼ねた備後護国神社ということになります。