今週は毎日宣伝。もちろん「集団的自衛権行使の容認に反対」で。
憲法九条を学校で習って、「日本は戦争しないんだ。よかった。」と思ったことを鮮明に覚えています。ところが今、「武力を使わない。」ということが大きく踏み外されようとしていることに、行動せずにはいられません。
だれも戦争したいとは思っていないはずですが、私たちの宣伝に「そのとおり!」と共感してくれる人ばかりではありません。駅頭で配るビラもなかなか受け取ってもらえず、署名も断られることがしょっちゅう。もちろん、「がんばって!」と励ましてもらえることもあります。
「戦争する国になる」ことに、賛成の人、反対の人、無関心な人。反対の人の中にも、私たちのように行動する人、その呼びかけに応える人、心の中で思っているだけの人、いろいろでしょう。
私が「行動する人」の仲間に入ったきっかけは、生協運動でした。何もわからず頼まれて「平和委員」というのになって、いろいろ話を聞く中で、「平和でこそ、安全安心のものを食べられる。」というレベルから、「平和をまもるために努力しなければ。」というふうに変わってきました。今は先頭に立ってがんばらなければならない立場。ここに押し上げてもらったその出発点には、「子どもには安全なものを食べさせたい。」と思って生協商品を利用していた一母親が、生協の委員会活動で学んで成長したという「かけがえのない経験」があるのです。
憲法九条を学校で習って、「日本は戦争しないんだ。よかった。」と思ったことを鮮明に覚えています。ところが今、「武力を使わない。」ということが大きく踏み外されようとしていることに、行動せずにはいられません。
だれも戦争したいとは思っていないはずですが、私たちの宣伝に「そのとおり!」と共感してくれる人ばかりではありません。駅頭で配るビラもなかなか受け取ってもらえず、署名も断られることがしょっちゅう。もちろん、「がんばって!」と励ましてもらえることもあります。
「戦争する国になる」ことに、賛成の人、反対の人、無関心な人。反対の人の中にも、私たちのように行動する人、その呼びかけに応える人、心の中で思っているだけの人、いろいろでしょう。
私が「行動する人」の仲間に入ったきっかけは、生協運動でした。何もわからず頼まれて「平和委員」というのになって、いろいろ話を聞く中で、「平和でこそ、安全安心のものを食べられる。」というレベルから、「平和をまもるために努力しなければ。」というふうに変わってきました。今は先頭に立ってがんばらなければならない立場。ここに押し上げてもらったその出発点には、「子どもには安全なものを食べさせたい。」と思って生協商品を利用していた一母親が、生協の委員会活動で学んで成長したという「かけがえのない経験」があるのです。