風の雑記帳

平凡でもかけがえのない毎日が過ぎていく。
風景や触れ合い、心の断片を切り貼りして綴ってみる。

県庁の星

2006年03月18日 | 映画、DVD、TV

それにしても、先週一週間は早かった。あっという間に金曜日が来た感じがした。
3月はどこの職場も忙しいのではないかな?我職場もご多分に漏れず、、なり。
気分転換、昨日は久々に映画を観て帰って来た。



織田裕二、柴咲コウ コンビの『県庁の星』。
県庁キャリア公務員の彼の頭にあるものは、一にも二にもエリートコースで出世する事。
社長令嬢との交際も順調に進み、順風満帆な日々を送っていたが、持ち上がっていたビックプロジェクトを推進する一環として、半年間の民間企業への研修メンバーに選ばれる事になる。県庁でのマニュアル主義どおり、民間に乗り込んでいくのだが、、。
何もかもが順調だった未来が、そこから自分の知らぬ間に少しずつ少しずつ狂っていく。
ビックプロジェクトは、半年間の研修修了を待たずに自分抜きでスタートした。婚約も白紙に戻された。生きがいだったもの、目指していたもの、誇りとしていたもの全てが非情にも水の泡となって消えた。

生甲斐をなくし、もぬけの殻となった野村。
彼の前に、研修先の3流スーパーパートの二宮が現れ、野村の力でスーパーを救って欲しいと訴える。
、、、そんなあらすじだ。


仕事を持つ身としては、こういう映画は親近感を持って観る事が出来る。
仕事とはいったい何ぞやね。。。
養老猛司氏は「仕事は社会に空いた穴。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。、、、、社会の中で本気に働けば、目の前に自分が埋める穴は見つかる。」と書いている。
仕事を、そんな風に考えれば、気持ちも楽になる。

給料も身分も職種も、いつかは自分を裏切る素材となるかもしれない。
誇りとすべきものは、どこに置くべきか。

相田みつを氏の書から。



    看板をかかげて歩け看板を

    だれのものでもない 自分のいのちの看板を

            by:相田みつを


ここに言う看板とは、例えば、どこどこの会社勤務だとかいう
名刺の肩書のことではありません。いのちの看板のことです。
では、いのちの看板とは何か。それは肩書も何もかも取り払った
後に残ったもの、裸の自分のことです。解説:相田一人


そんな言葉が頭を過ぎりながら観た映画である。
それにしても「前向きに検討します。」という言葉、そんな意味で使われていたとは、、
コメント (2)
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