本年秋、10月から始まる「赤い羽根」募金の東京都と
神奈川県のメインキャラクターは鉄腕アトムになりました。
アトム通貨事業の会長を務めておりますのでご連絡を
いただきました。
アトム通貨事業は、継続が困難になったスタンプ事業の
ソフトランディングのツール(手段)として、また地方創生
事業の産地と消費地の連携ツールとしても各地で御興味
を持たれています。
時事通信社主催の内外情勢調査会の講師をさせていた
だいていますが、アトム通貨の話は「もっと聞いてみたい」
「地元の皆さんを集めるのでこれに絞ってお話しいただけ
ませんか?」と言われる事が多くなりました。
本日は8月の最終日曜日、ベランダの網戸から入って
来る風は確実に秋の風です。
夏休みで来ていた孫と一緒にアイスだジュースだと飲ん
だり食べたりしていたので少々体重が増えてしまいました。
もう少し涼しくなったらウォーキングを始めます。
宮城県名取市在住の女性保護司を主人公にした映画
「君の笑顔に会いたくて」の完成披露試写会が9月1日に
「なかのZERO」小ホールで開催されます。
「地域社会と家族の再生」「子供達の輝く未来」をテーマに
した映画です。商店会が今後の活動の指針とすべきテーマ
です。感想は本ブログでアップさせていただきます。
商店会名物、毎年11月中旬に行う「ちょっと早い忘年会」
今年は11月15日(水)の午後7時から、いつもの会場
である西早稲田の金城庵さんで開催します。
まだ開催日時が決まっただけです。
お呼び掛け、お誘いは追って当ブログを含めいろいろな
手段でお知らせさせていただきますので予定表に入れて
おいて下さい。
昨日(8月22日)午後5時より麹町の都市センターホテル
さんを会場にして私の後援会「興風会」主催の「残暑見舞い
の会」を開催しました。
昨日のスペシャルゲストは私と衆議院当選同期だった
小野次郎さんです。時間は30分と短かったのですがテロ等
準備罪の内容説明を中心に今後の政界について分かり易く
お話ししていただきました。
写真は講演中の小野さんです。
講演終了後、ホテルが腕によりをかけた美味しいお食事
での懇親会、楽しい時間でした。
食料品スーパーのオーナーを25年務めてきたので食べる
ものには強い思い入れが有ります。ホテルさんにはいつもの
事ですが我がままを言ってご迷惑を掛けたかもしれません、
お詫びします。でも皆さん「美味しい~!」って言ってくれました。
一昨日(8月20日)のNHK総合テレビ「戦後ゼロ年・
東京ブラックホール・1945-1946」を見ました。
この2年間を体験していない私でも鉛を飲み込まされた
ような感覚が続いているのだから体験した方には辛い
番組だったのでは、と思えてなりません。
「戦後の超法規的時代」というくくりなのかもしれませんが、
「超法規」とは「無政府状態」と言えます。この中で起こった
事はいつ思い返しても吐き気さえ出るのでしょう。
この様な状況を打破するのは「人間は必ず死ぬ」という
自然の(「自然」を「神」と言い換えてもよいと思います)摂理
のように思えてなりません。
「戦中、戦後の事を体験者に語ってもらおう」と発言して
きましたが体験された方は語るどころか、忘れたい、思い
出したくない事なのでしょう。
2005年(平成17年)のいわゆる郵政解散選挙で
同期だった長島忠美(ただよし)先生が8月18日の
夜に新潟県長岡市内の病院で亡くなられました。
2004年(平成16年)に発災した新潟県中越地震で、
当時村長をお務めになっていた山古志村(現長岡市)の
住民避難から復旧・復興に先頭に立って指揮をされ
その活動に着目した小泉純一郎首相(当時)から誘われ
国政に転出された、まさに現場の方、実務者でした。
私などが「同期」と言うにはおこがましいのですが現職
の時には昼食会を開催したり、大変懇意にしていただき
ました。
当選直後から大きな災害の現場全てに政府与党を代表
してお出かけになられていた方です。まだまだやる事、やり
たい事がいっぱい有ったと思い残念です。心よりご冥福を
お祈り申し上げます。
8月8日から来ていた娘と孫二人が明日、8月18日
羽田発18時05分のANA機で岡山に帰ります。
小学校2年生と幼稚園年少組の男の子二人との同居
生活も明日で終わります。「孫は来てよし帰ってよし」と
言いますが明日の別れはちょっと辛くなります。
幼稚園で乱暴な言葉を言い合ってるようで私に対しても
「お前もご飯食べるのか」と言います。その岡山弁を
可愛いと思うのは私だけかもしれません。
しかしさすがにお盆休みでした、孫と一緒に何処に
行っても大勢の人です。何処が不景気なのかと思わ
せるようなお盆休みでした。
私も経済的に余裕が有る訳では無いのですから、同じ
ような人が集まり、余裕のある方は海外や国内リゾート
に出掛けられていたのかもしれません。
毎年8月15日のお昼12時から日本武道館で戦没者
追悼式が行われます。ここに出席されていた昭和天皇は
どんなにお辛かったのかを考えるようになりました。
昭和天皇実録の解説を聞いて開戦に至る経緯には全く
法律的に瑕疵(かし)は無かった事が再確認されました。
しかし終戦を決める御前会議とそこでの「ご聖断」は
超法規的処置だったように思えます。
戦争を始める時も止める時も「このままでは国が倒れ
国民が苦しみます」と国民に選ばれた内閣の総意が
上奏され昭和天皇は動かれたのです。
「軍部の暴走だ」「勝算の無いまったく間違った戦争だ」
等々の意見を聞きますが、その戦争を始めた時は合法的
で止める時は違法だった事を考えると国も会社も組織の
トップの力量、判断力に掛かる事が明白です。
「終戦じゃない敗戦記念日だ!」と言われる方もいらっしゃい
ます。私は「敗戦」という言葉にネガティブな感覚は有りません。
負けてこそ、失敗してこそ得られるものが有るからです。
「その得られたものを決して手放すな」と戦争を体験した
方から言われて育ちました。
私には倅(せがれ)と娘がおります。どちらの家にも
二人づつ子供に恵まれ私は四人の孫を持つ幸せな
お爺ちゃんです。
昨晩は私と女房と二家族計10人が集まり食事会、
会場は私の自宅です。四人の孫を含め、全員健康で
元気、ありがたい事です。
四人の孫に囲まれオモチャにされました。まあこの時間
が至福の時なんですが疲れます。
岡山に嫁いだ娘が旦那と息子二人を連れて我が家に夏休
みで来ていています。小学校2年生と幼稚園年少組の二人
の可愛い孫たちが喜んでくれると思い、お台場の日本科学
未来館に行って来ました。
67歳の爺さんにも難解で孫たちの思い出にはならなかった
でしょう。展示品の解説を読むともっと難しくなりました。
しかしさすが夏休み、凄い人出でした。
全景のつもりで写しましたが建物が大きくて全部は入りきり
ませんでした。
近くの東京ビッグサイトではコミックマーケットを開催中でしたが、
ゆりかもめの車内から見たその人出はただただ驚嘆です。