![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b4/ee386a97f12bf9fb10cbc2816a205fa0.jpg)
XL1試乗の後は、夕方6時の日本対オーストラリアのアジアカップ決勝戦のチケットを獲得しに、スタジアムに向かう手もあったが、せっかく初めての中東であり、砂漠を見ずに帰ることはすまいと思って、4時間のDesertツアーに3人で出かけた。 迎えに来たのは、頭からつま先まで例の白いアラビア装束を纏い、真っ黒なサングラスをかけたカタール人ドライバー。 自らが所有するらしい白いトヨタランドクルーザー200を駆って、一路南へ高速道路を驀進する。
ヨーロッパと同様に、交差点はローターリー式だから、信号で止まることもほとんどなく、砂の大地に真っ直ぐに敷かれたアスファルト道をひたすら南に向かうこと約一時間、砂漠地帯の入り口のベースキャンプといった風情の街に入る。ドライバーのカタール人の叔父さん(といっても30代くらい)は、「ランクルは旧型の方が良かった、新型は中身が空洞のようで落ちる」といっぱしのクルマ通の様子だ。 路上を行くのは、トヨタ、日産、ホンダといった日本車に加え、一部でシボレー、GMCといったアメ車を見る程度で、VW車の姿はほとんどないし、概して欧州車は数が少ない。 大規模な天然ガスプラントを過ぎてまもなく、「アイランドシティ」という壁に囲まれた緑のリゾートホテル地区が忽然と現れる。 このあたりは、観光客向けのサンドバギーのレンタルショップが並び、観光客をちょっと駱駝の背中に乗せたりといった商売をやっている(あたりを一回りして40カタールほど。ちなみに1カタールは約25円ほど。通貨はドルがもっとも流通するが、ユーロもOK.のようだ。)
タイヤの空気圧を1.5Kgパスカルほどに落としたドライバーのオジチャンは、砂丘を100キロ以上で爆走し始める。 延々と現れる砂の丘や干上がった湖(塩湖)の底を縦横無尽に走り回り、ダカールラリーばりに、30度の斜面をクロスしたり、100%近い勾配をヒルディセントとしたりと、どこまでも南に走り続ける。 一体どこまで行くのか、もう燃料も4分の1目盛ほどしかないぞ、これでドーハまで戻れるのか、と心配になる我々を尻目に楽しんでいる風でもある。 延々砂漠を70~80キロも走っただろうか。 前方に広大な海(インランドシー)が見えてきて、そこがカタール側の国境だとわかる。 入り込んだ海の向こうは「アラビア サウジ」と教えてくれた。 ここがこの砂漠ツアーの折り返し点なのだった。
それにしても、同行者の言葉ではないが、「一生分、砂漠を走った」感じなのだが、週に3~4回こうしてツアー客を自分ランクルで連れてくる彼は、普段はIT関係の企業に務めるというが、彼らの多くが、小さい頃からこの辺りを走り回って砂遊びをしているのだ。 11月から4月までは雨季にあたり、週末(イスラムでは金曜と土曜が休日)に家族や友達とキャンプや釣りに来たり、中には何ヶ月もずっとテントを張りっぱなしにしている人たちもいるらしい。 やがて4時半をまわり、日も傾いてきたところで、帰途に着く。 今度はあまり砂丘走りはせず、比較的平坦な、踏み固められた道のようなところを主に走っている。 途中、オレンジ色の太陽が西の砂丘に沈んでいく風景に2度、3度とクルマを停めて写真を撮れという。
砂丘に入り口に帰りつくと、タイヤのエアを再び充てんしようとするSUVが店の前で列を作っている。 しかし、ガソリンスタンドはなく、給油する気配はない。 結局、2分の目盛りを切ったタンクでドーハまで帰還するらしい(それで燃料は結局最後までもったのであるが。) この先は来た高速道路をひたすら戻るだけ。 さすがに暗くなり、ドライバーもサングラスをはずすが、その下で、ちょっと脅えたようなやや弱々しい目に出くわしたのは少し意外だった。 運転はしっかりしているので、同乗者も含め一度も代わろうなどとは思わなかった。
6時20分ごろホテル帰着。 駱駝ライドのお代として20ユーロ札をはずむと、にっこりと微笑んで去っていった。トヨタなどの日本製品の評判のせいなのか、日本には好印象を持っているように感じた。 4時間のドライブ中、一度もアイドルストップしなかったな、と同行者が指摘したときも、もちろん遺憾に思うようなことは毛頭なく、砂漠の民にはそんな生き方があるのだと、妙に納得した次第だ。
その後は、ホテル2階にあるメキシカンレストランのTVで、決勝戦を観戦した。前半、後半は双方得点なく、なんとなくもどかしい展開。しかし、相手の足が止まった延長の後半、長友のセンタリングを李が見事に決めて、喜びの瞬間が訪れた。 アラビア語とフランス語で中継をしていたが、アラビア語のアナウンサーは相当興奮して叫んでいた。スタジアムも画面で見る限り、VIP席を除いてほぼ満員のようだったし、表彰式になっても帰る人は少なかったようだ。このカタールでもサッカーはやはり大変な人気のようだ。ホテルの従業員(実はインドネシアのバリからの出稼ぎ)に、日本がカタールに準々決勝で勝って申し訳なかったというと、もしカタールが準決勝以上に進んでいたら、今頃この街は大変は騒ぎだから、負けて平和でよかったというのには笑ってしまったが。
優勝を見届けるとまもなくホテルをチェックアウトし、空港に向かう。ここからまたドバイ経由のエミレーツ航空で帰途につく。エミレーツは安くはないが、席の広さ、食事、エンターテインメントシステムの充実ぶりはさすがにリッチ。 ドバイ-東京間は、行きは夜間飛行ということもあり12時間近くかかるが、帰りは8時間半だった。距離は意外なことに8900キロもあり、6000キロ台の北米やヨーロッパ航路より遠い。
この地に住んでいれば、石油も天然ガスもまだ100年以上出るように思っても不思議はないであろう。 クルマは、かつて駱駝の硬い背中で何十日も炎天下を揺られて移動するしかなかった砂漠の民に、飛躍的な自由を与えたようだ。 4WDがあれば、脅威だった砂漠を縦横無尽に走り回れる。 それがバブルなのか、つかの間の繁栄に終わり100年後に廃墟と化しているのかはまだわからない。 今はだた、あのすばらしい砂丘にSUVを駆ってキャンプや砂遊びにいけるような彼らを少しうらやましく思うのである。