結成以来、市民運動出身リベラルの管直人、宇宙人といわれた鳩山、再び管、若返ったが堅物で愛嬌の足らない岡田、そして松下政経塾世代の前原、と彷徨を重ねてきた民主党の代表についに、小沢一郎が就いた。
小沢一郎は誰もが知っている。 田中角栄の地蔵っ子、竹下7奉行の筆頭、47歳という史上最年少で自民党幹事長に就き、自民最大派閥の実力者であったにもかかわらず、93年自民党を割り、細川連立政権を樹立した革命児。 新進党を結成し、小選挙区制確立のレールを敷き、2大与党の流れを作りながら、それを惜しげもなく壊した。 だが、「豪腕」、「壊し屋」といったイメージに纏われた小沢の本当の姿はあまりよく見えてこなかった。 口下手でシャイありメディアにも誤解されやすいためか。 かつての仲間と袂を分かち、2003年にはついに30人に満たない小さな政党でしかなくなった自由党を民主党に合併させてからも、一度は党代表代行についたものの、旧社会、民社、さきがけ、日本新党の流れが寄り集まった民主党の中で、派手な活動はみせず、その存在感、迫力を背後にちらつかせながらも、前原民主に道を譲った昨年秋は、小沢もこのまま出番がなく終わってしまうのか、と感じたほどだ。
しかし、今回の民主党の危機におよび、ついに実力者の出番が回ってきた。本人は、いつか必ずこの時が来ると信じていたのか、もしくは、近頃は心を無にしてひたすら天命を待ったのか。
小沢一郎という人物は一体何者なのか。 政治家は「理」と「情」の両面を持っていると本人は常々語るが、その不器用なしゃべり方や風貌からは、岩手という東北人の真面目な一途さ、粘り強さを感じるし、論理的というよりは、情緒的な自民党的な体臭を多くの人が感じるだろう。 一方で、「理」が強いからこそ、妥協できずに、創り、壊すことを繰り返してきたのではないか。 小沢一郎がベストセラーになった「日本改造論」を出版したのは93年ごろだったと記憶するが、その時論じられた日本(人)の「自立」という概念は、正に時宜にかなった提言であった。 バブル破裂後の混迷の中で、グローバル化する経済やソ連崩壊後の混迷する国際情勢(湾岸戦争、ボスニア紛争、カンボジアPKO)の中で、 小沢がお膳立てした戦後初の非自民党政権に多くの人が期待をかけた。 細川政権が短命に終わったあとも、新生党から新進党を結成し、二大政党の時代が到来し、日本の民主主義も成熟機を迎えたかと期待を持たせた。 しかし、新進党も解体し、自社公の野合連立政権ができ、自民党が延命する中で、政治でも「失われた10年」が過ぎた。 2001年に「自民党を打っ壊す」といって登場した小泉政権は、派手な芝居を見せはしたが、断末魔の自民党のさらなる延命と政治の衰退を招いたとしか思えない。 党内の派閥支配の時代は終わらせたが、官邸主導の権力構造に変わっただけであり、官僚主導の政治、中央集権的な統治構造、税や社会福祉の改革、安全保障や国際的政治力といった課題については何も根本的な改革はなさず(またはみせかけの改革で終わり)、5年が浪費された。
小沢のかつてを知る40代以降の国民は、私と同じように希望と期待を持っているだろう。 自民ではもうどうしようもない、崩壊の危機にある今の国家、社会を再生させ、日本の政治に真の変格をもたらすチャンスがあるとしたら、それは民主党による政権交代しかないし、民主を一つにまとめるのはどうやら小沢しかいないのだ、と。 小沢一郎は就任するにあたり、「自分も変わる」と言ったが、その言葉に偽りはなかろう。 鳩山も管も今回ばかりは挙党体制が必須とし、管は代表代行に就き、鳩山は幹事長に留任した。国民にも馴染みの深い顔がトップに揃ったまさしく「オールスター」体制である。 概念的な言葉がややもすると上滑りするリベラル派や若手民主党員の軽さを補うには、経験豊富な実力者の執行部が必要だ。
就任演説を聞くと、小沢はあいかわらず口下手だしTV映りも小泉とは較べるすべもない。 女性や若者に受けるタイプとは到底思えない。 ここは、人生経験もある中高年が、次世代のために日本社会の未来のために、民主党を応援し、日本の政治の改革への道を主導しなければならないのではないか。
小沢党首は、早速、来年の参院選で与党を過半数割れに追い込み、翌年の衆院選で一挙に政権交代を果たす、という日程を発表したが、彼の口から発せられると不思議と現実味を感じる。 なんとなく素人集団っぽい民主党が本当の政治のプロに変身するのではないか。 「改革8策」では、消費税アップによる年金や医療の負担、一方で所得税の削減、 地方への交付金の全廃、 義務教育の完全国家負担、国連中心とアジア外交の重視といった政策を挙げている。いずれも、日本の「自立」のために小沢がかつてから掲げてきた政策である。 これらは政権奪取の暁に実行されるとしても、まずは党内を絶対に一つにまとめなければならない、それが大前提である。 そして、小沢は小泉のように「改革」において既得権益を守ろうとする政治家や省庁に妥協することは決してあるまい。 既得権益を排除することが最大の課題であるから、「理」の政治家、小沢はそこは筋を通すと思う。
小沢一郎は誰もが知っている。 田中角栄の地蔵っ子、竹下7奉行の筆頭、47歳という史上最年少で自民党幹事長に就き、自民最大派閥の実力者であったにもかかわらず、93年自民党を割り、細川連立政権を樹立した革命児。 新進党を結成し、小選挙区制確立のレールを敷き、2大与党の流れを作りながら、それを惜しげもなく壊した。 だが、「豪腕」、「壊し屋」といったイメージに纏われた小沢の本当の姿はあまりよく見えてこなかった。 口下手でシャイありメディアにも誤解されやすいためか。 かつての仲間と袂を分かち、2003年にはついに30人に満たない小さな政党でしかなくなった自由党を民主党に合併させてからも、一度は党代表代行についたものの、旧社会、民社、さきがけ、日本新党の流れが寄り集まった民主党の中で、派手な活動はみせず、その存在感、迫力を背後にちらつかせながらも、前原民主に道を譲った昨年秋は、小沢もこのまま出番がなく終わってしまうのか、と感じたほどだ。
しかし、今回の民主党の危機におよび、ついに実力者の出番が回ってきた。本人は、いつか必ずこの時が来ると信じていたのか、もしくは、近頃は心を無にしてひたすら天命を待ったのか。
小沢一郎という人物は一体何者なのか。 政治家は「理」と「情」の両面を持っていると本人は常々語るが、その不器用なしゃべり方や風貌からは、岩手という東北人の真面目な一途さ、粘り強さを感じるし、論理的というよりは、情緒的な自民党的な体臭を多くの人が感じるだろう。 一方で、「理」が強いからこそ、妥協できずに、創り、壊すことを繰り返してきたのではないか。 小沢一郎がベストセラーになった「日本改造論」を出版したのは93年ごろだったと記憶するが、その時論じられた日本(人)の「自立」という概念は、正に時宜にかなった提言であった。 バブル破裂後の混迷の中で、グローバル化する経済やソ連崩壊後の混迷する国際情勢(湾岸戦争、ボスニア紛争、カンボジアPKO)の中で、 小沢がお膳立てした戦後初の非自民党政権に多くの人が期待をかけた。 細川政権が短命に終わったあとも、新生党から新進党を結成し、二大政党の時代が到来し、日本の民主主義も成熟機を迎えたかと期待を持たせた。 しかし、新進党も解体し、自社公の野合連立政権ができ、自民党が延命する中で、政治でも「失われた10年」が過ぎた。 2001年に「自民党を打っ壊す」といって登場した小泉政権は、派手な芝居を見せはしたが、断末魔の自民党のさらなる延命と政治の衰退を招いたとしか思えない。 党内の派閥支配の時代は終わらせたが、官邸主導の権力構造に変わっただけであり、官僚主導の政治、中央集権的な統治構造、税や社会福祉の改革、安全保障や国際的政治力といった課題については何も根本的な改革はなさず(またはみせかけの改革で終わり)、5年が浪費された。
小沢のかつてを知る40代以降の国民は、私と同じように希望と期待を持っているだろう。 自民ではもうどうしようもない、崩壊の危機にある今の国家、社会を再生させ、日本の政治に真の変格をもたらすチャンスがあるとしたら、それは民主党による政権交代しかないし、民主を一つにまとめるのはどうやら小沢しかいないのだ、と。 小沢一郎は就任するにあたり、「自分も変わる」と言ったが、その言葉に偽りはなかろう。 鳩山も管も今回ばかりは挙党体制が必須とし、管は代表代行に就き、鳩山は幹事長に留任した。国民にも馴染みの深い顔がトップに揃ったまさしく「オールスター」体制である。 概念的な言葉がややもすると上滑りするリベラル派や若手民主党員の軽さを補うには、経験豊富な実力者の執行部が必要だ。
就任演説を聞くと、小沢はあいかわらず口下手だしTV映りも小泉とは較べるすべもない。 女性や若者に受けるタイプとは到底思えない。 ここは、人生経験もある中高年が、次世代のために日本社会の未来のために、民主党を応援し、日本の政治の改革への道を主導しなければならないのではないか。
小沢党首は、早速、来年の参院選で与党を過半数割れに追い込み、翌年の衆院選で一挙に政権交代を果たす、という日程を発表したが、彼の口から発せられると不思議と現実味を感じる。 なんとなく素人集団っぽい民主党が本当の政治のプロに変身するのではないか。 「改革8策」では、消費税アップによる年金や医療の負担、一方で所得税の削減、 地方への交付金の全廃、 義務教育の完全国家負担、国連中心とアジア外交の重視といった政策を挙げている。いずれも、日本の「自立」のために小沢がかつてから掲げてきた政策である。 これらは政権奪取の暁に実行されるとしても、まずは党内を絶対に一つにまとめなければならない、それが大前提である。 そして、小沢は小泉のように「改革」において既得権益を守ろうとする政治家や省庁に妥協することは決してあるまい。 既得権益を排除することが最大の課題であるから、「理」の政治家、小沢はそこは筋を通すと思う。
小沢さんの一番の特徴は責任を取らなければいけない立場で活動していないということに尽きると思います。それだけに虚実が混合している状態だと思います。小沢さん自身の大臣経験は自治大臣一回だけです。今回は野党第一党の党首という立場で、言葉の一つ一つに責任を取らなければなりません。すぐに馬脚をあらわすのではないかと心配しています。
私も政権可能な野党があった方がいいと思っていますので「小沢さんは力不足だろうと予測していますが、その一方で期待もしています。予想と期待は違うといったところでしょうか。」後半国会の成り行きをとりあえず見たいと思います。