A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)というたった4つの塩基が膨大な数並ぶ2本の鎖が水素結合によって、常に同じ相手の塩基と結ばれていることがわかり、現代の分子生物学の膜が切って落とされた。 その二重螺旋発見の50周年記念行事の一環としてこの書は書かれたという。 生命の誕生する仕組み、論議の多い遺伝子組み換え作物の問題、DNA鑑定による犯罪者の特定、遺伝病の遺伝子の追跡、胚細胞の活用による遺伝病治療の可能性、など現在分子生物学の歩みと課題を理解するうえでの格好の書である。古代人の化石のDNAを調査することで、人類が類人猿と分岐したのはわずか50万年前であり、ホモサピエンスの起源はわずか15万年前で、ホモエレクトス(ネアンデルタール人)とは交配せず、3万年前に言語の習得などにより、飛躍的な生存力を獲得し地球の支配者になったなど、DNAの発見は人類学にも新しい知識をもたらした。
その他、読んだ本。
ガイアの復讐
ジェームズ・ラブロック
ガイアという概念は聞いて久しいが、地球が自立した調整システムを持つというこの理論は、CO2の増加、地球温暖化などが深刻化する中、真実味を持って迫ってくる。 「人類という部族主義の動物」は、既に「持続可能な発展」が不可能な地点に来てしまっており、カタストロフを回避するには、「持続不可能な地点からの撤退」を余儀なくされているという。
アゴサ・クリストフ
Hier (昨日)
「悪童日記」で、一躍有名になった著者の本はこれがはじめてだが中々よかった。 鍛錬された詩的な文体、練りこまれた筋書き。 二十歳の頃、ハンガリー動乱を逃れ、スイス(フランス?)に亡命してフランス語で小説を書き始めたというこの人の本は、「悪童日記」から始る三部作を読んでみたいと思わせた。
J.M.クッツァー 「夷荻を聞きながら」(waiting for barbarians) 集英社文庫
2003年、村上春樹がノーベル文学賞をとるかも、と日本で騒がれたときに受賞したのが、この南アフリカの小説家・評論家だ。 この小説は、いつの時代の何処の国ともわからない「帝国」の領土の辺境地の民政官である「私」の一人称で語られる。 ローマがドナウやラインの向こうの異民族と戦っているのか、はたまた中央アジアや韃靼人の地の話なのか、著者の故郷の南アの話なのか、最後までわからない。 正体の知れない「夷荻」という「外部」が、捕虜になり拷問で不具にされた夷荻の娘と「私」との関わりを通じて展開される。 夷荻を討伐するために首都から派遣された大佐とその部隊は、城壁の中の私の世界に貫通してきて私の平穏な世界を破る。拷問や暴力と戦う私。 しかし、戦いに敗れた大佐の軍隊が撤退し、私が民政官の地位に復権するラストでは、大佐と私は実は、同じ人間の表と裏でしかないと思い当たる。 クッツァーは第3作となるこの作品で国際的な名声を得たという。 砂に埋もれた住居跡は「砂の女」を思わせ、広大な砂漠、塩湖、川、森、異民族、女達、といった様々な表象が時間と空間を越えて想像力を大いに膨らませる。 想像力をかきたてる佳品だ。
その他、読んだ本。
ガイアの復讐
ジェームズ・ラブロック
ガイアという概念は聞いて久しいが、地球が自立した調整システムを持つというこの理論は、CO2の増加、地球温暖化などが深刻化する中、真実味を持って迫ってくる。 「人類という部族主義の動物」は、既に「持続可能な発展」が不可能な地点に来てしまっており、カタストロフを回避するには、「持続不可能な地点からの撤退」を余儀なくされているという。
アゴサ・クリストフ
Hier (昨日)
「悪童日記」で、一躍有名になった著者の本はこれがはじめてだが中々よかった。 鍛錬された詩的な文体、練りこまれた筋書き。 二十歳の頃、ハンガリー動乱を逃れ、スイス(フランス?)に亡命してフランス語で小説を書き始めたというこの人の本は、「悪童日記」から始る三部作を読んでみたいと思わせた。
J.M.クッツァー 「夷荻を聞きながら」(waiting for barbarians) 集英社文庫
2003年、村上春樹がノーベル文学賞をとるかも、と日本で騒がれたときに受賞したのが、この南アフリカの小説家・評論家だ。 この小説は、いつの時代の何処の国ともわからない「帝国」の領土の辺境地の民政官である「私」の一人称で語られる。 ローマがドナウやラインの向こうの異民族と戦っているのか、はたまた中央アジアや韃靼人の地の話なのか、著者の故郷の南アの話なのか、最後までわからない。 正体の知れない「夷荻」という「外部」が、捕虜になり拷問で不具にされた夷荻の娘と「私」との関わりを通じて展開される。 夷荻を討伐するために首都から派遣された大佐とその部隊は、城壁の中の私の世界に貫通してきて私の平穏な世界を破る。拷問や暴力と戦う私。 しかし、戦いに敗れた大佐の軍隊が撤退し、私が民政官の地位に復権するラストでは、大佐と私は実は、同じ人間の表と裏でしかないと思い当たる。 クッツァーは第3作となるこの作品で国際的な名声を得たという。 砂に埋もれた住居跡は「砂の女」を思わせ、広大な砂漠、塩湖、川、森、異民族、女達、といった様々な表象が時間と空間を越えて想像力を大いに膨らませる。 想像力をかきたてる佳品だ。